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ある日突然女の子アイドルにハマった。 2022年4月24日~2023年4月24日までのこと

バンギャの私が突然アイドルにハマった日からちょうど今日で1年が経つので、
せっかくだから文章にしてみようと思います。

まず推しのアイドルとグループの紹介から。
アイドルグループ『くぴぽ』の『うの』ちゃん。くぴぽのうのちゃん。

身長は156cmで痩せ型。色白。髪の毛は暗色のボブヘアー。
おとな顔寄りの美人。
グループでの担当は『ほんわかピンク』。

新衣装のうのちゃん
photo by 宇佐美 亮さん


くぴぽは運営兼コンポーザー兼メンバーのまきちゃん、しゅりちゃん、うのちゃん、ちあきちゃんの4人組から成る、いわゆる地下アイドルという枠組みで、東京と大阪のライブハウスを中心にライブ活動をしているアイドルグループ。

そのくぴぽというアイドルグループに、ちょうど1年前の2022年4月24日に突然ハマった。
私はというとなんかいい感じの年齢の女性で、ヴィジュアル系バンドのライブに時々行くバンギャ。
なので女性アイドルにも男性アイドルとも無縁の、目の周りに濃いめの真っ黒な化粧をして音楽をやっているオジサンのバンドマンばかりを追いかけて過ごしていた。
アイドルはその人たち目的でライブに行った事もなければ(地元のフェスに出ていたのをなんとなく観たことはある)、曲を聴く事もまずない。
私の生活にアイドルは、掠る事も無いような違う畑の存在だった。

ちょうど1年前の2022年4月24日に、気になっていたヴィジュアル系バンドのライブに行ける事になり、
その時の対バン相手がくぴぽだった。
ヴィジュアル系バンドと女の子アイドルの2組の対バンなので、これは異種格闘技である。
ライブ当日、私は対バン相手をノーリサーチの状態で迎えていた。
西永福JAMの入口に貼ってあったフライヤー(その日のライブの出演者の写真などが載っている貼り紙)で、『くぴぽ』を初めて見た。
その時は5人組で、カラフルなジャージを着ている女の子たちなんだなぁと思いながら、会場の中に続く階段を降りた。

(最初から最後まで書くと誰も読まなさそうな長文になるため割愛。)


くぴぽのライブを観て、いつの間にか、ピンク衣装のボブヘアーの女の子に目を奪われていた。

私がこれまで抱いていた『地下アイドル』へのイメージが一瞬で飛んで西永福JAMの壁の隅にでも当たり弾けて消えた。
曲が、とても良かったのだ。
曲だけでなく、メンバーのダンスも歌も、ライブ中の笑顔などのパフォーマンスも、どれをとっても良かった。

ライブを終えたメンバーは全員大量の汗をかいていた。
MCでちあきちゃん(おさかなマリンブルー担当)と自己紹介をしていた青い衣装の女の子は汗で前髪の形が変わるほどで、
お客の半分くらいはバンギャの異種格闘技的な空間でも、最後まで全力でステージを見せてくれたのだという事が伝わってきた。
全力でパフォーマンスを見せてくれたのに、くぴぽは最初から最後まで全員が可愛かった。
そこに心惹かれたまま、私はなけなしの2000円で買えるだけチェキを買おうと決め、ピンク衣装のボブヘアーの女の子のチェキを4枚ゲットして帰路についた。

これまでチェキを売るタイプのバンドにハマって来なかったバンギャの私が人生で初めて買ったチェキだった。

それからの日々、「ライブで聴き取った歌詞が良かったなぁ」と思った曲から順に、サブスクでくぴぽを聴いた。
正直、ライブという非日常的空間で得た興奮を起爆剤に、一時のテンションで今好きなだけなのかもしれない、という気持ちが少しあったが、
そんな事はなく、くぴぽは聴けば聴くほど曲がとても良かった。
毎日くぴぽを聴いて、元気をもらい、そしてピンク衣装のボブヘアーの女の子、うのちゃんにずっとときめいていた。
比喩表現ではなく毎日うのちゃんの事を考える。
もう完全に、自分に降って注いだ一目惚れである。

昔なんかのテレビで「人間の一目惚れの精度は高い」という話を聞いた事がある。
確か恋愛の話で、本能的に運命の人間だと感じたらそれが本当である可能性が高いのだ、という内容だったけれど、これは恋愛に限ったことではないなあと思う。
少なくとも私の一目惚れの精度は高いようなので、動物的なのかもしれないなと思ったりする。


