宵闇セレモニイ
逃げる夢をさっきから見ている。
これが夢であることは忘れないのに、何から逃げているのかはすぐに忘れる。境内に組まれた櫓から餅がまかれる時間らしかった。
山間に平たくひらかれた土地は、背の高い杉に取り囲まれて翳っている。瓦屋根のところどころ朽ちた重黒い社の横に、真新しい鐘突堂。集まった人々は大人しく突っ立ち、真顔で櫓を仰ぎながら餅がまかれるのを待っている。
ことしは柔らかいみたいやね。
誰かが口を利いたので振り向くと、梵鐘が大きく突かれた。人影のない鐘突堂で、撞木だけが突いたあとも振り子の勢いをますます強めて、ふたたび鐘声を渡らせる。
この土地の者ではないので、二度突かれるのが何のしるしであるのかは知らない。夕刻でも告げたのだろうか。何のしるしであってもいい、逃げなければいけないので、早く餅を拾いたかった。鐘の音の、だんだんに減衰してゆく余韻。集まった人々の手首にかけられたビニール袋が、土臭い風に吹かれてさりさりと乾いた音を立てている。
宵闇を砕くように、三度目の鐘が突かれた。
いよいよ餅がまかれそうだと期待して櫓上に人の姿を探していると、砂利に押し付けられながら転がる、鈍い車輪の音が近づいてくる。
櫓を囲う群衆の真ん中へと台車で運び込まれてきたのは、うずくまった形で全身をサランラップで巻かれた全裸の女たちだった。台車は三台、どの台車に乗せられた女も膝を抱えたままうつむけられて、微動だにしない若い背中がビニールの光沢でひかっている。
三番目の台車に乗せられた艶めいた身体の、細く盛り上がる背骨を目でなぞる。杉がさざめいて、首元をひとすじの風が過ぎる。ふと、いま運ばれてきたのが、自分をいつも追ってくる女であることに気づいて怖気立った。
見つかったら何をされるか分からない。思わず近くに立つ壮年のずんぐりした体躯の陰に潜むと、並べられた女たちにガソリンがかけられたので、これから焼かれるのだと知って安堵した。しっかりと焼かれたら、もう追ってくることもないだろう。三番目の女から焼いてほしいと思ったけれど、火はどこからともなく三つ灯り、同時に背中に投げ込まれた。
櫓のたもとで、人間の身体が勢いよく燃え上がる。
サランラップが溶けて自由になった四肢をぐねらせながら、女たちが身体を反らせて膝立ちになり、台車をガタガタとゆすり始めた。見てはいけない物である気がして周りの様子を伺うと、皆一様に気の毒そうな顔つきをしながら一心不乱に眺めている。ホッとして、堂々と自分も見物する。
全身を炎にまかれたまま、手前にいた女が立ち上がった。
砂利をふみしめながら一歩二歩とこちらに近づき、後退る群衆を見つめながら嘔吐する。痙攣しながらいつまでも嘔吐き、蒸し焼きになった内臓が終わりなく吐かれる口元の歪み方が、微笑んでいるように見えてくる。
「怖いから、誰かまたガソリンかけてよ」
人いきれの中から声が上がる。ビニール袋や杉が立てるものとは違う、気色の悪いざわめきが境内に満ちていく。いつまでも嫌な夢を見せられている。何から逃げているのかは忘れてしまったけれど、ここからは逃げなければいけないので、一刻も早くこの儀式が片付いて、餅まきが始まってほしい。
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シロクマ文芸部の企画に参加させていただきました。
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