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s**t kingzが歴史を刻んだ日に思うこと

シッキンが歴史を刻んだ。
2023年10月25日、ダンスパフォーマンスグループ「s**t kingz(シットキングス、以下シッキン)」が史上初のダンサーによる単独の日本武道館公演を成功させた。8000人の集客だったことは翌日のスポーツ新聞で知った。私はその8000分の1となって、シッキン4人が「見たかった景色」の一部となった。

格好いいことも、パフォーマンスが最高なことも、もう十二分に分かりきっているし、言われ慣れている彼らに対して、どんな言葉が残っているだろう。彼らの凄さを語り得る言葉を持たない私ができることは、彼らが私にもたらしてくれたことを書きつづるくらいだ。

私にとって「推し活」をするのはシッキンが初めてだ。それまで好きなアーティストはもちろんいたが、両親が何かにハマる状態を嫌っていたため、ファンクラブ等に入ったことがなかったし、その反対を押し切ってまでやる情熱もどのアーティストに対してなかった(もしくは望む前から諦めていたのかもしれない)。社会人になって何度か「ファンクラブ入ろうかな」とか思うことはあっても、実際に入会することはなかった。

まぁそんな感じで「普通」に生きてきた。仕事も給料は良くないけど、やりがいを持って自分なりに一生懸命やって来た。

その「普通」は突然音を立てて崩れた。
会社で私がパワハラをしているということで退職勧告を受けた。零細企業ゆえに労働環境がブラックな会社で、私も含め社員全員、忙しい時は終電で帰るような生活の中で、私の態度がキツくて他の社員が萎縮しているということだった。離職率が高く、3年も働けば最年長格になるような職場で、私がそのポジションになり、確かに厳しい注意で相手を萎縮させた状態になったこともある。なので私に非がないとは言わないが、それでも現場で致命的なミスが起きないように全方位に神経を張り巡らせた結果のことで、会社のためにしてきたつもりのことは、報われないどころか、なけなしの退職金と「パワハラ社員」の烙印をもたらしただけだった。

そしてそのことが両親に多大なショックを与えた。高給取りにもなれず、夢を実現するでもなく、結婚の予定もない。せめて人として全うに過ごしていると思ってた娘が「加害者」になるなんて。自分たちの子育ての功績は兄妹全員「まとも」に育てたことだと思っていた両親にとって、1番下の娘はいつの間にか「まとも」じゃなくなっていた。

離職してからの就職活動は全く上手く行かず、失業保険の支給が満期終了になるギリギリでようやく決まったが、契約社員で、仕事内容もこれまでのキャリアを活かせる機会がほとんどなく、「なぜ私はここに居るのだろう?」と思う毎日だった。

「死にたい」…とまでは思わないが、「生きたい」と思うほどの理由が見当たらなかった。虚無感に襲われ、この世に自分ほどつまらない人間はいないと感じ、生きることも死ぬこともできないでいた。あってもなくても世界に何ら影響のない人生なら、なくても良いのではないか、よく「嫌いな人とは縁を切った方がいい」とか言うけど、自分であることが嫌な場合はどうすればいいんですか?どこまで本気かは知る由(よし)もないが「死にたい」というような言葉をSNSで投稿する人を羨ましくさえ思えた。人生の中でそれだけ何か「強い」感情が生まれることが羨ましかった。砂を噛むようなザラザラとした感触が続いた。全ての景色が灰色に見えたが、灰色なのは景色じゃない。私の眼であり、心だった。
 
シッキンにハマっていったのはそんな時期だった。きっかけはテレビ番組「関ジャム」で、関ジャニ∞の「NOROSHI」という楽曲を、彼らのバンド演奏と共にシッキンが踊るのだが、そのパフォーマンスに「今まで見たダンスとなんか違う。なんか気になる」と思った。その「なんか」を知りたくてyoutubeで過去の動画を見るようになり、いつの間にか「好き」になっていった。絵本『あの扉気になるけど』の出版を機に開催された横浜のトークショーに参加し、そこで初めて彼らパフォーマンスを生で見て、人となりも知り、さらに好きになった。
 
しかし、多分その時点でも「まぁ好き」ぐらいの範疇だったように思う。そのあたりの記憶はもはや曖昧だが、いわゆる「沼」にハマったのはスパイラルホールで上演された『My friend Jekyll』のように思う。名作『ジキルとハイド』を原作とした「朗読×ダンス」の舞台で、シッキンのメンバーのうちshojiさんとOguriさんが出演し、朗読(アタスン)とダンス(ジキル/ハイド)をダブルキャストで上演した。堕ちていくしかなかったジキルの哀しさ、救うことができなかったアタスンの悲しさが胸を突いた。
 
