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#よんなな朝の歌 ’23.1⑤

2023.1.13 TOKIO「AMBITIOUS JAPAN」

おはようございます。年に何度あるかどうかの県外出張の朝。新幹線の取り方どうだっけな…と、EX-IC取り出して…と、異様な手慣れ感は秘密にしておいてくれ(笑)。名古屋駅できしめん食べる時間はないか…。それよりもリーダーの「あややとぅ〜や〜♪」でアゲていくよ。。
TOKIO「AMBITIOUS JAPAN」
午前6:57 · 2023年1月13日

 「新しい鉄道唱歌を作って欲しい」。東海旅客鉄道(JR東海)社長だった葛西敬之は、文学者の中西進を介して知り合った作詞家のなかにし礼に、そう言ってこの歌を作るように依頼したという。
 葛西の依頼は、実に粋な物言いだと感じ入った。鉄道に乗って旅に出る時に口ずさめるような曲を作りたいという思い、そしてその端緒である鉄道唱歌を目指すチャレンジングな依頼。言葉のプロを口説く言葉としては、最上級の口説き文句。
 実際この日は、かなり朝の早い新幹線に乗っていた。名古屋から乗った新幹線で、東京を飛び越えて海浜幕張まで。思う以上に「旅」になってしまった。静岡に入り新居町のあたりを抜け始めると、ふと頭の中にはこの曲が流れてくる。汽車旅の歌ではなくて、あくまでも新幹線の旅情ではある。
 一方で朝の新幹線は、仕事のために使うユーザーで溢れていた。夜明けから新幹線に乗るために眠い目をこすり、仕事という戦いに挑みゆく。その見方からすれば、必ずしも行楽ではない旅の意味合いもそこにある。サビに差し込まれた「勇者であれ」は戦う企業戦士へのエールにも聞こえてくる。
 2003年10月1日、東海道新幹線の新駅としての品川駅開業。それに合わせたキャンペーンとして「AMBITIOUS JAPAN!」が展開される。開業にあたってのタイアップとして同曲もリリースされ、TOKIOにとっては3曲目のオリコン1位獲得した楽曲となる。

2023.1.14 Official髭男dism「ミックスナッツ」

…もう夜ですね。昨日の宿は夜行バスでした。やっぱり翌日がめちゃくちゃ疲れる年頃ね(笑)。 そういえば会社の同僚からミックスナッツをいただきました。ちょっとした部署異動のちょっとした還元。美味しくいただきます。 という今日の一曲…
Official髭男dism「ミックスナッツ」。
午後8:08 · 2023年1月14日

 この前日、東京オートサロンの見学をしておりました。かねてからの用事もあり、往復新幹線移動を条件に許可してもらった出張も…結局は高速バスを当日に取り直して帰宅したのが実情。少しお酒を飲もうとすると、新幹線では少し時間が足りないので。もっと言えば、泊まろうと思ったけどちょっと辞めたって感じになったのね。宿も少なかったし高かったし。
 そんな出張、実は食事も摂ったっけ…というくらい時間に押されていた感じに。幕張メッセの中もさんざん歩いたし、もっと言えば移動に次ぐ移動で疲れもなくはなかった。そんな時間の合間にポリポリしていたのが、ミックスナッツ。あまり感じていなかったのだけれども、ミックスナッツってお腹に結構来るのね。会社の同僚が部署異動の記念にと、親睦会費の還元として現物支給してくれたミックスナッツ。あまりにも大きな袋でくれたものだから、小さなタッパーに小分けにしてカバンに入れておいて。
 面白いもので、ミックスナッツって、メーカーごとに入れるものが違っていて。アーモンド、胡桃、カシューナッツ、マカダミアナッツ。今回もらった袋はこの4種類。ここにバナナチップを入れて嵩を増すものもあれば、変化球としてドライフルーツが入ったり。そういう意味では、ミックスナッツは坩堝だなと。新幹線、イベント、飲み屋にバス。背景の違う者がそれぞれ混ざり合う様子はミックスナッツのようで。スパイファミリーの主人公一家も、確かにそうだった。

2023.1.15 Yellow Magic Orchestra「君に胸キュン」

おはようございます。深夜寝る前に臨時ニュースが飛び交っていた。何と言うか、巨星墜つとしか言いようがなくて。サブカルのいろはをソリトンSide-B で学んでいたアラフォーには、ちょっと大きすぎるニュースだなって。。ご冥福を祈ります。
Yellow Magic Orchestra「君に胸キュン」
午前9:55 · 2023年1月15日

 Yellow Magic Orchestra。私のような分際が何を言っても浅い話になるのは認識していて、ゆえに個々の活動が何やらという話は控えておきたい。彼らの楽曲に熱狂した男子はごまんと居て、彼らの熱量を超えるような言葉は私には紡げない。ただし言えることがあるとすれば、静岡の山深い小さな町の片隅にある祖母の実家、そこのお兄ちゃんですら彼らの楽曲に熱狂していたという事実は、うっすらながら覚えている。その町から山を越えたあたりの小さな町に、そのY.M.Oに熱狂しプロのミュージシャンになった少年が住んでいたということを、後々知った。その二つ。
 後者については、特にこの40過ぎのおっさんにも深い影響を与えた事柄になる。その少年の名前は高野寛。NHKが放送していた伝説的サブカル番組である「ソリトンSide-B」のMCであり、数々の楽曲を世に出したシンガーソングライターである。
 彼の出演した「ソリトンSide-B」でY.M.Oのメンバーは、高野寛ら出演者から熱狂をもって迎えられ、1980年以降の音楽界に影響を及ぼした自らのワークを語る。一言一句を逃さないように、深夜帯に入った時間のテレビにかじりついたのは良い思い出だ。高橋幸宏を深く知ったのは、事実上そこから。その後聴く楽曲も何かと影響を受けたのだが、どうまとめておくべきか分からない。私が彼の凄さを語るにはもう少し語彙力が必要だ。

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