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京都アニメーション事件から考えたこと(私は如何にして歴史学者をやめたか)

本日1/24(水)の『朝日新聞』に、明日判決が出る京都アニメーション放火殺人事件についての談話を寄せました。紙の方は縮約版で、ウェブ(有料記事)にロング・バージョンが載っています。

事件が起きた2019年7月18日のことはよく覚えている。後に『ボードゲームが社会を変える』(共著)にまとまる企画のために、編集者と候補作を試そうとして、同日は13時過ぎからボードゲームカフェを予約していた。

おそらく自宅を出る前にネットで第一報を見たはずで、その時は「爆発」と報じられて仔細は不明だったように記憶する。帰宅後に放火殺人だとする続報が入って驚愕し、徐々に事件の全容も明らかになっていった。

そこから数日間、私自身そわそわとして精神が安定しなかった。3日後の7月21日に、江藤淳没後20周年のシンポジウムがあり(同日は江藤の命日)、主に三島事件との関連で報告することに決まっていたのが大きい。

1970年に三島由紀夫が起こした事件は、異論の余地なく「拡大自殺」だったし、江藤の死も自宅浴槽での自殺。この時点では生死不明の状態だった京アニ事件の容疑者も、おそらくは一定の自殺企図をともなって起こした事件と推測された。

結局シンポジウムは無難に、歴史=かつて起きたことについての報告だけして終えたのだが、このとき私の頭の中でずっと渦巻いていたものについては、講演を『文學界』の同年10月号に収録する際初めて文字にしている。

 問題は、それでも大量死は起こしうることのほうであったのだ。
 イデオロギーが機能している社会においては、生の否定がどの方向に拡大し、テロルの刃をむけるかを――たとえば与野党の政治家、軍の駐屯地、紛争中の宗教施設などの形で、ある程度まで予期しえる(だからそれらの場所は、十全ではないにせよ事前に護衛される)。
 しかし物語による水路づけを欠いたまま、純粋に死や破壊への衝動が拡大・発散する場合、いかなる理由で誰が狙われるかを前もって知ることは不可能だ。なにかのきっかけで私が殺されるのかもしれないし、あなたかもわからない。

「『歴史』の秩序が終ったとき」235頁

平成期に歴史学を専攻した際に、説かれていた前提とは正反対のことが起きた。そう私は事件を受けとめた。かつて戦時体制に人びとを吸引したような「物語=歴史」がなくても、否むしろ周囲と共有できる物語が「まったくない」という理由によってこそ、暴力と殺戮が生じることがあり得る。

いまや物語の過剰よりも「物語の過少」の方が、より多くの人命を奪う事態をもたらしかねない。それは歴史を「物語化すること」への警戒ばかりが説かれがちだった平成以来の学界の前提を、根底から覆す衝撃のように私には思われた。

1970年11月25日の「拡大自殺」の犠牲者は、
容疑者自身を含めて死亡2名、負傷8名。
京アニ事件の犠牲を遥かに下回る
(写真は当日の読売新聞夕刊)

2018年の4月に『知性は死なない』を刊行して病気から復帰した際には、すでに「歴史」の存在感が自明でなかった平成末の状況にあっても、私なりに大学や歴史学(者)に向けてエールを送ったつもりだった。そのことは、当時の取材でも明言している。

しかし2019年7月の事件の後に起きたのは、歴史学者のほとんどはそうした問題をなにも考える気がない怠惰な人種だという、かつて共に働いた頃にも薄々感じた事実の再確認にすぎなかった。

彼らにはなんらの使命感もなく、また社会性もない。当時の彼らが考える歴史学の存在意義の証明は、どうやらSNSを主戦場に、学者以外の歴史語りに因縁をつけては「ジッショー!」と空疎な勝利を宣することくらいのようだった。

こうした疑念については、代表的な学会誌のひとつである『歴史学研究』の2020年2月号でも、再び江藤淳を素材として明示的に伝えている(こちらはWGIP問題が主題で、京アニ事件への言及はないが)。私は常に言うべき場所で言うべきことを発信してきたのであり、学問と無縁の空間で手前勝手に歴史学(者)を腐してきたのではない。

それらの積み重ねの果てに、20年5月に新型コロナウイルス禍での歴史学者たちの「初動の誤り」を指摘したところ、なんの反省もなく居直り、自粛祭りの同調圧力に便乗すれば(学者としての業績とは関係なく)「目障りなあいつを潰せる」と振る舞う卑しい面々を目撃したので、名実ともに歴史学(者)とは縁を切ることにした。

つまりは向こうが先に殴ってきたので、こちらも歴史学(者)を殴り返しているだけのことなのだが、しかしそれとは別個に、歴史が機能しない社会で暴力の応酬をどう止めるのかについては、今後とも考えていかなくてはならないと感じている。

今回の京アニ事件についての談話もその一環ですので、多くの方にご参照いただけるなら幸いです。

追記(2月2日)
本記事を投稿した翌日の1月25日、京都地裁は青葉真司被告に死刑判決を下した。27日の『朝日新聞』によると、初めて記者との面会に応じた被告は、極刑には異存がないが「後に教訓にしていただきたい部分」が残っているので、それを発信するために控訴すると語っている。

判決を報じた26日の同紙に寄せた、私の談話(短文)は以下のとおり。

「失いたくない」と感じる人間関係があったら
 青葉被告は事件後の聴取に「死刑になってもいい」と話したと報じられた。そうした自暴自棄の人間が罪を犯せば、死刑すら「罰」にならないかもしれない。遺族の心情を思うと、たまらない気持ちになる。
 ローンオフェンダー(単独の攻撃者)型の犯罪者の暴発を防ぐには、彼らが「失いたくない」と感じる人間関係が必要だ。事件前、訪問看護師らは被告に刃物で脅されても、対面して信頼関係を築こうと努力していた。その勇気に頭が下がると共に、努力が報われず事件に至ったことが残念でならない。
 ネットの掲示板は、被告の孤立感を和らげず、むしろ妄想を加速させた。同様の事件を生まないためにも、ネットを挟んで互いに隔離しあう「孤独な快適さ」の副作用を見直す時だ。


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