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一期一会の出会いを作る人に

兄が新築を建てた。これにより、私を含めて兄妹3人のうち私のみが持ち家がないことになった。

大阪で働く兄と、東京で働く私は、ほとんど顔を合わす機会がない。新年も私が茶道の稽古場のイベントで元日から手伝いに出るようになったので、いよいよ家族が集まる機会がなくなった。そんな中でたまたま大阪出張の予定が入ったので、新築祝いを渡そうと兄に連絡を取った。

兄は久しぶりの私からの連絡に驚き、喜んだ。そして当日は新大阪駅の構内になる居酒屋で、帰りの新幹線までのわずかな時間を二人で飲んだ。兄が独身時代の時でさえ二人で飲みに行くなんてことはなかったから、気恥ずかしい。よそよそしい雰囲気の中始まったサシ飲みは、ひとまず新築の家の話から始まった。

家の話をする中で、おもむろに兄が言った。

「だから、実家の家はお前が帰ってきた時に住めばいい。」

東京で結婚もせず働く私にとって一番の不安は老後のことだった。死に場所がない。笑われるかもしれないが、その不安は人一倍大きい。賃貸で済み続ける場合、家の中で死んだら「事故物件」扱いとなって大家さんに申し訳ない。かといって野垂れ死ぬのも嫌だ…。毎日楽しく暮らす中でも、ふとした折にそんな不安が去来する。

だから兄の言葉は、たとえ口約束だとしても、心の底から安堵した。
そして次の瞬間に思ったことはこうだった。

「会社を定年退職したら、実家に戻って、実家に茶室を作って茶道教室を開こう!」

数年前から茶道を習い始め、少しずつその面白さに目覚めていった。②ねえん前からは、関西の名刹の1つであるお寺で、私の稽古場の社中主催の茶会を開いている。実は、このお寺のトップ(座主・ざす)が、私の大学時代の友人なのだ。数年前にお父上が亡くなられて跡を継いだのだ。そしてちょうど茶道雑誌に連載を始めていたというのをSNSで知り、「茶道」という共通の話題があることをいいことに、卒業してからほとんどあっていなかった彼女に連絡を取った。そうして、寺に茶道の先生と一緒に会いに行き、茶会を開く機会を得たのだ。

茶道を習い始めた頃は、インドアで社交性の無く、休日も一人で気ままに遊びに行く方が好きな私が茶道を習って何になるのだろうか、と思うこともあった。しかし、このお寺での茶会を経て、ようやく茶道の楽しさ、人と人が交流することの悦び、そしてその場を創るために事前にさまざまな準備をすることの醍醐味を感じた。

東京で1人、今を生きること、今の時間を楽しむことに精いっぱいだった私に、「老後は実家に茶室を作って茶道教室を開く」というのは、途方もない夢だ。でも人生で初めて「将来の夢」ができた。「絵空事」でもない、もっと確かな手触りのある「夢」だ。

そう思った瞬間から、私の脳は目まぐるしく動き出した。そのために何をしなければいけないか。貯金もしないといけない。茶道についてもっと深く勉強しなくてはいけない。それは陶芸や和歌や書の知識を得ることはもちろん、日々の稽古の質(作法、心構え)を高めること、人とのつながりを密に持つことなど、やるべきことはたくさんある。

今もしっかり真面目に稽古しているつもりだったが、その「夢」ができた途端、同じ稽古場の景色の解像度がぐんと上がった気がした。そして、そのことを先生にも伝えた。本当に実家を相続できるかどうかはその時になってみないと分からない。でもそのつもりで今の過ごし方を変えていけば、おそらく何らかの形で未来が開けていくだろう。

茶席は「一期一会」。そんなかけがえのない時間を作ることのできる茶人に、いや一人の人間になりたい。

#なりたい自分


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