2020/8/22 - 9/4

ひらたから、ほさきさんへ

2020/8/22(土)世田谷美術館
世田谷美術館、うつくしい空間でしたね。

画像1

土曜日に撮ったなかで一番お気に入りの写真は、ひかりあふれる展示会場のなかで、手前に男性が立っていて、その奥にAさんとyenさんが座っていて、さらにその奥で女性ふたりが撮影をしている景色が点のように写っているものです。良い景色だな、と思って撮りましたが、顔は写っていなくても、すごく遠目にしか写っていなくても、ウェブに掲載したら、個人が特定できてしまいそうなので載せられません。もしかしたら撮ることもだめだったかもしれない。
写真学校に通っているときは、作品を作るにあたって、肖像権などほぼ気にしたことなかったのですが、本当は気にするべきだったのだと、近頃よく思います。わたしが先生方から教わった価値観のなかには、「生の現実を写したもののほうが作品として強い」みたいなものもあり、それこそ他者の領域に踏み込んで撮ることが望ましいとされていた部分もあったように思います。その行為を求められた、というよりも、そういう見せ方が作品上に現れるように撮ることがよしとされていた、というような。もちろんそれがすべてではありませんでしたが。
以前にカメラのプロモーションの一貫で、プロカメラマンが街のスナップ写真を撮っている映像が使われましたが、その撮影手法が問題視され、サイトから取り下げられたことがありました(歩いてくる他者に何のことわりもなくレンズを向け、切り取っていくような方法でした)。当然いまの時代にはそぐわない方法だと思いますし、だんだん失われる写真表現というものもあるのだろうと感じます。
手法や被写体にかかわらず、写真には「すばらしい瞬間に、偶発的に立ち会う」という部分があるように思います。わたしがどこか見え透いた作為を自分に禁じているのは(この世界で、作為のない作品なんてほぼないのに!)「偶然に立ち会いたい」という欲望を根強く持ってしまっているからなのかもしれません。

2020/8/23(日)られる、られない

 五月一日。一度、午前三時ごろに目が覚める。八時半にベッドから起き上がる。トイレの洗面所で洗濯して、アムハラ語(エチオピアで広く話される言語)の勉強。なかなか覚えない。まずは数字の数え方を必死に覚える。(松村圭一郎「うしろめたさの人類学」二〇一七年)

しばらくこの部分ばかり読み、引っ掛かりの原因を考えていました。ここでの「なかなか覚えない」という使い方があまりにわたしの普段の日常になじんだものと異なっていて、地味にショックをうけていたのです。わたしだったらきっとここで「覚えられない」と書いていたのではないか。
意味としてはさして変わらないのかもしれません。でも自分の行為の結果について「覚えられない」ではなく「なかなか覚えない」と書くことは、未来の可能性を残してある。いまの状態だけがそこにある。そういう捉え方のような気がします。「覚えられない」では今だけではなく未来も含んだジャッジを引き寄せる。なにより「わたしはできない」みたいに考えてしまうことがいかに多いか、そのことにはっとしていたのでした。

夜、突然の誘いだったにもかかわらず、友人がごはんを食べにきてくれました。『ロケットマン』を流し見しつつ、あれやこれやとおしゃべりしてとても楽しかった。こうして少人数でちょこちょこ会うくらいはいいよね、と思っています。

2020/8/24(月)
昨日くらいから少し暑さが和らいできたように思います。
朝から会議だと思っていたら今週は日程が変更になっていたので、随分らくな週のはじまりでした。なぜわたしは毎週月曜の朝一に会議を入れてしまったのか……(そのときは良いと思ったんでしょうね……)

土曜日にyenさんとは会っておしゃべりしたので、ついつい話題が飛びがちですが、環くんのサインは商標的にはアウトなのではと思っています。ただ作中には、アイドル当人とコラボしたような、カスタマイズされた王様プリンのぬいぐるみでも出てきたりもしているので、もしかしたらすでにCMに出ていたり、契約を結んでいる世界線もあるのかもしれません……もしそうなら、環くんおめでとうの会を開催しなければ! ゆるふわのふがいないファンなので情報を追い切れていない部分があります。ごめんよ!

