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2020/11/28 - 12/11

ひらたから、ほさきさんへ

2020/11/28(土)
帝国劇場へ『ビューティフル』を観に行ってきました。
アメリカのシンガーソングライターであるキャロル・キングの半生を描いたミュージカルです。水樹奈々さんがキャロル役で出演しており(平原綾香さんとダブルキャストです)、3年前にも一度観たので、今回はいいかなあ、なんて思っていたところ、友人が「チケットが思ったよりも取れてしまった!」とのことで、譲ってもらったのでした。大千秋楽でありながら、ちらほらと空席があり、現在の状況をあらわしているように感じました。
カーテンコールで出演者のみなさんが、舞台を上演できること、最後まで走りきれたことを、こころから喜んでいました。「みんなが行動を制限されるなかで」。その言葉になんともいえない痛みのようなものを覚えました。いま、行動は制限されてしまっている、でも、わたしはこうなるまでは「行動できた」人間であり……でも「行動できなくなる可能性ももっている」人間でもあって……と、まとまらないながら考えていました。
12月にGoToトラベルで行く予定だった旅行は、様々な事情を鑑みて断念することにしました。現時点では移動を制限されてはいないし、予約していた宿の方からは(とてもすてきなホテルだったんですよ)、GoToキャンペーンが中止になってもその分は宿が補填する旨の連絡をいただいたけれど、それでも。行きたい気持ちと、行けない気持ちと、それぞれが持つ事情を鑑みてリスクの少ないほうを選ぶ、といった合理的な判断、そういうものとは別にして、行かないことでの影響も当然ながらある、と勝手に落ち込んでいました。
yenさんと同じく「経済を回す」という言い回しをわたしもまったく信じられてはいないのですが、自分の選択が、誰かの生活にこんなにも直結しているとは感じてこなかった。……あなたがこれまで気づいてなかっただけだよ、と静かに声がします。

2020/11/29(日)
体調がすぐれず、布団の中でじっとしているしかありませんでした。約束があったのにオンラインでさえ顔を出せませんでした。起き上がって画面をオンにするだけだったのに、できませんでした。
先週の文学フリマは、タイムラインで話題を見かけ、随分遠くになってしまったように感じていました。イベントに行かなくなると当然手にする本も減り、交流も減ります。じっとしているしかないときは、本を出せたり文章を書けててすごいな、みたいな、どこ目線なんだおまえはというような感想が出てきてしまってよくありません。本という物質の強さ、いまはそれにさえ負けてしまうので、あんまり読むこともできていません。頭のなかでは絶えず誰にも言えない言葉がいったりきたりしています。昨日ミュージカルを見ているときでさえ、物語に没頭できず、ずっと頭の中が騒がしかったので、だいぶ調子が悪いのでしょう。
この世界に数多にあるすてきなものでさえわたしを助けられはしないのだということに、気づいてはいけないのでしょうが、気づいてしまいそうになります。素敵なバッグを買おうが、きらめく場所へ行こうが、すばらしい舞台を見ようが、この憂鬱がなくなることはないのかと思うとただただぼーっとするしかありません。

2020/11/30(月)
目が覚めたとき、いよいよ限界だと思い、おとなしく病院に行きました。
今年に入ってから病院に行かずに過ごしていましたが(行っていいのかもわからなかったのですが)、少し前から眠れなくもなっていたので、さっさといけばよかったのです。とあとから思う、これも毎度のことです。
仕事が忙しいこと、コミュニケーションがうまくいかないこと、なんでも悪いほうに考えてしまうこと、そういう自分に落ち込んでしまうことなどを話したわたしに対し、先生は頷き、「薬だしとくね。いつでもきていいからね」と言いました。のほほんとした軽さになんとも安心しました。帰ってきて薬を飲むとぴたっと不安がおさまったので、ああ、本当に脳の病気なんだなあと少し冷静になりました。

『羅小黒戦記』の妖精会館について、友人が「中国でいう”会館”は互助会のようなもの」といっていました。同じ職業や、出身者が協力し助け合うために会館はあるようです。「日本でいうと…商工会議所のようなもの?」と聞くと、近しい部分はあるかもね、と言っていました。

