見出し画像

#よんなな朝の歌 ’23.4④


2023.4.17 サカナクション「新宝島」

おはよんなな。好きな曲の上位に入っているはずなのに、それだからこそ紹介していない曲でした。フロントマンの山口一郎、同年代であるが故にオマージュしている曲の数々がとても理解できて。このPVはドリフのオマージュ。中毒性のある、いい楽曲でした。
午前7:59 · 2023年4月17日

 サカナクションのフロントマンである山口一郎とは、ただ学年が同じだけで面識の一つもございません。ひとつひとつのオマージュ先がいちいち「刺さる」のはご愛敬だと言いたいけれど、意識すればするだけ「リアルタイムで見ていたものがオマージュされる」ことの重さも少しずつ感じてきて。
 それだけ、消費する側から生み出す側に変わってきている、のである。自分の表現が誰かのオマージュであったのならば、それを噛みこんで表現するサイドに来ている。つまり、アウトプットをする側に自分が立ち始めているということ。
 その先頭を走っているのが山口一郎や星野源、といった面々なんだろうな。同じようにテレビを見て育ち、それ相応の世界観を表現している。それを「そうそう!」と膝打つ自分。嫉妬はしない、自分はどうする?

2023.4.18 FANTASTIC PLASTIC MACHINE「Beautiful Days」

改めておはよんなな。美しい日々を想えば、それだけ寂しさは募る。美しい日々は美しいまま、最後まで心に秘め続けたい。朽ち行く姿を退廃的に見続けるのも愛とは言うが、美しいまま心をそっと閉じるのもまた愛。あなたはどっちがいい?
午前9:20 · 2023年4月18日

 美しい日々、その響きに何を思うか。過去のものとして退廃的に思うことか、今「なくしたくないもの」として扱うべきものなのか。
 投稿した日と今日の思いとしては、実は意見が変わっている。すべてを話すべくもないが少なくとも投稿した日のことを退廃的に思っている、ということだ。
 人は出逢って始まるという人間もいるが、出逢ってはならない場合もある。幾つかの答えの中で選ばれた解がそれであれば、それを受容するのは自分自身であるから、そこには一寸の後悔もない。
 ただし、美しい日々があるとうっすらと信じていた。この写真が指し示す、その日の朝の時点では。いや、その日中は思っていたことには間違いないか。何があったかは、まあ、墓場まで持って行くつもりだからね…。

2023.4.19 佐藤竹善「WIND OF CHANGE」

おはよんなな。自分を変えたいと思う心を突き進めるのも閉ざすのも自分。ただしその気持ちは他人が作るものではなく、自分の中で気づきや心の変化をもって作るもの。他人に あれこれ言われる前に、自分で気づいて動け。自分自身で変化の風に乗っていけ。
午前8:17 · 2023年4月19日

 Sing Like Talking のヴォーカリストとして長らく活躍している佐藤竹善のソロアルバムより。実は佐藤竹善を認識したのは1999年頃のソロプロジェクトでリリースされたこの曲を偶々聞いて、「そういえば佐藤竹善って何していた人だっけ?」と疑問に思ってから。その後、猛然と追いかけるようにSing Like Talkingの楽曲を聴きあさる始末だったのは、笑い話のひとつ。
 この曲は今一つ殻を破れない人間の臆病さを歌う曲と認識している。収録しているアルバム名前も「Fact of Life」。動かし難い人生の現実、という意味。すべてに漂うほの暗さは、そこにあったかと思うくらいに。だからこそ、朝の歌では反対のことを言ったんだよな。負けずに歩くための言葉として。

2023.4.20 東京スカパラダイスオーケストラ「君と僕」

おはよんなな。携帯電話の着メロが流行っていた頃、好きだった人の着信ガス来た時に…この歌が流れるようにしていたことをふと思い出し。その頃はインストで、か細いメロディだと思っていたのです。歌入れバージョンは別れの歌…。あっ…。
#よんなな朝の歌

 20年も昔の私が、華麗に死亡フラグを立てていたんだという話。原曲はか細くて可愛いインストメントだった、だから「いい曲だったな」と思って、好きな女の子からの着メロに使っていた。
(↓原曲はこっち)

