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猫がいる生活

昨年の春から猫と暮らしている。片足がおかしい子猫を嫁が拾って病院に連れて行って診てみたら、4足のうち3足がバグっていたというツワモノだ。うちでとりあえず預かって飼い主を探そうと思っていたけれど、子猫の可愛さは殺傷能力が極めて高い。猫耐性がない人はまず即死(キュン死)することは避けられないであろう。というわけで、飼い主を探している最中に二人ともキュン死してのたうち回り、挙句、うちで飼うことになり、急遽新しい家を探して引っ越した。その猫様も今ではすっかり家主気分で家を歩いて回り、その可愛さを振りまいている。バグっていた3足のうち2足はすっかりよくなって走り回れるようになったけれど、やっぱり1足は治りきらず変な着足をしている。まぁ元気だからよし。

で、猫が家にいると自分なりによかったところがあって、今日はそれを書いたらやめにしようと思う。

それは、「まったくもって自分の思い通りにならない存在が常に家にいること」である。よくよく考えれば身の回りのすべてのものは自分の思い通りになんかならないんだけど、雨が降ってイライラ、仕事相手の態度にイライラ、仕舞いには何故自分はこんなことも出来ないんだと嘆き悲しむ、なんてこともしばしば。

基本的に自然が絡むと人の手には負えない。つまりそれはもう神様でも思い通りにはならないのであって、自分の身体や思考ですらすべてを自分の思うがままにできると思うのは傲慢かもしれないと思うのである。まぁそれでも「こうなりたい」、「これができるようになりたい」と努めることは結構意味があって楽しいことだとは思うけれど。それに、機械や社会生活やすべてのものは自然物である人間が作ったものなので、そこはやはり完璧に思い通りになるというものはこの世にはない。

物事は思い通りにならにゃいんだよ、ということを可愛く教えてくれる。それが、猫である。

もー、こいつはまったく思い通りにならない。可愛がりたくても寄ってこない、寄ってきたと思うと手を噛まれる、ふとしたときに風呂場に侵入していて足が濡れたままそこら中を歩き回る、隠していたパンを齧る、ごみ箱の袋をひっちゃかめっちゃかにする、何事が起きたかまったくわからないが鳴き続ける…etc...etc...

でも、猫だから仕方ないんである。

許すとはもう一つ違う感情というか、もう一つポジティブというか、兎に角「もう、しゃあないなぁ(笑顔)」なんである。で、だいたい何をしていても可愛い、慈愛の存在なんである。今もこの文章を書いている間中、炬燵の中の僕の足で遊んでいる。あとでお気に入りの羽のおもちゃで遊んで、ご褒美に少しご飯をあげる。最高やんけ。

以上のように猫好きが自分の猫のことを書くと大体が猫自慢になる。

文章を締める前に最後に一つだけ書くとすれば、猫は何をしても許せるし可愛いし、常に思い通りにならない存在として僕らに「世の中には思い通りににゃらにゃいことばかりだよ」と教えてはくれるが、それ以外の人間社会で起こる「思い通りにならないこと」を積極的に許せるようになるわけではない。人間社会で起こる「思い通りにならないこと」達は猫みたいに可愛くないからである。許せないことは許せないんである。結局自分はそんなにできた人間ではないんである。今日は以上。

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