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コンサバティブ

自分の似合う傾向のファッションやメイク、髪型について充分よくわかっているのだが、昔からそれを選択すると「迎合している」気がしてあえて挑戦的な方向に走ってしまう。自分で鏡を見ても落ち着かず居心地の悪さしか感じないのに、どうしてもそこに手を伸ばしてしまいがちなのだ。

かつて仕事上で指導をされて、ブランドの世界観にのっとったファッション、ヘアスタイル、メイクアップをしていた時代があるのだが、自分としては「コスプレ」と呼んで無理やりに納得してみてはいた。しかし実際にその方が仕事は非常にうまく運んだ。これには驚いた。さらにだんだん慣れていって、「自分らしいコメント」をすることもやめて「求められているコメント」をするようになったら、さらにうまく運ぶようになった気がした。

でもどんどん擦り切れて行って空虚になった。

ある日、時間つぶしに入ったコーヒーショップの道路に面した窓際の席に陣取り、道行くひとたちの姿をぼんやりと眺めていた。すると、後ろから見た女性たちの姿が一様に同じく見えて戦慄が走った。

「わたしも後ろ向いたらあのひとたちと区別がつかない…」と。別にそれがなんの問題でもあるわけがないのに、わたしは唐突に美容院に予約を入れて「今日何時になってもいいし、担当がどなたでもいいからお願いします」といって駆け込んだ。肩下に揺れていたゆるく巻いた明るい髪は、ちょうどまっすぐになっている耳下のラインまでばっさりと切られ、鏡に映る鋭角的な自分の姿が非常に好ましく思えた。似合っていなかった。でも、英断をした気がして素晴らしい心地だったのだ。

どうしてひとと同じでいると心が枯れていくのだろう。意思を込めずに装うと無人格になっていくみたいだ。

だからといって、だからといって。

photo by Thomas Leuthard


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