そして1年経った今に至る。


「まだ1年しか経っていないのか!」というのが正直な感想。
この1年の中で、メンバーの生誕、メンバーの卒業、推しの生誕祭、新メンバー募集。その他たくさんの色んな出来事があった。
2022年のうのちゃんの生誕際には、畏れ多くもフラワースタンドのセンターに置かれたうのちゃんの絵や、
メンバー全員をちいかわ(うのちゃんが好きなキャラクター)化した絵などを描かせてもらったりもした。
くぴぽがきっかけで知り合い、繋がりが出来た人が居て、ライブ関係なく一緒に遊んだりもした。
内容の濃いアイドルオタク1年生の年だったので、実質4年分くらいの月日を過ごしたような感覚。
とにかくくぴぽに関わることに対してはとても楽しい1年だった。これに尽きる。
アイドルオタク1年生の年をこんなに幸せに過ごせたのは、くぴぽのライブの楽しさ、ファンの人たちの優しさ(現場の雰囲気のあたたかさ)があってのことだと思うので、
恵まれている…と思っています。

くぴぽはグッズをライブ会場の物販で売っていたり、通販で売っていたりする。

くぴぽのグッズ通販に、『文通っぽ』というサービスがある。
購入すると、指定したメンバーから直筆の手紙が届くというサービス(メンバーが書いてくれた自分の名前とサイン入りチェキ付き)。
なんと、推しが、自分宛てに文字をつづってくれるという事なのだ。

私は持続可能なオタクライフの実現のため、楽しいコンテンツは長い期間少しずつ楽しみたいと思う人間なので、
ハマりたてですぐに文通っぽを注文するのは今私が持っている『オタクライフ初めてのことチケット/○○枚つづり』(銭湯の回数券みたいなやつ)をすぐにもぎってしまうようで、なんだかもったいないような気がしてしまい、
初めて頼んだのはうのちゃんを推し始めてからだいたい6、7か月ほど経ってからだった。
11月は私の誕生月なのもあり、自分へのプレゼントとしてもそろそろ文通っぽも頼んでみたいなぁと思ったタイミングで、いつも購入していた月ごとのコンセプトチェキなどのグッズと一緒に購入した。
購入前からなんとなく、一度頼んだら後は継続的に頼むだろうなぁと思っていた。

購入してから一週間経った頃くらいから、毎日そわそわしていた。
発送がされたら通知がメールで届くというのに、メールが届く前から毎日郵便受けを覗き、うのちゃんからの手紙が届いていて喜ぶイメージトレーニングを毎日郵便受けの前でしていた。
その時間も楽しいなと思った。これも含めて世にいう''推し活''なのだろう。
私は''推し活''を楽しんでいる自覚があった。

しばらくして発送通知が届いた。

同時に私はちょうどこの頃に、職場の、主に人事異動の件で、心を痛めたり苦しんでいた。

今もそれは続いているが、発送通知が届いた次の次の日くらいの日に、いつか来るであろうと危惧していた割と大きめな出来事があった。
それは仕事終わりで、覚悟はしていたが、一人になってから目の前が真っ暗になり、全身の血が下がっていく感覚になった。
端的にいうと人生に軽く絶望してかなりやさぐれた。
家にまっすぐ帰れずにいい大人なのにスーパーのトイレで泣いた。なるべく何も考えないように、家に帰った。

次の日、目が覚めても具合が悪かった。具合が悪いままとりあえず会社に向かったけれど仕事に集中する気が起きず昼過ぎに帰らせてもらう事にした。
会社に居ても家に居ても何も変わらない。外から入ってきたゴミで胸のなかが埋まっていくようだった。外から入ってきたゴミや湧いてくる汚い感情が胸のなかに増えるとそれに押し出されるように何もしていなくても涙がポロポロと溢れるような具合の悪さ。

あんまり覚えてないけれど漫画みたいに部屋で一人で膝を抱えていたかもしれない。
インターホンが鳴った。

嘘みたいなタイミングで郵便受けにくぴぽからのレターパックが届いていた。
(メンバーのまきちゃんが運営も担ってくれているので、くぴぽからの郵便物は主にまきちゃん含むメンバーが手作業で梱包から発送までをしてくれているらしい)

