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2020/9/19 - 10/2

ひらたから、ほさきさんへ

2020/9/19(土)
望海風斗さんのコンサート『NOW! ZOOM ME!!』を配信で見ていました。
タイトルの読み方は「ナウ!ズームミー!!」ですが初めてみたときからどうみても、ノ・ゾ・ミ! で、こういう掛詞(掛詞?)や歌詞に名前を織り込むことが宝塚はけっこう好きだよな、なんて思っていました。
コンサートは全体的にコメディタッチで仕上げられており、「なぜこここまで……」と思いつつも、望海さんの歌のうまさを存分に楽しめる構成でした。しかし全体的に80年代、90年代の雰囲気がむんむんで、宝塚では珍しいことではないのですが、一体どうしてなんだろう? わたしよりもずっと若い人たちにその年代の曲を集中的に歌わせるのが、ありなのか、なしなのか、時々わからなくなります。
今回の配信は雪組のトップ娘役の真彩希帆さんがゲスト出演するバージョンで(わたしは彼女が宝塚歌劇のなかで一番好きです)、望海さんと真彩さんが並んでいる姿、そしてともに歌っているその声に、突然こみ上げてくるものがありました。
先日、真彩さんは個人の公演としてミュージックサロンなるものをやっており、その内容はとてもすばらしいものだったし、わたし自身もうっとりと楽しんだ、にもかかわらず、あれっ二人が並んでいる、それだけのことがそれだけのことではなく、こんなにもうれしくなるなんて!? いままでも好きだったけど、コンビであることがこんなにも!? と自身の感覚に戸惑っていました。まさか涙が出てくるとは思わなかったぜ。
二人はすでに退団の日取りが決まっており、最後の公演の演目も決まっています。どうか無事に幕を開けられますように。そしてどうか最後まで無事に走り切れますように。いまからたくさんの拍手で二人を見送りたい気持ちでいっぱいです。

2020/9/20(日)
アフタヌーンティー、たいへんおいしかったですね。しょっぱいもの大好きなので、点心があるのはうれしかったです。甘いものだけじゃあんなには食べられない。
Aさんとyenさんと毎月1回おしゃべりする時間をとるようになって半年くらいになるのかな? 今回の予約をしたのが初夏か、その直前だったはずなので月日の流れる早さたるや……と思うばかりです。
日々、ストレッチや筋トレはしているものの、歩く習慣が減っていることもあり、この日は久しぶりにたくさん歩いたな、という感覚でした。スニーカーではなくヒールのある靴を履いたせいか、帰ってきたら両方の足裏に直径5センチくらいの肉刺ができていました。この秋冬は少し歩く運動もしなければ。

2020/9/21(月)
午後から陶芸へ。そのあと友人と少し会っていました。
生のクラフトビールを楽しめるお店で、そこへ行ったら必ず種類の違うビールをふたつほど頼みます。量としてはそんなでもないのですが、いまや2杯で限界だなあと思います。穴のあいたバケツみたいに飲んでいたころが懐かしい。しかしなんであんなに飲んでたんだろう。今思うと不思議です。
晩酌もしなくなり、好きだったワインもぱったり飲まなくなりました。飲み始めると止まらないくらい飲んでしまうからだったのですが、同居人に「アル中」と言われるくらいには、その気配はあったのだと思います。「お酒そのものの味が好きだ」という気持ちに嘘はなかったものの、アルコールに頼って気持ちのバランスをなんとかとろうとする側面もあった。涙を忘れるカクテルを作ってくれるマスターはわたし自身であった、ということです。(涙を忘れるカクテル、ってなんなんだろうと思ったんですが、これ「失恋レストラン(清水健太郎)」の歌詞なんですね。この曲自体はちゃんと知らないのにフレーズは知っているって変ですよね、どこで耳にしていたんだろう。調べてみたら1976年発売なので、私自身まだ生まれていないのですが)

