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素直な君が見たくって_11月9日真偽日記

――届いてしまった。

ああどうしよう。なんで買ってしまったんだろう。
ぐるぐる部屋の中を動き回りたい気持ちを抑えて、机の上に置いてある小さな瓶を見つめる。不思議の国でアリスが飲んでいたような、まるで玩具のような見た目をしている。指先でつつけば、たぷんと液体が揺れた。

ピンポーン。

「っおわあぁ!?」

心臓が飛び出たんじゃないかと不安になるくらい驚いた。
衝撃で小瓶が倒れたが、ガラス製ではないようで割れたりはしなかった。

インターホンが鳴ったということは、だ。
慌ててスマホを拾い上げればナオヤから『着いた』と通知が来ていた。見落としていたらしい。

迎える前に小瓶を隠さなければ。
慌ててポケットに入れてから玄関に駆ける。

「遅い」

ドアを開ければ、視線をやや下げたところにナオヤの顔がある。
面倒くさがりなのに何故か艶やかな黒髪に、隠れて見えないけれどつけられたピアス。眠そうな黒い目が俺を見上げてくる。

やや無愛想でよく怖がられているものの、ナオヤは可愛い顔をしている。まあ見る目がないやつばかりで助けるのは確かだけど。

小さな顔をよく見れば鼻の頭が赤くなっている。
ドアから入り込む風からして、駅からここまでの道は寒かったんだろう。諦めずに来てくれた愛おしさが込み上げ、抱き締めたくなる衝動に駆られるけど、外でそういうことをすると怒られるのでグッと堪える。

「悪い悪い、ちょっと色々あって。こたつ、つけてあるから許して」
「こたつがあるなら許してやる」

お邪魔します、とドアをくぐり抜けてナオヤが上がってくる。
今日は試験前の勉強会と称したおうちデートである。浮かれる心に波打つ音が聞こえて急に落ち込んだ。

飲むと素直になる薬。恋人について検索していたら広告に出てきて、ついつい手が伸びてしまった。その結果が、冒頭の小瓶だ。

ポケットで揺れるそれは、ナオヤを信じていない証拠と言ってもいい。なんて最悪な彼氏だ。

「タツキ。何してんだ」
「あっいや、なんでもない。ちょっとぼーっとしてて。ナオ、何飲む?」
「んー、何あんの」
「カフェオレと、無糖のコーヒーと、カルピス」
「カルピス。あったかいのがいい」
「了解~っと」

せっかくなら俺もそれにしよう。
冷蔵庫からカルピスの原液を取り出して、ケトルでお湯を沸かす。

キッチンから首を伸ばせば、こたつで温まっているナオヤの姿があって、なんだか幸せな気持ちが沸き上がってくる。小瓶の中身は後で捨てよう。それがいい。

沈んだ気持ちがやや浮上する。せっかくのデートなのに落ち込んでばかりいるわけにいかないし。

甘い湯気をたてるマグカップを両手に持ってリビングに向かう。


「おまた、せ、えぁああぁ!?」

またしても心臓が飛び出すところだった。マグカップを落とさなくて本当に良かった。動揺して少し零したけれど、そんなことはどうだっていい。

「な、なな、ナオ、ヤ、さん?それ何、何でそれ見てんの」
「落ちてたから拾っただけだ。逆に聞くけど、これ何?タツキ?」

ジッと見上げてくるナオヤの手にあるのは、間違いなく小瓶を包んでいた箱――そう。『これで素直な気持ちが伝わるかも!?クチスベール』の包装である。そうだ、商品は梱包されてるんだった。初歩的なミスである。

ダメだ。終わった。死ぬ……よりも先にナオに謝らなくては……。

妙に冷静な頭でマグカップをこたつの上に置いてから、勢いよくガバッと頭を下げた。いわゆるジャパニーズ土下座である。

「ごめん!それはちょっと気の迷いと言いますか、一種の話題作りと言いますか、ああ嘘、それは嘘。ナオの素直な姿が見れたら嬉しいな~などという自分本位で浅はかな俺が悪いです!」「……えっと、何?お前、これ飲んだ?」
「飲んでないし、混ぜてもない。これがそれです」

ポケットから小瓶を出してナオヤに差し出す。
魔が差したのは注文したときだけだ。蓋だって開けていない。魔が差すとわかっていたからだ。

「ふぅん」

ナオヤは色白の手で掴んで興味深そうに眺めた後、きゅぽんと蓋を外した。
そして、そのまま瓶に口を付け――

「なあっ!?」
「炭酸の抜けたエナジードリンクの味がする」
「何してんの!?そんな怪しいもの飲んじゃダメだろ!ぺっしなさい、ぺっ!」
「買ったのお前だろ。そんで、飲んで欲しかったんだろ?」

ぺろりとわざとらしく唇を舐めるナオヤの表情は妖艶で、否定は出来なかった。というか、否定できる要素がない。買ったのは間違いなく俺なんだから。

「……あー……うーん……そうだな……」

ナオヤは何かを考えるように手を顎に添えた。

「嫌いだ、とかは、冗談としても面白くないよな。どうするか」

ポツポツ呟きつつそのまま少し悩んでから「決めた」と言って手招きしてくる。
俺は望まれるがままにナオに顔を近付けた。

すると。
ガッと両手で顔を押さえつけられ――唇を奪われた。

人工的な甘さがかすかに香る。
何が起きたのかわからなくて目を白黒させた。

「え、な、ななな、何、え、」
「はは、顔真っ赤」
「ほ、ほんとに、素直に……っていうか何今の!?飲んだの媚薬だったりした!?」
「ばぁか。ジョークグッズに決まってんだろ」
「じゃあ、なんで、」
「素直な俺が見たかったんだろ?」

からかうように笑うナオヤの笑顔があまりにも可愛くて、思わず飛びつこうとし、カルピスを机の上にぶちまけるのは、この後すぐのことだった。


職場の手洗い場に謎の液体が置いてあった。
マイボトルのような見た目の容器に、緑色の炭酸の抜けたメロンソーダ色の液体が入っていた。ラベルも何もなく、ぽつんと置いてあった。

恐らくは、というか、手洗い場に置いてあるのだからハンドソープのはずだ。

けれど突如現れた謎の液体はとても怪しい。
それを使って手が溶けても、自己責任だと言われたら納得してしまうだろう。

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