2020/12/02(水)
一日ぐずぐずした天気でした。
服薬を再開してから、重荷に感じていたタスクが驚くほど簡単に片づけられます。自分にとって薬が必要だったんだ、と思うとともに、いつまで? とついつい問いかけてしまいます。
冷静になってくるとやっと外に目がむき、いくつかのニュースや、タイムラインを賑わす話題に目を通したりしていました。

2020/12/03(木)
冷え込んで寒かったですね。ウルトラライトダウンにウールのコートを重ね、さらに厚手のマフラーをぐるぐるにまいて、もこもこになって会社に行きました。わたしのもこもこ加減を見た同僚に、重装備じゃん、もっと寒くなったらどうするの? と問われ、大丈夫です、もう一段階、分厚いダウンコートがあります! と答えました。体感ではあと2段階くらいは寒くなる気がしています。

今年の夏前から、404 not foundと名乗っています。
404は、何かしらのウェブページにアクセスしようとしたブラウザのリクエストに対して「ここには何も存在していない」とサーバーが返すステータスコードのことです(きっとみんな知ってますよね)。
わたしは短歌をはじめるときに「ヒラタ」と自分に名前をつけました。短歌を作るにあたり、知人にバレるのがいやで、いままでとは違う名前が必要でした。それで戸籍上の名前をあれこれいじってつけたのでした。それがいつしか「平田」になり、下の名前もあったほうがいいかと、「有」をさらにつけました。読み方も最初は「ひらたあり」だったのです。ですが「あり」と読んでもらえることはなく、「ゆう」と読まれることが多かったので、「ひらたゆう」という名前になりました。この名前にもずいぶんお世話になりました。
短歌を作らなくなった今、この名前も忘れ去られていったなら、と思うことが増えました。なんとなく出発が「隠れるため」だったためか、その気分も手伝ってお世話になったわりに、そこまで名前に執着がありません。
逆にいま名乗っている404はかなり気に入っていて、しばらくやめる気はないですし、今後作品を作ることがあったとしたらこの名前で作ろうと思っています。ここにはなんにもないよという応答。その意味をもつ名前によって安心する気持ちがあります。
いまここにいる自分自身からは逃れられない。どうしたってそうなのですが、名前はわたしにとっては邪魔なものだなと思うときがあります。ただの識別記号のひとつ、のようなものなのに、そこにいくらでも意味が重なってくる。戸籍上の名前や、そこに紐づいている自分自身の生活と、創作上の何かしらを結び付けたいと思ったこともあるし、活動に限って言えば別に結びついてもよいと思っていますが、匿名性によって救われた自分を捨てられはしないのだ、とも思いました。

なぜこの話をしたかというと、この日記で使う名前も、できれば404 not foundにしたいなと思っているのです。良いですか、とyenさんに聞くのもおかしな話かもしれないですが、一緒にやっているので、一言お伝えしてからにしたいなと思いました。もしよければ許してもらえるとうれしいです。

ほさきから、404 not foundへ

2020/12/05(土)
日記タイトル(↑)の名前の記載を変えてみました。
タイトルとしては404 not foundへ、の方がすっきりするなあと思いつつ、404さん(打ちながら「よんまるよんさん」と頭の中で読んでいます)と呼びかけるのかなと思うとちょっと不思議な感じです。
ひらたゆう、は短歌用の名前だったんですね。わたしのスクリーンネーム兼筆名の穂崎円(ほさきまどか)は学生時代からのものなので、結構長い付き合いです。名前を考えるのが苦手なので(小説を書くときもキャラクター名が確定しきれないまま書き出すことが結構あります)twitterアカウント名のyenも円だから、という安直な理由でつけたものですが、yenも随分定着したなと思います。
もっといろいろ、軽やかな人もいるのは知っていますが、新しい名前やアカウントを作ろうとすると、いつも自分(が自分をどう捉えているか)からの逃れられなさを感じてしまいます。

