ルックバックを考察 ラストシーンから見えてくる京本の存在
2021年にジャンプ+で公開された「ルックバック」は、2024年に映画化され、今日2024年11月8日にプライムビデオでも配信された。
ここで、1度自分なりのルックバックの解釈や考察などを書いてみたいと思う。
漫画が上手い藤野と絵が上手い京本
学年を代表して学級新聞の4コマ漫画を描いていた藤野だったが、圧倒的な画力で藤野との差を見せつける京本が突然現れるというところから物語は大きく動き始める。
小学生の藤野が4コマ漫画を描いている理由を考えると、純粋に「絵を描くのが好き」という部分と「絵が上手いことをみんなに褒められて嬉しい」という部分があることが伝わってくる。
しかし、京本の4コマ漫画が掲載されると「自分より絵が上手い子が近くにいる」ことを知ってしまう。また、周りも「藤野は絵が特別上手いわけではない」という評価に変わってしまう。
しかし、2人の4コマ漫画を比較すると、藤野は絵が特別上手いわけではないかもしれないが、漫画を描くのが上手い。それに対し京本は、絵は上手いが4コマ漫画としては全く面白くない。
しかし「大好きな絵」で比較してしまった藤野は、ここから必死にもがきながら絵の勉強を始めることになる。
唯一の理解者であり、光を当ててくれた存在が現れる
それから約2年間、藤野は絵を必死に学んで描き続ける。が、絵を描けば褒められていた2年前とは異なり、周りからは冷めた目で見られるようになっている。
むしろ絵を描いていることが変わった存在として扱われる。誰も藤野の努力している姿を受け止めてくれない。
最終的に学級新聞に掲載された藤野の「絵の勉強をした人の4コマ漫画」と、京本の「風景を4つ並べた漫画」を見比べ、藤野は大好きだった絵を描くことを諦める。
すると、絵を描かなくなった藤野を周りは喜び、家族との時間も増え、空手を習うようになる。絵を描いて喜んでもらえた2年前とは違い、絵を諦めたことで周りが安心するようなシーンは、なんだか切なく感じた。
しかし、京本だけは違った。京本だけは「藤野の漫画」を評価していたことが卒業証書を渡しに行くシーンで描かれる。
京本の部屋の前に積まれたスケッチブックからは、自分と同じように絵に時間を費やし努力してきたことが分かる。そんな京本が、挫折を味わうことになったきっかけを与えてきた京本だけが自分を認めてくれている。
絵を描くことは悪いことであり、誰も受け入れてくれない暗闇の中にいた藤野に光が当たる。京本は藤野にとって唯一の理解者のような存在に感じたはず。
ここから再び藤野はペンを握り、京本は部屋を出て、2人は一緒に漫画を描きはじめることに繋がる。
2人の関係性が変わっていく
藤野のファンである京本は、常に藤野の後ろを歩いている。藤野の背中を追い続けている立ち場にも見えてくる。漫画を描けば、藤野のキャラクターを引き立てるための背景を描いている。
藤野の背中を追いつつ、支えている立場でもあるのが京本なのかもしれない。
しかし、初めて京本は藤野の後ろから離れようとする。それが美大への進学。
常に自分の後ろにいてくれる存在だと思っていた藤野からすれば、受け入れられない。結果、藤野は漫画を描く方を選び、京本は絵の勉強をすることになり関係性が終わってしまう。
お互いを支え合うような関係を壊したのは、藤野ではなく京本からというのは何とも言えないシーン。
評価されるために時間を費やし漫画を描き続ける藤野と、純粋に絵を描きたい・学びたい京本という、クリエイターが抱えている葛藤や苦しみを対比させ決別したようにも感じ取れた。
ルック・バック最後のシーンを考察する
事件後、藤野は京本の部屋の前で泣き崩れるシーンがある。京本を部屋から出すきっかけとなった4コマ漫画を破り捨てると、藤野と京本が出会わなかった世界線が描かれ、最後には京本が描いた4コマ漫画が届き、そこには京本を救う藤野がいた。
このシーン、個人的には藤野がその場で描いた京本を救った世界線の4コマ漫画のように感じる。というよりも、別の世界線みたいなものから届いた4コマとして解釈するのは個人的に嫌だというのもある。
まず、ラストシーンで気になったのが、藤野が「私が京本を部屋から連れ出したから。私のせいだ」と責めるシーン。
不思議なのは「私が京本にあなたが必要なんだと伝えていれば。無理やり一緒に漫画を描き続けていれば」と、ならないところ。藤野の正直な気持ちとしては京本と漫画を描きたかったはず。
それが叶わず、そして京本を失った藤野から出てくる言葉が「部屋から出さなければ」という、京本とは出会わない世界線を望むのは少し違和感がある。
つまり、ここから分かることは、今の藤野にとって「京本は必要ではなくなった存在」のようにも解釈できる。この視点に立って考察していく。
京本を喜ばせたくて漫画を描いていた藤野
卒業式の日、藤野が再びペンを握った理由は「京本」だけが自分を唯一理解してくれた存在であり、読者であり、そんな京本を喜ばせたかったから。と考える。