小さい頃、私が録画した好きなドラマを繰り返し見ていたら、父親に「ドラマなんて1度見れば十分だろ!何遍も繰り返し見るなんてイカレてる!」と罵られ、同じコンテンツを繰り返し見ることは「悪」だと教えられてきた私が、人生で初めてもう一度見たくて翌日の公演の当日券を求めて列に並んだ。
 
そうして、しばらくはボッチ参戦でシッキンの活動を楽しんでいた。転機が訪れたのはコロナ禍だった。自粛期間でぼんやりとした不安に襲われ、無意識に厭世的になっていた時期に、シッキンはzoomの4分割画面と会話を利用したパフォーマンスをSNSに投稿した。どんな状況下でもエンターテイメントを創造するクリエイティビティと、ネガティブな状況をポジティブに変換する姿勢に感銘を受けた。
そして、オンラインでのダンスワークショップが何回か開催された際、毎回最後に「できたら踊った動画をSNSでアップしてね」とメンバーが言う。踊れない私はSNSで動画をアップすることができない。彼らからもらった幸せを返せない自分が悔しい。メンバーの誕生日などでお祝いコメントを書いても、イラストをアップする人たちには負ける。悔しい。好きな気持ちは負けないはずなのに、届いていない気がして悔しい。別にファン同士で張り合っている訳じゃないんだけど、とにかく悔しい。この悔しさは「表現したいことができない」自分への悔しさだ。でもどうにか伝えたくて、踊るのはできないけど、「絵なら描ける」…とまで自信をもっては言えないが、何か手段を選べと言われたら絵が一番やれそうな気がする。ということでファンアートを描き出した。
 
すると、他のシッター(シッキンのファンネーム)さんから「いいね」やコメントが来るようになった。嬉しさと同時に不思議でもあった。私の「ただシッキンが好きだー!」という気持ちの発露でしかない、別段高くもないクオリティの絵を「良い」と言ってくれる人がいる。ファンアートなので95%はシッキンのふんどしを借りたようなものなのだが、それでも自分の手が生み出したものが誰かに届く、「打てば響く」という状況が嬉しかった。そうしてtwitter上で徐々に交流することが増えていった。
 
やがて大転換期が訪れた。漫画の『ゴールデンカムイ』にハマったことで北海道に漫画の聖地巡礼の旅を計画している際に、北海道情報を知りたくてtwitterに投稿したら、北海道在住のシッターの1人から、「札幌来るなら会おう」と連絡をくれた。ネット上ではすでにいろんな人と交流はしても実際会うのはこれが初めてだった。
 
「ネット上だから和気あいあいとできても、リアルでも上手くからめるのだろうか、同担拒否とか面倒くさいことになりはしないのか…」とか不安に思うこともあったが、サッポロビール工場で待ち合わせて数十分後には北海道在住の主婦3人とジンギスカン食べ放題で網を囲んでいた。北海道生まれ北海道育ちの40~50代の面々と、岡山県生まれで大学で関西に出て、仕事で東京に住むようになった30代の私。一般的な社会属性だけ見れば、すれ違うことすらなかったであろう3人と「シッキンが好き」という1点のみでつながり、今こうして1つの網(2つだったかな?)を囲んでジンギスカンを食う。なんかシュール!!!そして面白い!!!
 
私と彼女たちの人生は全然違うけど、その違いになんの優劣もない。私が持っていないものを彼女たちは持っているけど、彼女たちが持っていないものを私は持っている。そしてそれらを持っていようがいまいが、別段意味などない。だって今こうして同じ時間を過ごしているのだから。同じなのだ。
 
「あぁ人間の人生って“違い”があるだけで、そこに何の価値の優劣もないんだな」とよく世間で言われる金言が、きれいごとでも、見栄でも、負け惜しみでもなく、心底そう思った。そして旅の最後、私にとってはちょっと奮発したホテルで、最上階にある露天風呂に入り、夕日に沈む函館山を見ながら「自分で稼いだお金で、好きな漫画の聖地巡礼を人からバカにされるようなハードスケジュール(網走~北見~札幌~小樽~函館の横断)をこれでもかって位思いっきりやって、初めて会うシッターさんとジンギスカン食べて、人生最高だな!!!!」って思った。そして、「人生の勝ち組、負け組っていう表現があるけど、勝ち組っていうのは何かを持ってるかじゃない。『人生最高だな!!!』って思える瞬間がどれだけあるか」なんだと思った。

