走馬灯は長い時間をかけてみるものなのか
昨年、祖父が亡くなった
そもそも末期がんで、無理な治療はしないことを選択していた。
肺にがんはあるけど原発不明。
発覚から1年以上、がんの大きさも変わらず平和に過ごしてた。
全員80歳越えの私の祖父母の中では、身体が1番丈夫で、認知能力も維持できている方だったと思う
ガンがわかってから、積極的に会いに行くようにした。
自然と話すことが増えたから、これまでと違う話をしていただけだった可能性もあるけど、
明らかに、亡くなる3〜4ヶ月前から、
すごく昔、祖父が学生の頃や就職したての頃の話をすることが多くなってた。
就職したときはまだこんな時代だったからこの人がこういう経緯で紹介をしてくれて、とか
祖母と結婚したときはこんな感じで、とか。
初めて聞くような話ばかり。
結婚の話は私の結婚のタイミングだったからかもしれないけども。それでも何かよく昔のことを思い出しているような気がした。
亡くなった後でふと思ったのは、
「あれは長い走馬灯をみる中で思い出したことだったのかな」ということ。
走馬灯というと、
一瞬で過去のことを思い返す印象があったけど、
ゆっくり時間をかけてみることもあるのかもしれないな、と。
小学生の頃、祖父のおそらく兄弟のお葬式に出た記憶があって
その頃、私はなんだかわかってなかったけど、悲しくなって泣いてた。
それを見た祖父が「泣いてくれてるの、ありがとう。じぃじの時も泣いてな。」
と頭を撫でながら言ったのを強く覚えていた。
だからお葬式の時も人目も憚らず泣いた。
普段だったらもっと静かに泣くけど、多分親戚の中で1番泣いてた。
その方が、喜んでくれる気がして。
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