2020/9/22(火)
「推し」という概念をタイムラインでちらほら見かけ、ぼんやりしていました。最近、私自身は、これまでに感じてきた「推し」という感覚を失ったのかもしれない、と思っていました。
たとえば宝塚の真彩さん、あるいはアイナナの環くん。好きは好きですが、いままで感じてきた「推し」ではないように思います。ただひっそりと「好き」ではあるものの、自分の身体を相手に向かって傾けるような、そういう強さ――わたしの持っているこれは暴力性とも言い換えてもいいものですが――はもうありません。好きで好きで、さまざまなものを投げ出してしまいそうになりながら何かを好きになることはもうないのかと思うと本当にさみしい。むかしに戻りたい、というわけではなく、ただいまこの瞬間がさみしいのです。
常に何かしらの存在を「神さま」にしがちなわたしにとって、いまの状態は大変「健全」であり、「健康」なのですが、今になってもなお身体の中央にあいた穴のようなものに「神さま」を宿らせたい気持ちがあるのだな、と思ったりしていました(身体の空虚な部分を思うたびに、わたしはきっとふんわり持っている信仰心をきちんと既存の宗教に結びつけたらいいのだろうなとずっと思っていますが、そこにも踏み込めずにいるのです)。
生身の人間を「神さま」にしてはいけない、と思いますし、それが「普通」だよ、さみしくてもそれは仕方のないことだよ、と誰かがひっそりとわたしに声をかけてくれます。それはわかっているのです。わかってはいても、さみしさがなくなるわけではありません。

2020/9/23(水)~25(金)
自己啓発的な文脈で「やりたいことリスト」を書くといい、とちらほら言われますが、やりたいこと? フン、やりたくないことだよ! 書くのは! と「やりたくないことリスト」を力強く書いていました。
会社でいやなことがあったからですが、それでも「これだけは絶対いやだ!」と書いておくと、我慢せずにいられたり、避けられるような気がするので、それなりに効果はあるようです。
20代の大半を派遣社員として働いてきたわたしは「自社の仕事」を30歳を過ぎるまであまりやったことがありませんでした。派遣社員で勤めている間、ずっと帰属意識をどう持ったらいいのかが自分のなかでの課題でした。登録型の一般派遣をやっているときも、特定派遣になってからも、帰属意識をうまくもてないことが仕事を続けていくうえで自分自身を迷わせる原因だったように思います。登録型の一般派遣の待遇の不安定さがいやで、特定派遣になったものの、「派遣元」から帰属意識を持つことを求められ、それはそれで「派遣元」と「派遣先」の間で引き裂かれるようなこともありました。「派遣社員」であっても仕事に対する「責任」は求められますが、「正社員」との待遇差に納得いっていなかったのも確かです。そういうもろもろがしんどくなって「せめて自社の仕事を一生懸命やりたい」と思って3年ほど前に転職しました。いまの会社はとにかく自分自身が何をどうしたいのかを問われるところで、きびしさもありますが、少なくとも帰属意識の持ちどころで引き裂かれることはありません。それだけでもずいぶん安定したように思います。(最初に書いたようにいまの会社でまったくもっていやなことがない、というわけではないのですが)
「やりたくないリスト」のなかに「ウェブディレクター」と書きましたが、いままで愚痴りながらやっていた仕事を手放せる算段がついたので、少しばかり気が楽です。

ほさきから、ひらたさんへ

2020/9/26(土)
なんだか急に寒くなったです、とうさぎが言うので、今週と来週はちやほやウィークになりました。職場についてくる小さいうさぎも連休明けのもちぬしがちやほやを怠けて(?)いないか、日々きりりと見張っているので、いやいや大丈夫ですよとムートンのスリッパなどを買いました。

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在宅勤務をしていた4月頃、covid-19が流行しはじめたのが10月や11月だったら、とよく想像していました。(北太平洋においては)日照時間が減る中でお店が次々閉まり、いくつもの都市がロックダウンがされ、クリスマスやお正月など年末年始の各種イベントにはみんな集まれず……となっていたら、精神的なダメージはもっと大きかったのではないか。少なくとも現実の今、季節は春で、花は咲き始め木は萌えだしている……そんなことを思っていたのでした。
もうすぐ10月になる今、covid-19は収束しておらず、日本の都市はロックダウンはされていないけれど大丈夫とはとても言い切れなくて、経済は明らかに酷いことになっている。春頃のようなショックはないけれどダメージは蓄積し続けている、と折に触れ思います。

2020/9/28(月)
通勤に使う駅の近くで小柄な女性がひとり、すれ違う人にラミネートカードを示し続けているのを見かけました。カードには留学生だけどコロナのせいで仕事がなくなってしまったので助けてほしいと書かれていて、お菓子をひとつ買いました。
帰宅してからTwitterで検索してみると、どうも先週末から同様の事例が増えているようで、取材記事もありました。そもそも路上で許可なく商売するのは法律違反だし、留学生のための国の支援としてこんなものがありますよ、という記事の内容に納得しつつ、同時に見てしまった色んな人の排外主義に見えるコメントにダメージを受けていました。
本当に寄付なのか怪しい寄付の呼びかけなんて今までにも街角で沢山見たことがあって、正直なところわたし自身、殆ど寄付したことはない。にもかかわらずお菓子を買ったのは拒絶する気力がなかったのと、何より自分の住む国は技能実習生や入管制度、在日朝鮮人の扱いなど、海外から来た人やルーツの異なる人に対してあまりに酷いことをしてきた、している、という思いも影響している気がします。わたしの出会った彼女が嘘をついていたのだとしても、同じ理由で苦境にある人はたくさん存在しているのではないかという気がしてならなかったのです。

