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初心者の西洋美術 旧約聖書(5) 「アブラハム」

息子を神の生け贄にする

アブラハムという老人がいました。百歳という超高齢です。妻のサラも九十歳。

こんな超高齢夫婦に、神のお告げによって子どもが授かりました。

アブラハムは信仰に厚い人だったので、神はアブラハム夫妻に念願の子どもを授けたのです。

授かったのは男の子で、イサクと名付けられました。両親は彼を大切に育てます。彼が少年になったときです。神はアブラハムにこう告げました。

「イサクを連れて山に行き、生け贄(いけにえ)としてイサクをわたしに捧げなさい」

アブラハムは神のお告げに従います。翌朝、一頭のロバとふたりの若者の従者、そしてイサクとともに、神が告げた山へ向かいました。

アブラハムは、生け贄を捧げるときに燃やすたきぎを、イサクに背負わせていました。

イサクは父親に質問します。

「お父さん、たきぎはありますが、生け贄のための羊はどこにあるのでしょう?」

イサクは自分が焼かれるのを知らなかったのです。

イサクの質問に対して、アブラハムはこう答えます。

「神が生け贄の羊を用意してくださるのだ」

ふたりは、ついに目的地の山の上に着きました。

アブラハムはそこに祭壇を築き、たきぎを並べます。

そして息子イサクを縛って、たきぎの上に寝かせました。

このあたり、聖書にはイサクは抵抗したとか、「お父さん、やめてください!」と言ったとかは書いてありません。素直に従ったようです。

「信仰の父」アブラハム

アブラハムは持ってきた刀でイサクを殺そうとしたそのとき、神の使いが天から呼びかけます。

「アブラハム、アブラハム」

アブラハムは「はい、ここにおります」と答えます。

使いはこう言います。

「その殺してはならない。あなたは神を畏れているのがよく分かった。自分のひとり息子さえ、捧げてくれたのだから」

そして、アブラハムに一頭の羊を与えます。

アブラハムはイサクをたきぎの上から降ろし、その羊を生け贄として捧げました。

神の使いはこう告げます。

「あなたはひとり息子でさえおしまないで神に捧げてくれた。だからあなたを大いに祝福します。あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のようにたくさん増やしましょう。あなたの子孫は敵との戦いでも勝利を勝ち取るのです」

このエピソードから「主の山の上に備えあり」という言葉が語り伝えられるようになりました。

わたしはキリスト教の信仰はないですけれど、このエピソードを知ってから、「主の山の上に備えあり」というフレーズには、とても共感を覚えるようになりました。

アブラハムは、彼の神への絶対的な信頼と服従から、キリスト教徒の間では「信仰の父」と呼ばれています。

レンブラント《イサクの犠牲》

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エルミタージュ美術館所蔵の作品。レンブラントを代表する宗教画のひとつです。

愛する息子ののど元を、刀でかき切ろうとする瞬間、神の使いが舞い降りて、アブラハムの手を止めます。

アブラハムの手から落ちた刀が、臨場感を伝えます。

※間違い、解釈の違いなどのご指摘、歓迎です。
※画像はWikipediaより引用しました。

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