誰にも何も認めてもらえず、「何が好きか」と問われても「この程度の“好き”は“好き”にはならないんじゃないか」と自問自答したら「何を好き」と答えればいいのか分からなくなっていたが、「好きというのに誰かとの比較をする必要もないんだ。そしてクオリティが高いとか低いとかが好きの尺度になるんじゃない」と悟った。
 
ようやく自分が自分であることを楽しいと思えた。「あんな風になりたかった」という理想に比べたら今の自分はほど遠いけど、結局それが私であり、だからと言ってじゃあシッキンの推し活をやめるかと言われたらいやだし、「シッキンが好きな自分」「シッキンの推し活をする自分」を否定できない。それだけは断固として否定できない。だからしょうがない。これが私なのだ。そう思ったら楽になれた。灰色だった私の眼がようやくカラフルになっていった。
 
ちなみに絵の具の色を全部混ぜると“黒”ではなく“灰色”になるという。多分私は自分の持つカラフルな色をぐちゃぐちゃに混ぜ過ぎていたのかもしれない。どれも上手いというほどでもないが「絵が描くのが好き」なこと、「文章を書くのが割と得意」なこと、「演劇や小説など物語が好き」なこと「空想が好き」なこと、「数字は苦手」なこと、「運動神経は悪い」こと、「家事は苦手」なこと、、、1つ1つの特性(色)を少し分解していけば、あぁ私の人生は結構カラフルかもしれない。
 
そうした一種の仮説のような思いが、『HELLO ROOOMIES!!!』(ハロルミ)で確固なものになった。どんな選択をしても人生を進む限り「心のゴミ」は溜まっていく。それでもそんな「ゴミ」を抱えながら生きる主人公へ向けた、ラストの『心躍らせて』のパフォーマンスでのことだった。歌詞の内容自体は、上手くいかない自分への歯がゆさや悔しさを歌った、どちらかというと胸がキュッと締め付けられる切ない曲なのだが、そのラストの部分、ダンスで言えばラストスパートにかけて一層激しくなるところで、NOPPOさんが笑いながら踊っていたのだ。それは、もがき続ける主人公(=見ている私たち)の人生を讃え、「あなたはそのままでいいよ」と祝福するかのようだった。私の座席の位置からはNOPPOさんのその姿が目に入ったが、多分あの瞬間誰を見ても同じように感じたことだろう。

そして去年からはタップダンスも習い始めた。Oguriさんが出たブルーノートでのライブで初めて生で見た安達さんたちのタップダンスが無性に惹かれた。シッキンを好きになっていなければ、タップダンスなんて自分が手を出す習い事のリストにさえ上がらなかっただろう。無意識のうちに「ダンスはスタイルが良くておしゃれでセンスのある人がするもの」という高校時代からの刷り込みの枠の中にとどまっていたはずだ。そんな枠をポンと飛び越えさせる勇気をくれたのも、シッキンの存在が大きい。

そして、副業でアート系のライターも始めた。基本的には展覧会のレビュー記事の執筆だが、趣味の展覧会鑑賞と兼ねることもできて原稿料ももらえて一石二鳥だ。062のチャレンジ企画で作曲を始めるOguriさんや、アパレルブランド立ち上げるkazukiさん、ダンサーだからってダンス以外のやりたいことを押し殺す必要なんてないという姿に刺激をもらった。
 
もうなんの話か分からないだろうけど、つまりはファン歴5年の私は、シッキンのすごさを「世界ダンスコンテストで2連覇」と説明されてもピンと来なくて、「史上初の日本武道館単独公演を実現」させたことも、それは結果論でしかないのだ。私にとってシッキンがすごいのは、「私の人生を、人ひとりの人生をここまで明るくしてくれた」ことなのだ。
 
そんなこと、シッキン4人のあずかり知らぬところで起きた、彼らの功績を語るには何の役にも立たない些末なお話なのだが、ダンサーによる武道館単独公演という偉業を15周年の節目の年に成し遂げ、2023年10月28日で16周年となるこの日に、どうしても伝えたくなったのだ。
 
『NoEnd』の中で「宇宙が震えてる」という歌詞がある。今回の武道館公演の全体の演出を見ても、「あぁシッキンは本気で宇宙を震わせる気だったんだ」と納得した。だけど、シッキンのすごさの本質は何より、「人ひとりの魂を震えさせて、人生を変える力がある」ことなんだと。おそらくそれは、程度の差こそあれ武道館にいた8000人がそうなんだと。
 
そんな世界の片隅で起きた些細な、でも本人にとっては大きなこの変化があったという事実が、彼らが踊り続けるためのほんの少しの勇気になれば。

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