見出し画像

2020/7/25 - 8/7

ひらたから、ほさきさんへ

2020/7/25(土)
「誕生60周年記念 ミッフィー展」たのしかったですね。
ひさしぶりに都会に出たのも、銀座駅の地下を「雨どうかな、まだ降ってるかな」とか言いながらぐるぐる歩き回ったのもたのしかった。あいださんと穂崎さんと3人でごはんを食べながら、たくさんのおしゃべりができたのも。
わたしはブルーナさんがすこしずつ筆を動かしながら「うさこちゃん」を描いていく映像がたいへん印象に残りました。じっくり描きすすめていく歩みとそこに凝縮される集中力に出会って、静かに感動していました。
帰りに「うさこちゃん」の絵のついたマグカップを買いました。一つだけぽつんとあるより、揃っていたほうがかわいいなと思い、同居人の分も合わせて。底のほうが口よりも広く、どっしりとしていて、マットな手触りの釉薬が使われているのもお気に入りです。

2020/7/26(日)
午後から陶芸教室へ行き、花器などをつくっていました。
3月の半ばから5月いっぱい、教室へ行くのをおやすみしていて、というのもやっぱり、行っていいのか、行かないほうがいいのかの判断がつかなかったために動けなくなっていたからなのですが、6月からふたたび通いはじめました。
COVID-19の影響をうけての自粛期間で、わたしはずいぶん生活の見直しや、やっていたことの棚卸をしたと思います。陶芸も一度はやめてしまおうかと思っていました。焦るように作っていたのもありますし、どこにも行き場のないうつわを増やしたところで、とも。そういう迷いを抱えつつも、6月に教室に行き土にさわったときに、やっぱりやめることをやめました。土にさわっている時間が自分にとってはすごく大事だと思えたからです。
以来、まず数を作るのをやめました。前は「できたら売りたい」といった色気をすぐ出していたのですが、いまは自分で使うかどうか、売るかどうかもおいておいて、土を触って、自分の状態を確かめるためだけに作っています。逆にそうしてからのほうが良いものをつくれている気もします。
なんて、そうして作りはじめたうつわはまだひとつも最後まで焼きあがっていないのですが!

2020/7/31(金)
iPhoneのバッテリーを交換してからというもの、アイドリッシュセブンというゲームを最初からやり直しています。アイドルがコンセプトの音楽ゲームで、「アイドルを苦しめるのはいつだって(ファンの)好きの感情」であることだとか、「理想のアイドルは終わらないアイドル」だとか、アイドルという存在や、ファンとの関係からうまれる歪みのようなものを容赦なくつきつけてくるコンテンツです。

わたしが好きなのは四葉環くんという、ダンスが上手で「王様プリン」というプリンになみなみならぬ情熱を注いでいるひとです。
彼と、彼の相方である逢坂壮五くん、ライバルグループに属している十龍之介さんが家族に関して話すくだりがあります。
大企業の御曹司でありながら、アイドルになることを選んだ壮五は父親から勘当されているのですが、あるとき関係の修復について十さんからすすめられます。それは十さんにとっては「良かれと思って」していることではあり、彼に罪はないのですが、環は壮五が、父親の影響で迷ったり苦しんだり、「したいこと」を選ぶときまっさきに人の顔色を伺ってしまうことを知っているため、はっきりと「子どもを思わない親はいくらでもいる」ことを主張します。
それは環の経験からくるひとつの意見であり、壮五の問題をすっきりと解決できるものではないのですが、「家族は仲良く」というメッセージに対して、自身の経験をもとに意見を返せること、友の苦しみに寄り添いたいと思っての行動に「好きだな」と思ってしまったのでした。十さんはその主張を受け、きちんと壮五と環は別々の人間であることを伝えます。(その明確な線引きは確かに大切なことですが、複雑な気持ちにはなりました。)
その後、環は、関係の修復への期待をもちながら実家を訪ねた壮五を笑うことも、無駄だと言ってしまうことはありませんでした。彼自身は大きな期待がときに招く落胆をすでに経験から知っているのですが、それを壮五に告げることもしませんでした。
友人をできるかぎり尊重し、困ったときにはきちんと守るために前にでていく。環くんのそういうところがとてもとても好きです。

