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多和田葉子著『犬婿入り』

 もう7、8年前ですね、読書会で課題図書になって買った本です。その回には参加できなかったのですが、著者の多和田葉子さんがノーベル文学賞に近い作家ということでよく名前が上がるようになっていたので、今更ながら読んでみました。多和田葉子さんの作品は初めてです。
 読み終わった感想としまして、「もっと早く読んでおけばよかった」。

 本書には表題作の『犬婿入り』と『ペルソナ』という二作が収録されています。

まず『ペルソナ』という作品について。

 物語はこんなふうに始まります。

セオンリョン・キムがそんなことをするはずがない、と初めはみんなが口をそろえて言ったものだ。道子ももちろんそう思った。セオンリョン・キムは、まじめな男だから、親切な看護夫だから、絶対に彼の仕業ではない、とみんな口をそろえて言ったものだ。レナーテが嘘をついているのだ、と。レナーテの担当医もそう言った。レナーテの入っているコーラス部の指導をしているセラピストもそう言った。レナーテが、本を借りるためではなく、おしゃべりをするために毎日出掛けて行った患者用図書室の連中もみんな口をそろえてそう言った。

 これを読んで、「ほうほう、これはセオンリョン・キムという人物をめぐる話で、彼が信用度の低いレナーテにたいして何かをやらかして、その真相を辿っていく話なのかな?」と思うわけですね。

 ページめくると、次はカタリーナという人物が出てきます。カタリーナはセオンリョン・キムの勤め先である精神病院の患者用図書館で働いている女性です。カタリーナ曰く、「レナーテは妄想を真実であるかのように話しちゃう人」らしいです。なるほどなるほど。

 いよいよ事件の真相に迫っていくのか? と思いきや、今度は道子の視点にすり変わります。道子とは、この物語の主軸となる人物で、登場人物はすべて道子につながっているのですね。この道子が探偵役になってセオンリョン・キムの事件を暴いていくのかというと、全然そんな気配はなく、弟の和男の話になったり、近所に住む佐田さんの話になったり、ストーリーの筋が一向に見えてこないのです。

 結論から言えば、物語はまったく予想していない方向に帰結します。これはすごく新鮮な体験でした。これだから読書はやめられないですね。

ここには何が描かれているのか。

 最初は人種差別の話かな、と思いました。作品の舞台は様々な人種が住むドイツで、日本人、ドイツ人、韓国人、ベトナム人などが出てきては各々の人種に対する「印象」が語られています。たとえば、韓国人の目の細さといった外見の話に始まり、「日本人と言えばトヨタ」という大雑把なカテゴライズなど、思想や生活様式の話が、絶妙に歪められて人々に膾炙されている様が皮肉っぽく描かれています。

 冒頭の「セオンリョン・キムがそんなことを〜」というのは、彼が綺麗な顔をしていて、真面目に仕事をする男だから、「そんなことをするはずがない」と思われていただけで、いざ事件を起こすと(実際、何をやったかわからないけど)、「アジア人は表情の変化が希薄で何を考えているかわからない」とネガティブな側面が表に出てきます。

 タイトルの「ペルソナ」とは、古典劇において役者が用いた仮面のことであり、心理学者のユングが自己の外的側面を表すために使った言葉です。つまり、私たちが日常的に「仮面」を被ってある種の役を演じているということを意味します。

 道子は他人に向けられた偏見に息苦しさを感じつつも、じつは自分も無意識に他人を差別し、自分の行動や思想を他人の手に委ねてしまっていることに気づくのです。最後のシーンで道子は仮面をかぶることによって、逆説的に「ペルソナ」を取っ払い、本来の自分、肉体を取り戻し、フラットな視点で物事を見ることができます。

 この作品は、不自由な言語によって、言葉の微妙なニュアンスが伝えられず、それによって「ペルソナ」がうまくかぶれないことへの歯痒さ、そしてそれによって生まれた小さな溝が大きく認知を歪めてしまうことへの恐ろしさというのが描かれているように感じました。

『犬婿入り』について。

 多摩川沿いに「キタムラ塾」という私塾があり、そこの塾長である「北村みつこ」という女性のもとに「太郎」という謎の男が転がり込んできます。ざっくり言えば、そんな話です。

 特筆すべきは、物語全体を通して「奇妙」ということ。

 北村みつこは同じティッシュを三回も使ったり、ニワトリの糞で作った軟膏を使ったり、なんだかふわふわと世間離れた生活をしていますし、太郎に関しては、みつこの臭いを嗅ぎ回りったり、みつこの首筋をちゅーちゅー吸ったりと、行動が動物じみています。それを生徒たちが親たちに伝え、親たちの間で噂話になって曲解されて広がっていく様が滑稽であり奇妙なんです。

 タイトルの「犬婿入り」とは作中で、みちこが塾に通う子供たちに話して聞かせる民話です。

 昔、王宮に面倒くさがりの女がいて、この女がお姫様の世話係だった。お姫様が小さかった頃、用を足した後でお尻を拭いてあげるのが面倒だったので、お姫様の気に入っている黒い犬に、「お姫様のお尻を綺麗に舐めてあげなさい。そうすればいつかお姫様と結婚できるよ」と言っていたところ、いつしかお姫様もその気になってしまった。
 そのあとは子供たちがしっかり覚えてなくて、黒い犬がお姫様をさらって本当に結婚してしまったとか、犬がお尻を舐めていることを知ったお姫様の両親が、お姫様と犬を島流しにしてしまったとか、かって気ままにオチを創作してしまっていました。(※この民話のオリジナルをネットで調べてみました。「犬婿入り」というタイトルは見つかるのですが、それっぽい内容の民話が見つからなかったので、ご存知の方いらしたら教えてください。)

 この作品をどのように解釈していいのやら、一瞬困りました。太郎の振る舞いがどういった意味を持つのか全然わからずに、ああだこうだ代入してみたあとに、巻末の解説を読んでみて腑に落ちました。

 これは現代における民話なのです。

 民話って、口伝によって伝わりますよね。

 北村みつこという人物像が、塾に通っている子供から、さらに親たちに伝えられ、それが奥様方の噂話によって、広がり、ねじ曲げられ、物語のようになっていく変化していくこと、また、物語が枝分かれしていろいろなパターンが生まれる様子など、民話の成り立ちそのものです。
 そこに決まった正解はなく、著者はさまに民話の成り立ち自体を描こうとしたのではないでしょうか。

 他者によって観察された人物像が本人の手を離れていくという意味で、根底には『ペルソナ』と同じテーゼがあるように感じられました。

 私の好きな好きな作家の一人に鹿島田真希さんがいます。特に好きな『二匹』という作品に、なんとなく似ているような気がしました。この『犬婿入り』が気に入ったら読んでみてください。

https://www.amazon.co.jp/犬婿入り-講談社文庫-多和田-葉子/dp/4062639106

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