2020/8/25(火)~27(木)
職場に行くと、在宅のときにできない仕事と、在宅でもできる仕事を合わせてやろうとしてしまい、ついつい遅くまで職場に居続けてしまいます。今週は火曜日にやりすぎて、昨日、今日とくったりしていました。
いま手元にある「生活」を、わたしはおそらく、ずっとほしかったのだと思います。単純に、手作りの食事と十分な睡眠、みたいなものですが、それを叶えることがすごくむつかしかった。かつ、ものすごく努力しないと手に入らないものだと思っていました。実際はそんなことはなかった。それは自身の努力とは関係なく、偶然に、そして突然もたらされるものである。だからこそ、それって……と考えてしまいます。

yenさん手作りの豆花、すごくおいしそうでしたね! 紅茶のゼリー? も気になりました。今度レシピを教えてください。
豆花は、以前横浜へアロハシャツを着て遊びに行った際(…)、台湾の豆花専門店で食べたことがあります。味もおいしかったのですが、「トウファ」という音の並びがとてもきれいだなと思っています。

2020/8/28(金)
久しぶりに会議がひとつもなく、のんびりした一日でした。
昼休みに予約していた本を図書館へ取りに行き、そのあと足を延ばして、福祉施設に手作りパンを買いにいきました。COVIC-19の影響で長いことお休みになっていたパンの販売も元の頻度に戻りつつあり、どこも手さぐりで活動しているのだなあと感じます。

総務省が27日に公表した7月の人口移動報告で、東京圏から他の道府県への転出が転入を上回ったというニュースを目にしました。
東京圏への人口の集中が止まるのは良い部分があるだろう、と一瞬安易に考えてしまったのですが、実際には仕事を失い、地元に帰るしかなかった、というケースもここには含まれるのだろうと思います。あるいは、東京に出てきたかったのにだめになってしまった、というようなケースもあるのではないか。ポジティブな文脈で「地方へ移住をする」という話も耳にはしますが、数字だけではそのどれであったのかはわかりません。数字を見て、良かった/悪かったとは言いきれず、そういう想像力を働かせることのむつかしさを思うばかりです。


ほさきから、ひらたさんへ

2020/8/29(土)
作家にも書店にも、自分にとってもその方が絶対得なのだろうなと思いつつ、本の事前予約や取り寄せをいまだにしたことがありません。そんなわけでユリイカ9月号は、金曜夜に店頭に置かれたものを買いました。重かった……。
歌人の松野志保さんの文章「短歌とBLの間で」は共有結晶編集メンバーの柳川さんの文章と共に読むのを楽しみにしていたもののひとつです。

"しばらく前に、あらためてこの文章を読み返しながら、なるほど、BLはおおむね「かけがえのないただ一人を思っている二人」を描くものだから、短歌となじみがいいのかもしれないなと気づいた"

岡井隆の短歌における私性の定義としてしばしば引用される”この文章”を引用してからの下りが、わたしにはかろやかなカウンター(とは、ご本人は思ってないだろうなとも思いますが)として響きました。
BL短歌が登場したばかりの頃、短歌における私性や虚構はTwitterの短歌をする人たちの間でしばしば議論になって、そのたび私はいつも、怖いような気持でいました。あの頃、タイムラインに流れてくるたくさんの言葉が「お前も我々に身の証を立てろ」と迫ってくるように見えた。そしてわたしは――実は当時あまり自覚していませんでしたが――身の証なんて立てたくなかった。
わたしの理解では松野さんは、岡井隆が歌の背後に見えるといった「ただ一人」を歌の主人公と同時に、その人が視線を向けた先にいる人のことでもあるとしているように思います。「儚くて手に入らないものをひたすら希う気持ち」とも書かれたそれはつまり、見つめる視線ということです……と書くと「いやそれ『二次創作短歌非公式ガイドブック』で黒瀬珂瀾さんも言ってたよね……?」と自分で自分に突っ込みを入れたくなるし、実際読みながら幾度もインタビューの内容を反芻したりもしたのですが。