厚みから、きっと手紙もこの中に入っているだろうと分かり、急いで部屋に向かった。
早まる鼓動が、階段を早歩きで駆け上がっているせいなのか、浮きだつ心のせいなのかわからず、
緊張と期待で全身が沸き立つ。

ドアを閉めて手洗いなどを済ませると、階段を上がったせいで早まっていた鼓動の気配が止み、
残る鼓動の早まりに、今度は自分の感情がうるさく鳴っているのだと分かった。

手を洗ってからなるべく色んなものを触ってしまわないように気を付けながら、
洗ったばかりの手で、意を決して、レターパックを開封した。
一瞬神聖な気持ち。両手だけは清めた。大丈夫だ。

レターパックから取り出した封筒は、淡いピンク色の無地で、うのちゃんのイラストが一面に描かれていて、まんなかには私の名前が書かれていた。
手紙と同封されていたチェキを慎重に取り出す。
手紙は二つ折りの状態でも、透けて見えた文字がびっしりと書かれている事がわかった。
読む。
手紙の最後あたりに、私が心から望んでいる言葉があった。泣いてしまった。
まあまあいい歳の大人なのに、まあまあいい歳の大人があんまりやらないような感じで部屋で一人で大泣きをした。
あらゆる感情が沸いたし降ってきた。

さっきもう死にたくなってきたなぁと思っていた人間が、生きてて良かったと思った。
こんなに単純に世界がひっくり返っていいのだろうか、けれど今日だけはひっくり返してほしかった。
私は救われたいと思う半面、誰かに救われたくないとも思ってしまう人間で、
他人に人生を委ねる事は危険で、怖い事だと思ってしまうような性格の奴だ。

でも救われたかったし、誰かに簡単に私の事をひっくり返してほしかった。

文通っぽは''メンバーとオタクだけの秘密のやりとり''なので、内容を大きく話すことは出来ないけど、手紙の最後あたりには、
(私に)出会えて幸せです、のあとに『生きていて良かったと本気で思っています。』と書かれていた。

嬉しいとか幸せだとかいう言葉では言い尽くせない気持ちになった。

推しが、生きていて良かったと思える瞬間があったという事は、何にも代えがたい幸せだ。
オタクやファンならきっとそう思う人が多いと思う。私もその内の1人だ。

そういう瞬間を色んな人から貰い、それが日々の中にたくさんあって、うのちゃんがずっとその中で過ごせたらいいな、と思った。


その夜から数ヶ月が過ぎた。

私はその後も安定しているとはあまり言えない日々を送っている。勤めている会社の中でもまだ人事異動が度々起こり、起こり過ぎており、
私が安定を求めて腰を据えていた場所もいつしか悠々と座っている事が難しくなってきて、今やボロボロと外壁が剥がれてきている城みたいになってきた。
崩れかけの城の上に立ち呆けている気分でいる。私の足場は基本的にいつもぐらついてる。

生きてしまっている実感があって辛い日と、
生きている実感がまるでなくて辛い日がある。

私の足場のぐらつきと共に、私の心も日々揺れる。私ひとりが居なくなったところで誰の人生になんの変化もないだろう。そう思っては投げ出したり消えたくなる事が多々ある。
あんなにうのちゃんからの手紙を読んで泣いた夜があっても、私の心が無敵になる事も無ければ、今日この後死にたいな、と思う日が無くなる事はない。

それでも心が揺れた時、不安定になった時、うのちゃんの手紙のことを、うのちゃんが書いてくれた文字の一文字一文字を思い出すと、
越えてはいけない一線のかなり手前で、「だめだ、生きよう」と思えるようになった。
以前までの私はその一線のほんの手前くらいで泣きながら死ぬことを諦めてきたような、もっと弱い人間だった。
それを実感したある日に、ああ、これが、推しに救われる。という事なのか、としみじみ思った。
今も私自身は何も強くはなってはいないけれど、心の中にうのちゃんが居てくれるようになったここ数か月は、心の中の存在の大きさの分だけ、私はうのちゃんに救われてきた。