 もっともこの曲に詩が付いたのは2010年のことだから、悲しい歌になっていたかどうかなどは知ったことではなくて。むしろ当時の私は勝手に、片思いの切なさを混ぜ込んだような詩をつけていたような気がする。エビデンスは…どこかに行きましたね。
 オリジナルはアコーディオンと口笛。オルゴールの箱を開いたかのように朴訥と流れるメロディーラインの純朴なイメージが、頭の中でラブストーリーを奏でる。自分の中ではあくまでも、インストロメンタルに妄想でつけた片想いの曲…であって欲しい。そうしておこう。その方が幸せだったと思う。

2023.4.21 細川たかし「北酒場」

おはよんなな。今週の思い出といえば札幌なんですけれども、今夜の恋もナニもございませんで長い髪の似合う女性の影もありませんでした(笑)。パンケーキは美味しかったけどね。髪といえばこの頃の細川さんって普通の髪型だったんだね。それを言いたいだけ。
午前8:13 · 2023年4月21日

 人生にはいろんなことがある。この人とコラボしたら面白そうだなと顔合わせをしたところで、いろいろと粗が見えて「だめだこりゃあ」と思うこともある。人間同士だからその相性が最後の最後まで分からないことだってある。
 相性の悪さを何となく感じながら帰ってきたその後、方向性を分ける出来事もあり…4月の話はいろいろと白紙になった。歌の中のように、出逢って早々に気が合うことの貴重さや難しさを感じた。そういう大きな学びを得たのだから有意義だったと判断している。
 こうやって振り返りができるのも、すべてを今にフィードバックしているからだと信じたい。そして経験の中で、本当に大切にするものが研ぎ澄まされていけばいい。細川たかしの頭髪も、そういう思考錯誤の先にあったものだと信じている(やめなさい)。

2023.4.22 吉田拓郎「落陽」

こんにちは。苫小牧からフェリーに乗る妄想をしばらくしています。雑魚寝部屋でサイコロコロコロする爺さんがいる、そんな光景は昔なんだろうけど。苫小牧発仙台行きの…と聴こえると、夕陽が落ちる辺りの寂しさがあって。そんな世界観、嫌いじゃないな乗ろっかな。
午後2:48 · 2023年4月22日

 昔のフェリーのイメージで語っていると、実は相当な時代錯誤があることに気が付いて。カーペット敷の雑魚寝部屋でサイコロ握りしめる情景が納められたこの詩の世界観は過去のものとなりつつある、と。
 例えば、苫小牧発仙台行のフェリーを運航している太平洋フェリーのHP(リンク参照)を覗いてみると、建造年代を追うごとに雑魚寝部屋(2等客室)は隅に追いやられ、最終的には2段ベッド方式のカプセルを並べるようなものが主流だそうで。
 言い方は悪いが、主流でない交通手段には幾何の影を想う時がある。本来ならばそういうものでなく、「旅」そのものを愉しむものとしての手段を訴求すべきものと運行会社・業界が努めた結果であろうと。
 …今回は歌の論評じゃないね、でも「その世界観」は遠くなりそうだということで。

2023.4.23 MOON CHILD「アネモネ」

おはよんなな。昨日の診断メーカーでやってみた「あなたを花にすると」。アネモネでした。小さく儚く野の隅に静かに咲く野花。花言葉全般に幸薄さを感じるが、紫の「あなたを信じて待つ」心を大切にしたい。望む心は恋、信じる心は愛。アネモネは静かに咲く。
午前10:14 · 2023年4月23日

 短文ながら文書表現をする身の端くれと思って過去の書き物を回顧すると、実は教養を問われかねない事態に陥る時がある。この曲の紹介をするタイミングなどはまさにそうで、アネモネという花のシーズンは秋…。
 はい、やってしまいました。ただし、今回だけはオーストラリアの季節ではという注釈をつけて逃がしてやってください。本当に参ったな…。
 そういうことを思えば、ラジオ局のDJや選曲担当のお仕事って本当に大変だよなと感じる。365日の折々に「その日の歌」をつける簡単なお仕事ですら難儀するというのに。そんなことをふと思いながら、改めてアネモネの花が咲き誇る季節に思いを馳せる。この曲のように明るく可憐な姿であればと願う先に、本当に素晴らしい季節が広がっていることを願いたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?