とりとめなく書いてしまいましたが、最後にこの交換日記についてすこしだけ。穂崎さん。今回はわたしからの提案を快く受け入れてくださってありがとうございます。

すこし前にツイッターでBL短歌が話題に上がっていました。そのときに、穂崎さんとわたしでBL短歌まわりのことを話すのはどうでしょう、と持ちかけました。ですが穂崎さんもわたしも、これまで十分BL短歌について語り、戦ってきました。まだ戦うのか、また戦いの言葉でもって話さなくてはならないのか、と思うと、なんだかいやなかんじがして、もう少しゆるやかな形で交換日記にはじめることになりました。

ここでは、普段の生活のなかで出会う出来事や気になることなどを通して、何かしらの交換ができたらと思います。ときには詩歌のはなしもでるかもしれません。個人的にわたしは読んだもの、触れたもののはなしをしたいなと思っています。
それにしても初回からアイドリッシュセブンの話しちゃったけど、それはありなのか? ありってことにしてほしいな!


ほさきから、ひらたさんへ

2020/8/1(土)
梅雨明け宣言が出ましたね。
久しぶりに見る青空に誘われて、朝から洗濯機を2回まわしました。作業BGMに流していた夏休み子ども電話科学相談にうさぎ達は興味津々で、なんだかすっかり夏休みの雰囲気です。

交換日記、こちらこそ声をかけてくれてありがとうございます。アイドリッシュセブンの話もありじゃないでしょうか、近々記念イベント?もあるみたいですね。

夜、PUBLIC∴GARDEN!オンラインリーディング公演の「トランス」(原作・鴻上尚史)をzoomで見ました。高校時代に読んでもうほとんど暗記しているこの劇の終盤、高校時代の己の弱さについて語りながら、やっと書くことを見つけた、もうここから逃げないとくしゃくしゃの泣きそうな顔で(zoom演劇は役者の表情が良く見えます)その人物が告げるのを、不思議に新鮮な気持ちで見ていました。それが良いとか悪いとかでなく、時が経過したその先にこうしたことは本当に起こり得るのだと、ようやく納得できたのかもしれません。

それにしても久しぶりに「上演前の諸注意」を聞きました。とはいえzoom演劇は開演前に携帯の電源を切らなくてもお手洗いに行かなくても、他のお客様のご迷惑には決してならないのですが。

2020/8/3(月)
夏の暑さも空調の冷えも得意ではないのですが、日差しの中歩いているとずっとしんなりしていた体の芯の部分がしゃんとしてくるような気がします。今年7月の日照時間は戦後最短だったようです。

COVID-19の影響で幾つもの予定が流されていくのを呆然と眺めるしかなかった3~5月は植物によく触れていました。公園の散歩はもちろん、苗を5つと種を1種類買い、台所でしなびていた人参の水耕栽培を試み、切り花を買っていました。……と、改めて書いてみると自分でもびっくりしますが。
当時買った苗のひとつであるグリーンアイスは、濃い緑の葉と白くて小さいダリアのような花のコントラストがかわいいミニバラですが、暑くなると花全体が淡いピンクがかってきます。今、日本は夏に気温30度を越すのが当たり前になりましたがそうでなかった頃、グリーンアイスのピンクの花なんて日本では殆ど見られなかっただろうと思います。

置かれた場所で咲きなさいという言葉が昔流行って、その真意は知りませんが、なかなか難しいことだなと思います。

2020/8/5(水)
早速暑さにやられてしまい、火曜日は一日休んでいました。
とろとろ眠り続けて夕食の時間頃にようやく起きると、twitterではみんなして、うがい薬はcovid-19には効かないという話をしていました。

「床下の小人たち」(メアリー・ノートン)を読み終えました。ジブリの映画「借りぐらしのアリエッティ」の原作でもあります。
7月半ばから、我が家の一番小さいうさぎが職場についてくるようになりました。卓上カレンダーとマグカップの陰に隠れつつ油断なく周囲を窺う姿にいつも何かを思い出すような気がずっとしていて、ある日ふと、ああそうだ、アリエッティだと気付いたのでした。「ミッフィー展」に行った後、図書館の児童書コーナーへ久しぶりに寄った影響もあるかもしれません。

久しぶりに読み返した「床下の小人たち」は、冒頭の描写がずいぶん陰鬱で驚きました。感染拡大防止のため県外には出るなと言われる今日この頃ですが、そうした自身の状況を小人たちに投影しているのだろうかと疑ったほどです……まあ、否定はできませんが。

