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#よんなな朝の歌 ’23.1⑧

2023.1.22 松崎ナオ「川べりの家」

おはようございます。久しぶりに夜半すぎまでお話して…背景の違う者同士が集う時間って面白い。そして三々五々解散していく背中に、それぞれの24時間があって。通話終了したあとに頭に浮かんだ、ドキュメント72時間のエンディング。人生の交差は実に面白い。
松崎ナオ「川べりの家」
午前8:41 · 2023年1月22日

 テレビ番組をあまり見ない。そこまでしっかり時間が取れないのと、テレビをつけたら音が響いてしまう家の特性もあって。テレビを見ない代わりにラジオをサイマル放送で聴くことの方が圧倒的に多い。その中でも、ビデオを撮って見ているのはドキュメンタリーが多くて。
 ドキュメント72時間。NHK総合テレビで不定期に放映されるドキュメンタリー番組。毎回とある場所の定点観測から、そこに集う人の人間模様を映し出している。同じ空間をすれ違う人間の悲喜こもごも、そこにいる理由、生きる意味。楽しくも悲しき人生の積み重ねを、きっと誰かが繰り返している。ただし、その人たちの心に傾聴しなければ、その言葉は出てこない。
 深夜に開かれるTwitterのスペースをのぞき込むと、そういう悲喜こもごもが漂っている。決していいことではないが、時間をつぶしたい大人も、行き場のない子供も。心を背伸びさせても等身大にしていても、顔は見えないが言葉が人を見せている。そんなときに、「どうして彼らはそこに集まるの?」ってふと思う。
 自分は意識高く生きようとはそう思っていないから、勉強系のスペースは敢えて敬遠しているけれども…お話ができるスペースにはよくお邪魔する。彼らとの会話は本当に楽しいけれども、その裏に何があるのだろう…それをふと思うと、心が少しだけ揺れ動く。同じ時間を紡ぐ中で苦しさや楽しさに思いを至らせる。そういう時間もまた貴重なものとなる。そして明日も、また会えたらいいなと願う訳で。

2023.1.23 星野源「アイデア」

おはようございます。月曜日の朝は「おはよう、世の中」の気分。週末に少し酷使した胃袋を擦りながら、朝を迎えたら世の中は既に回っています。今日も何か、とびきりのアイデアが湧いてきたらいいな。そんな風に思いを馳せてみたいと思います。
故に今日の気分?…星野源「アイデア」
午前7:11 · 2023年1月23日

 …はい、アイデアが湧きません。頭を酷使したウイークデーの反動で、コラムが書けません。毎日ネタを投下しているので、負債がたまるんです。書きたいけど普通に、「なんでこの曲紹介したっけ…?」ということが往々にありまして。そう、どうして星野源「アイデア」を紹介したっけ…。既に思い出せません。
 星野源と私は面識は一切ないけれども、同学年。私は今でも何者でもないが、互いに何者でもない少年時代…同じ時代に同じ番組をみて感化されたという「才能」を勝手に共有している。後々に分かったことだが、NHK教育テレビで放映されていた「ソリトンSide-B」、彼もその番組の熱心な視聴者だった。高野寛のふわふわした進行、異様に大物が出てくるゲスト陣、そして緒川たまきの美しさ。おそらく、同じものを感じていたはず。
 アーティストとしての星野源の楽曲は明るく美しくも、どこかに影のあるもの。重い病という限りなく絶望に近い場所に身を置かざるを得ない状況から復活するプロセスに裏打ちされた希望と慈愛は、聴くものを惹きつける。一方で、そんな大病をしてもなお「オ〇ニーはしちゃだめなんですか?」と下品な欲望を隠さない童貞中学生の心を持つ一面、そういう姿がまた好きで。一歩間違えばドン引き案件の発言ではあるけれども、彼はサラッと言ってしまう。そして何事もなかったかのように。その軽やかなステップはいかにも、PVで何度も見せるダンスのよう。そんな彼の前では、僕のアイデアなどはもう…凡庸でしかない。

2023.1.24 平井堅「瞳をとじて」

おはようございます。気がつけば今日も新しい朝がきました。思い出したらアカウントが消えていた方。君の抜け殻がそこにいる、そんな面持ちです。どこかで笑顔でいてほしいな、その一抹の寂しさを包みながら。僕はこうして生きていく、今日も。
今日の気分は、、平井堅「瞳をとじて」
午前8:09 · 2023年1月24日

 この歌を聴くときには、もの悲しい気持ちがいつも去来する。消えようとする人を追いかけることはするべきではないけれども、その抜け殻を感じた時の寂寥感は、何とも言うことのない世界を見せている気がする。瞼の奥に思い出す姿を追いかけても再会は叶うことがない。叶わない理由が今生の別れだとすれば。瞳を閉じても思い出ばかりが走馬灯のように走った時に、諦めを悟るものだろうか。諦めでなく折り合い、となるのだろうか。何よりも寂しくなることだけは確かなもので、その気持ちが忘れられないうちは記憶の中に生きている。
 サウダージの感情には、もう少し時間が欲しい状態ではある。まだ、過ぎたことと笑うには時間が欲しい。その気持ちを昇華するまでの時間、それが長引けば長引くほどに未練のようなものが長く続いてしまう。
 平井堅の歌には、そのような寂寥感が強く纏う。彫の深い顔に隠していたはずの「人間の儚さ」が歌声から滲むような歌い方に、心がぎゅっと締め付けられる。その心の先に思う、人生の深み。本当はどこかで、ちゃんと感情に折り合いをつけることができればいいのに、なぜか尾を引く感情を歌うことにつけては、本当に他には敵わない。
 平井堅って、2000年頃の活躍って凄かったよな…バイトでコンサート設営に行ったことある。蒸し暑い日の鎌倉大仏。参道を重いアンプ引っ張って持ち込んで、入場者管理に受付走って…。「平井の家族です」と名乗り出た子連れの女性。奥様と勘違いしたら、実のお姉さんだったっけ。

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