それにしてもユリイカが金曜日、首相辞任の報が流れた日と同日だったことは、個人的にはとても幸いなことでした。

2020/8/30(日)
半年ぶりに美容院に行きました。2月にも同じお店に行っているのですが美容師さん曰く、全体的にお客さんは減っている、かつ三密回避でスタッフのシフトも減っているとのことでした。
美容室では15センチほどの細い紐の両端にゼムクリップ二つを結んだものが用意されていました。マスクの左右のゴムをそれに通して、クリップを服の背中側の布に挟むとマスクが固定される仕組みです。
美容関係について自分は関心が低いと思っていたのですが、それでも着替えや化粧をろくにしないでいると気分が落ちるものだなと、2か月弱やっていたテレワーク中に知りました。とはいえお化粧しないと顔色が悪く見える、と思うのは世の中の価値観を内面化しているからかもしれません。どこからが自分の価値観でどこからがそうでないのか、難しいなと思います。
今はヘアスタイルは軽めがはやりなんですよ、ということでそんな感じにしてもらいました。

八百屋さんで驚くほど安かった桃と梨を買い、コーヒー屋さんで季節限定の小さなパフェを食べてようやく、もしかしていま自分はとても疲れているんじゃないのか、と気づきました。怒らなければいけないのに。

2020/8/31(月)
カメラロールを見ているとうさぎ達は充実した夏休みを過ごしたなあとしみじみしてしまいます。西瓜や桃を食べ、水辺で遊んでお昼寝。世田谷美術館では有さんにかわいく撮ってもらったし(ありがとうございました)、にんげんとはえらい違いだなあとぼやきたくなってきます。

嵐が近づいてくるといわんばかりの空だったので早々に帰宅し、Coccoのライブ配信を見ました。
バンドや歌手や、何かの曲を好きになるとき何が切っ掛けになるか、色んなパターンがあると思うのですが、わたしの場合は「自分の呼吸が楽になるかどうか」です。体調が悪くなると音全般をうるさく感じがちで、そういう時でも聞ける声や音だけがプレイリストに残ります。
ライブ定番曲の位置づけなのだろう「強く儚いものたち」など、初めて聞くアレンジで嬉しかったのですが、一方で昨冬のライブを思い出して、ドラムやベースの低音がiphoneで聞くとどうしても遠くなることに今更のように気づきました。

2020/9/2(水)
すっかり秋だなーとエアコンを切って寝たら蒸し暑い目覚めになりました。
豆花とは豆乳をゼラチンで固めたものを甘いスープに入れたもの、なのでレンジで水切りした豆腐を入れるわがやの豆花は「もどき」なのですが、のど越しがよい朝食というのは実に良いものだと気付いたのであったかバージョンを検討しています。今はきくらげとジャムやゼリーをトッピングしているけど、ゆで小豆とかいいかも……と書いていたら「まめはな、ってかわいい名前だと思うんですよ」とうさぎに主張されました。そうなのか。

ひろしまタイムライン、正確には三つある内の一つで「朝鮮人」関係のtweetをした「シュン@ひろしまタイムライン」が発信を再開しました。配慮が不十分だった、差別を助長していると受け取られないよう努めるというtweetに「おかえりなさい」「待ってたよ」「気にしないで」「がんばれ!」といったリプライが沢山つく一方で携わっている演劇関係者は個別ステートメントを出しており、tweetを作成した高校生たちは現状をどう受け止めているだろうと思いました。周囲の大人達は今回のことについて、何が問題だったと説明したろう。
不適切な例えかもしれませんが、今の状況は好きだったコンテンツが関係者の発言などで好きになれなくなった時に少し似ている……と考えて、いやひろしまタイムラインもフィクションではある、と思い直しました。確かにあれはフィクション、でありコンテンツでもあるのでしょうが。

東京都が高齢者や障害者施設の入所者と職員に唾液PCRを検討しているというニュースにほっとしています。

2020/9/4(金)
最近はやるべき手続きをずいぶん溜めこんでいる気がするのですが、今日はキャンセルになったライブチケットの払い戻しを終えました。この種の手続きをすると臨時収入が入ったような嬉しい錯覚をしがちなのですが、全くそういう気がしません。
台風9、10号がすごいことになっていて、フォローしているロザリアン(薔薇愛好家のことだそうです)達が鉢植えを室内に入れる様子が日々流れてきます。酷いことができるだけ少ないと良いな、と、途方に暮れるように思います。


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