現状で最良の、救いの最適解なのだと思う。

私は私自身が強い人間ではないことを知っているから、これは今後も変わることのない性格だから、
推しが居ても無敵にはなれない私自身のことは否定せず、このままで居たいし、
けれど無敵ではないせいでどうしても辛くなってしまった時はどうしようもなく辛くてだめになりそうになる。
その時々に、心の中に居てくれるうのちゃんが、優しく救ってくれている。

今までも、あらゆる人から救いの言葉をもらった事は何度もあったが、私にそれを時間が経っても信じきるだけの強さが無く、
「私にそう言ってもらえる価値があるからこんな言葉を貰えるのだろう」ではなく、「この人はとても優しいから私にもこう言ってくれるのだ」と思ってしまってきた。
心が完全にぐらついたタイミングで、どんなに誰かの言葉を思い出しても、大切にしていた言葉は焼け石に水のようにそっと蒸発していた。
その言葉たちが価値を失ったのではなく私自身の問題なのだけれど、信じるという事は難しい。
信じたいけど怖い。人から嬉しい言葉を貰う度に、私が思う私自身の価値とその言葉とを天秤にかけてしまい、いつも葛藤がつきまとう。

今まであらゆる人から貰った言葉の中には、時間経過と共に嘘になっていったものもたくさんある。

本当は誰かを信じるなんてリスキーな事はやめておいた方がいい。人間の気持ちは変わる。そこそこ長い時間を生きてきて割と痛い目を見てきた。
けれどうのちゃんが書いてくれた言葉を信じたいと思うし、実際に心から信じている自分がいる。
うのちゃんが私にくれた言葉たちを、心から嬉しいと思っている。

アイドルは偶像だ。という有名らしい誰かの言葉がある。
だとするとファンは偶像崇拝者なのだと思う。
それならファンは、誰しも推しの事を信じても良いという、大義名分をすでに得ている事になる。
その上で私はうのちゃんを、「アイドル」としても、「ひとりの女の子」としても、何一つ疑わずに信じたい。
アイドルのうのちゃんがくれた言葉も、ひとりの女の子として同性のファンの内の一人の私にくれた言葉も全部。

そしてその言葉をなるべくずっと覚えていて、時々思い出して心を強くしたい。と思う。
誰かを信じる事で自分自身も救われる、という事も、ままあると思うから。

特典会でうのちゃんと対面した時に、うのちゃんが私の名前を呼んでくれる度に、
うのちゃんの声で私に名前が付く。

あれからうのちゃんから届いた手紙が何通か増えた。読む度にうのちゃんが優しく話しかけてくれているような気がする。

あの日ライブに行って、あの箱で出会えて本当に良かった。
もっと遅いタイミングでも私はうのちゃんを知ったその日のうちに、きっと気になっていたと思うけれど、
とても良いタイミングで出会えたと心から思っている。

私は今日も明日も明後日も仕事をする。多分一年後も十年後も健やかに生きていられたら、きっと同じようにしている。
ただ、何者にならなくても、私は生きてていいのだ。生きているだけでいいのだ。
その生活の中で時々、夢を見に行く。
電車に乗り、お金を払って、少しだけ遠くの場所に好きなアイドルに会いに行く。推しに会いに行く。
それでいいし、それがいい。
ライブハウスに行くと、推しが居てくれる。それはかけがえのないとても大きな幸せだと思う。

ステージに居てくれてありがとう。
私にうのちゃんの声で名前をつけてくれてありがとう。

うのちゃんが、私が住んでいる東京に来てくれたり、地元で家族の人たちと過ごしていたり、
近くの場所や遠くの土地で「アイドル」として、「一人の女の子」として、日々生活を送っているように、
私もくぴぽのライブに遊びに行ったり、遊びに行くのに必要なお金を得る為に仕事をしたりして、
そんな普通でありふれた感じの日々の中で心の中に確かに推しがいる、という事を大切にしながら、私も私の生活をしていきたいと、いこうと、心から思う。

最後に、うのちゃんへ
アイドルとファン、という関係が、1対多数という形だけではなく、
1対1もある、という幸せを教えてくれてありがとう。

大好きです。
これからもどうぞよろしくお願いします。


私の最愛のアイドル、
くぴぽのうのちゃんはこちら⬇️
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これ、無加工のノーマルカメラで撮った写真なんです。
驚きの可愛さ。






















そしてこのような公開告白的乱文散文を最後まで読んでくれた心優しい方にも。好きな人との素敵な日々が続きますように。

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