ここから見えてくるのは、作品を作るのは「藤野」であり、その作品を読むのが「京本」となる。作り手側と読み手側という横並びではなく向かい合っている関係性だった。
しかし、お互いが支え合うような関係性になったことで一緒に漫画を作ることになってしまう。本来は、やはり藤野が漫画を描く理由は「京本」を喜ばせるためだったはず。
高校卒業間近、読み切りが評価され始めると、連載の話になる。ここで京本が藤野から離れることになるが、これは藤野を理解してくれる読者がついたことで、ルックバックという物語として京本の存在が不要になったようにも見える。振り返ると、京本が登場する前は、藤野にとっての読者はクラスメイトだったはず。
その後、京本を失って漫画家になった藤野は、売れているにも関わらず漫画をつまらなさそうに描いているように映る。これは「京本を喜ばせるために描いていた漫画」ではなくなってしまったからのように見える。
藤野にとっての「京本」に変化が起きる
京本の部屋の扉の前で私のせいだと自分を責め、4コマ漫画を破り捨てると世界線が飛び藤野と出会わなかった京本が描かれる。このシーンは藤野の頭の中の世界として考察していく。
藤野と出会わなかった京本の世界線でも、結局京本は1冊の本をきっかけに美大へ進学している。
ここから分かることは、藤野は「私に憧れて部屋を出たから美大へ通うことになってしまった」という考え方から「京本は純粋に絵を描くことが好きだから私に出会わなくても美大へ行ったはず」という考え方に変わっている。
常に京本は私の背中を追って1歩後ろを歩いている存在だという藤野のエゴが消えていく様子が伝わる。そして、京本を救ったあと、藤野が救急車で運ばれるシーンで、藤野が京本に漫画を一緒に描くことを誘うシーンがあった。
これは、藤野がやっと正直になれた自分の想い。京本が必要であるという想い。を素直にぶつけたようにも見える。一方で、京本は返事をせず嬉しそうな顔をするだけ。
これは一緒に漫画を描けることに喜んでいるのか?藤野の漫画がまた読めることに喜んでいるのか?分からない。ただ、少なくとも昔の藤野であれば「漫画を描かせてください」と京本に言わせていたのではないだろうか?
犯人の存在から見えてくる光と影
この犯人について多くは語られないが、俯瞰してみてみると結果的に藤野は漫画家になることができ、京本は部屋から出て美大へ通うことができた光の部分もあれば、一方で、そこから取りこぼされた犯人の存在も影の部分としてしっかりと描かれる。
藤野は漫画を通して京本を部屋から出して救った。出会わない世界線でも空手のキックで京本を救った。でも、犯人を救うことはできない。全員を救うことはできない。何かを得るには何かを捨てなければならないみたいな世界をしっかりと描いてくれるところもグッときた。
京本という存在を否定せず前を向く
現実世界へ戻ったラストシーンでは、藤野が京本の部屋に入る。すると、藤野の漫画を京本は全巻集め、ポスターを貼り、読者アンケートにも応えていたことが分かる。
ここで初めて藤野は、今でも京本に自分の漫画が届いていたことを知る。
漫画家と美大生の道に別れた2人の関係性は出会う前の頃に戻っており、そして今、京本が藤野のファンであることを知る卒業式の日と重なる。
そして、藤野は仕事場へ戻りペンを握ることになる。これもまたあの日と同じ。
京本の部屋の前に立ったときの藤野は「京本を部屋から出さなければ」と後悔していた。今の自分があるのは「京本」の存在であることを忘れ、「京本の存在は不要」という風に感じ取れる。
しかし、扉を開け京本の部屋に入ったことで「京本の存在は必要だった」と確信し、藤野の抱えてい何かがやっと自分の中にピタッとハマる感じが分かる。
京本の存在を否定せず、京本と向き合い、どうにもできない世界を受け入れつつ、その上で漫画を描くしかないんだというのがエンドロールの背中から伝わってきた。
京本という存在は何なのか?
序盤はルックバックという物語として、藤野を挫折させる存在であり、藤野の唯一の理解者でもある存在として描かれる。そして藤野が漫画を描くためには京本が必要だった。
中盤になると、藤野と京本は一心同体のような存在になり、2人で1つ。1人の存在のように見えてくる。そして連載をきっかけに、評価されるために漫画を描く藤野と純粋に楽しくて絵を描いていた京本が再び2つに別れる。
終盤、売れっ子の漫画家になった藤野が忘れていた「京本」という存在・感情を取り戻し、藤野は再び前を向いて漫画を描き始めるように見えた。
まとめると「京本」という存在は、物語として藤野の漫画を唯一認めてくれた存在であり、藤野を漫画家へ導いた存在でもあり、藤野が自分の漫画で笑って欲しいと思っていた存在でもある。そして、藤野が漫画家としての道を選んだ際に切り捨て失った何かなど、色々なモノが投影された存在なのではないだろうか。