2020/12/06(日)
久しぶりに晴れていたのでえいやと免許の更新に行きました。いつもは都心に出て手続きするのを今回は郊外の試験場で手続したのですが、すごく空いていたというわけでもなかった気がします……と、出かけておいて書くのも妙な話ですが。献血の車が来ていて、あまり人もいないようだったので行こうか迷ったのですが、以前やはり献血に挑戦しようとして緊張で貧血になったことを思い出し、諦めました。
帰りにクリスマスプレゼントを買いました。もちぬしの選ぶものはいつも地味では? といううさぎ達の声に複雑な気持ちになりつつ、しかしまったく否定できません。あげる側としてももらう側としても、プレゼントって難しいなあと思います。

2020/12/10(木)
職場にいる時は昼食後、人のいない場所で軽く体操をしています。最近は人のいない場所は寒いため、人は来ないけど暖かい場所を探しています。

Spotifyで落語を聞きながらの通勤&昼休みでした。落語の声は物語を語る・演じるための声だからか、一時期聞いていたラジオDJの声より湿度が高い気がします。「笠碁」を聴いたのですが、もしやこれはBL成分高めのお話なのでは……とひとりそわそわしていました。
twicasで404さんと朗読の配信をした4月半ば、緊急事態宣言の出たばかりの頃はマスクも不足していて衝立等の飛沫対策も今ほど十分ではなく、声を出すのも怖いようなところがありました。今はあちこちに衝立が置かれ皆マスクをし、そうした中で毎日職場に通っているのに、それでもなお人の声に対する飢えのようなものを感じるのは何だろうと思います。
会食を控えるように言われていることの影響はもちろんとても大きい。とはいえ、今までだって毎週のように誰かと外で会って話していたわけではない、と思うのに。

イギリスの調査会社が、日本がコロナから脱し日常に戻るのは2022年4月頃と予測したというニュースを見ました。他国に比べかなり遅くなるだろうという話でそれはそれで思うところはあるのですが、だけどいつか「これ」は終わるのだ、とはっとした自分がいました。もちろん医療現場への負担も経済の状況も既に大変なことになっています。東京の感染者数は今日600人を超えました。ワクチン投与を開始した英国ではアレルギー性症状を呈した患者が出たようです。
クリスマスまでに戦争は終わらないかもしれない。けれどいつか必ず戦争は終わるのだと信じること。起きた事への反応は自身で決められること。色々なものにすり減らされていく、すり減っていた自分に愕然とするような日々のなか、『夜と霧』に書かれたこうした事々を実行することの難しさを痛感しています。

2020/12/11(金)
布団から出した手足に感じる冷えがまた一段階、上がった気がします。
先週からの頭の中の騒がしさがようやく落ち着いてきてほっとしつつ、天気予報によると来週は更に冷え込むようです。年度末(年末ではない)まではぬくぬくとちやほやの限りを尽くさねば……と改めて強く誓いました。もちろん、新年度になってもちやほやは続くのです。
浅い呼吸が続くと精神状態にも良くないらしいと知ったのは、学生時代に読んだ演劇の発声に関する本からだったと思います。腹式呼吸しろと言われるような部活ばかりやっていたので心と体、呼吸はリンクするといった話はしばしば見聞きしまた実感しつつ、とはいえなかなか心身の調整について毎日は実践できないよなあと思っていたのですが、今年は文字通り、嫌でも実践せざるをえない状況になった気がしています。数日前から昼休みと就寝前に頭周りのマッサージを追加したのですが、寒さとマスクのせいもあってか耳周りの筋肉が固くなっているのを実感します。びっくりするほど痛い……。

明日は十二国記の短編の配信日ですね。そういえば旧暦に合わせ十二国記の戴極国イメージで創作するタグ「#戴極国七十二候」は、わたしが次回この日記を書き終える頃、七十二候がちょうど一周します。404さんが冬至の次候「麋角解」で創作して、つられてわたしも短歌を詠んだりして始まったタグですが、今年の「麋角解」は12/26からになるのです。最近は『羅小黒戦記』の公式アカウントが二十四節気に因んだイラストを流しているのを目にするようになったので、旧暦が更に身近になったなと思います。
秋薔薇の時期も終わって薔薇はそろそろ植え替えの時期なのですが、小さい蕾が二つだけ残っています。これから咲く可能性は恐らくかなり低いのでしょうが、まだ切れずにいます。

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