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今更魔法少女まどか☆マギカ

 2011年、10年前のアニメで本当に今更なんだけど初めてまともに通しで見て面白かったのでネタばらし全開で書きます。考察とか物語の構造自体とかが好きならとてもおすすめなアニメです。

 ではネタばらし開始。

 考察する材料が豊富なのもよいけれど、とにかくストーリー密度が高い。わずか12話で「願いの代償としての魔法少女」「魔法少女の変身のありかた」「敵の正体」「願いをかなえる側の都合」「構造の解体――円環の理」「円環の理を支える因果――ループ構造」まで一気に突っ走る。
 その間に「親」とか「それぞれが魔法少女になる願い」といった細かなネタがこれでもかと差し込まれる。

 これだけ密度が高い中、いらない描写として真っ先に省かれるのが魔法少女の敵である魔女の描写というのはちょっと面白い。エヴァンゲリオンもかなり意図的に敵である使徒の描写を省いていたと思うけれど、それでもヤシマ作戦とか、敵とそれをやっつけるエヴァの描写回がある。
 まどか☆マギカはこのあたり徹底していて、ラスボス的な存在であるワルプルギスの夜になってやっと固有名詞がふられるくらいで、あとは抽象的なイメージ描写しかない。敵の描写がそうなのだから、味方である魔法少女の武器の描写もかなり抽象化されており、武器種以外はネタ的な「ティロ・フィナーレ」を除けば剣や槍を振り回すとか、そういう描写しかない。

願いの代償としての魔法少女

 最初に提示されるのは、「3つの願い」の導入みたいなお話で、願いはひとつ、代償は魔法少女になること。魔法少女になることが代償で、魔女をやっつけてとは一言も言っていないのがポイント高い。

魔法少女の変身のありかた

 魔法少女になると体にどういう変化が起こるのか。それが「魂の物質化」で、その物質化されたものが「ソウルジェム」という符合は大変素晴らしい。ソウルジェムが操れる肉体は本人の体だけ、という縛りについては妄想するとちょっと面白い。

敵の正体

 この場合の敵、というのはきゅうべえだったり魔女だったりするのだけれど、インキュベーターという用語の説明が自覚的に省かれていたり、希望と絶望という因果の結果自分自身が敵になる、という構造だったり、考察する材料がたくさんあってたいへんよろしい。

願いをかなえる側の都合

 願いをかなえる悪魔が何故魂が欲しいのか? という一つの解答。宇宙の構造的な問題によるエネルギー不足を解決する手段。「感情というエネルギー源を持つニンゲンからの抽出」であり、「希望が絶望に代わるときのエネルギー」という設定は大変良くできている。
 と同時に、「希望と絶望はワンセット」という発想は作者である虚淵玄氏の業がよく表れているなあ、と思う。

構造の解体――円環の理

 では「希望と絶望のループ」をどう断ち切るか。その解決手段が「絶望に至る=魔女になる直前で世界の因果から消し去ってしまう神」を生み出す、というか自分(まどか)がなる、という形。これは非常にもやもやしてよろしい。目の前の希望から絶望に至りそうな魔法少女だけでなく、過去未来を含めた全ての魔法少女を対象にしてしまう、というスケールの大きさ。アニメ内でもつっこまれているが、神になってしまう当人はどうなるのかという問題。

円環の理を支える因果――ループ構造

 そもそも前項のような大規模な宇宙改変を成立させてしまう力はどこから生まれたのか。それがほむらによる時間ループによる並行世界の結合の結果、という因果も面白い。
 ほむらによる魔法少女になる代償の願いが、「まどかとやりなおしたい」であって「まどかを救いたい」という表現ではないのもよろしい。願いをかなえる側にとっては優先事項が「ループ」になるのだから、大した呪いだ。

 実はひとつだけ分からない点がある。「初回ループの時点でのまどかはなんで魔法少女になったの?」という点だ。ほむらによるループを重ねた結果、まどかはきゅうべえの最優先の勧誘対象になったはずだ。ではなぜ、初回のまどかは魔法少女になったのだろう。その願いや希望はなんだったのだろうか。きゅうべえに言わせれば、めぐり合わせによる単なる偶然かもしれないけれど。

まとめ的な蛇足

 ここまで書いて置いてなんだけど、私は他の魔法少女ものを見たことがない。んだけど、魔法少女という存在について考察をしつくした感があって「まどか☆マギカ」は大変面白い作品になっている。そしてこういう記事が今もなお書かれてしまう。

 映画版「叛逆の物語」は見たんだけどその時点ではアニメ版をそれほどちゃんと見ていなくてよく分からなかった。続編「ワルプルギスの廻天」の公開時にまとめて見るつもりはある。

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