「人間ってものは、借りぐらしやのためにあるのよーーパンが、バターのためっていうのと、おんなじよ!」

アリエッティが人間の少年に言うこの台詞がSFぽくてわたしは大好きなのですが(この小説は自分が読んだ最初のSF小説だとわたしは思っています)、改めて読み返してみると小人達が屋敷の床下……つまり地下で人間の道具を「借り」つつ生活する様子は、いわゆる核戦争ものや世界滅亡ものの、旧文明の遺構を利用し核シェルターで暮らす人々の描写によく似ている気がしました。かつてアリエッティと同じように床下で暮らしていた小人の娘は地上の世界について知らされず、それゆえ空とは茶色でひびが走っているものだと信じていたというくだりなんて「典型的」です。
あとがきによると「床下の小人たち」の刊行は1952年。きっと冷戦期、核戦争SFが書かれだす頃と重なるのだろうな……と考えていたのですが、読みながら、小人たちの生活は来るべき未来の核戦争だけでなく、むしろノートンの知人(あるいはノートン自身)が経験したロンドン大空襲や防空壕の記憶とも結びついているのではないかという気がしてきました。そうだそもそも、第二次世界大戦中のヨーロッパには人種の違いが理由で床下や屋根裏、本棚で作った隠し扉の向こうに隠れ住んだ人々が大勢いたではないか……。

物語の最後、人間に見つかったアリエッティ達一家がどうなったか、「床下の小人たち」でははっきりと示されません。私は読者なので一家の物語に続きがあると知っていますが、それでも、屋敷に撒かれたネズミを殺すためのガス(!)から小人たちを救おうと少年がつるはしを手に必死に駆けるシーンや、それから何年もあと、少年の姉がまくらカバーに小人たちのための塩やろうそく、角砂糖などを沢山つめて、春の丘でいつまでもいつまでも小人たちを待ったシーンを読み返していると、その向こうに夥しい死の影が透けて見えた気がして苦しくなりました。

読み終わってタイムラインを覗くと、大阪府知事がうがい薬の効能について新しいtweetをしていました。うがい薬にcovid-19予防効果はないけれどPCR検査の陰性を加速させるから使用を推奨する、という説明を3回くらい読んだのですが、ただの論理破綻にしか見えませんでした。
小さいうさぎは明日も明後日も、冒険に出るつもりのようです。

2020/8/6~7(木~金)
COVID-19感染防止のための時差出勤申請が職場で4名でました。

ひろしまタイムラインで起きていること(起こしていること?)について考えています。つまり、7月からフォローしていた3アカウントは8月6日8時15分を過ぎれば音もなく消滅するだろうと根拠もなく思い込み、6日は朝から「その時」までタイムラインをじっと見詰めていたわたしとは何なのだろう、ということです。7日の朝、3つのアカウントはそれぞれに1945年8月7日の日々を呟き続けています。

一分ときめてぬか俯す黙禱の「終り」といへばみな終るなり 竹山 宏

閲覧者を巻き込むSNSの性質やinstagramの@eva.storiesのこと、広島と長崎の原爆資料館の展示の差についてなど取り留めなく考えていたのですが、6日夜に胎内被爆者の方へのインタビュー動画を見たことで自分の中でなにかバランスが取れた気もしていて、それも何なのだろうと考えています。

instagramの@eva.storiesはホロコースト時代のユダヤ人少女の日記の内容をストーリー動画で投稿しているもので、アカウント開設からそろそろ1年になります。日記に書かれた光景を完全に再現しようとする、ホロコースト2世の富豪が手弁当で作ったこのアカウントについて知った時、こうでもしなければわからないだろう、それでもわからないだろうという声を聴いた気がしました。それが怒りなのか諦めなのか悲しみなのか、はわかりません。

そういえば共有結晶の4人で文学フリマ広島に行ったのは去年の2月でしたね。初めての文フリ広島は和やかないい雰囲気で打ち上げの牡蠣も美味しくて、駅ビルのお土産がみんなお洒落で、いいところだねと何度も言い合ったのを覚えています。当時はまだ原爆資料館は改装工事が完了していなくて、終わったらもう一度行きたいと思っていたのでした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?