2020/9/29(火)
久しぶりにパウダーチークをつけたら大きなブラシで頬を撫でる感触が予想以上に優しくて、しばらくぼうっとしていました。
帰宅時間が遅くなったのでzabadakのLIVE配信を聴きながら帰りました。音がびっくりするほど鮮やかで、配信でこれなら現地組が聴いた音はもっと凄いんだろうなと思っていたら、会場の観客が少ないから音を吸われなくて響きが凄かった、というコメントを見かけてどきりとしました。MCで来年の話が出たことにほっとしつつ、未来の約束というものが今はこんなにも希望に見えるのだなと改めて思います。アフタヌーンティー、楽しかったですね。

涼しくなってきたこともあり、太極拳を始めてみました。youtubeを見ながら寝る前に5分、絶対色々間違えていると思うのですが、ゆっくりした腹式呼吸を続けるだけでも結構温まります。中腰の状態でやるのが基本らしいのですが、ちょっとやってみたら太ももが大変なことになったので対策を検討中です。
太極拳をやりながら、小黒(from羅小黒戦記)はカンフーの方が好きと言いそうだなとか、そもそもこれは拳法らしいから泰麒(from十二国記)はできるのかな、などと想像しています。推しと呼ばれるものを自分は(自身では自分なりに持っているつもりだったけれど恐らく他の多くの人達のようには)持ったことがないけれど、こういう想像をすることは好きです。
ちなみに「推し」という言葉、個人的にはCP至上主義から外れたりずれたりしたものを掬ってくれた言葉というイメージがあります。先日のユリイカなどを読んでいると、今はまた違うのかもしれないとも思いますが。

2020/10/1(木)
日本学術会議の一部候補を首相が非承認に(=人事介入)したというニュースが流れてきました。前日には官邸報道室がマスコミ各社にオフレコ朝食会を打診したという話も流れてきています。今の首相が就任したのが9月16日、まだ二週間しか経っていないことを思うと驚異的な「仕事の早さ」です。その一方でcovid-19への対策についてはGOTOキャンペーン以外には聞かず、自殺者の少ない社会を作るのは「われわれ」だと元厚労大臣は言いました。
やりたくないことをやりたくないから、何かあった時の対応方針に賛同できなかったから、好きなものを手放したり所属していた場所を離れたことはここ数年で幾度もあって、けれど一体どこまで離れられるのだろうと思います。離れようにも離れられない場所、離れたとしてもその影響を受け続ける場所もある。

中秋の名月だとうさぎ達がそわそわしていたので、コンビニで白玉団子ののった小さいパフェを買いました。帰り道、月を撮ろうと携帯片手に出てくる人を何人も見ました。

2020/10/2(金)
園芸店のサイトで来年の薔薇苗についての話題を見かけるようになりました。現実に買うかはともかく、咲き誇るとりどりの花の写真を眺めながら、あれがいいこれがいいと夢見るのは自由です。
国による奨学金の給付額は、上半期だけで昨年度1年間の2倍近くになったという記事を読みました。

日本学術会議の件については当然ですが批判が続いており、わたし自身SNSでずいぶん気を吐いていましたが、一方で行為を批判するために相手の思惑を推測しすぎるのは危ういなと反省しました。手続き行為が不適切ならばそのことのみを批判すればよいのであって、それは非承認になった方々のそれまでの研究活動や政治発言から政府の思惑(……などというものは本当は存在せず、実際には個々人の判断だけが存在するのですが)を勝手に推測し、その前提に立って批判を展開するのとは全く異なる行為であると、まさしく非承認になった方々のコメントを読んで痛感しています。推測だけが飛び交うことで、別の何かが生じてくるような気持ち悪さ。
とはいえ、そうした切り離しには意識的な訓練が必要な気もします。日常はむしろ、反射のような推測や忖度で溢れているのかもしれない。

久しぶりにあたたかい日だったのでお昼ご飯を外で食べました。林檎のタルトを食べながら小さいうさぎにちやほやウィークの延長について相談したところ、大賛成されました。ちやほやは日々の練習がいちばん大事なのだそうです。

明日は久しぶりにデモへ行きます。 

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