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2021.7.4 会話のルール(連続投稿②)

 日曜日は文化芸術に関わるお仕事をされているHさんとお話しをしました。先日あるベントでお会いした際に、「演劇にせよアートにせよ静岡の団体は宣伝が弱いよね」という話題になり、それを深堀すべく小さな作戦会議を開くことと相成りました。せっかく時間を割いてくれているのだからと喋りまくり、心理分析モドキなところまで話が膨らんで収集がつかなくなったところでお時間となりました。会話の密度は濃いし、コーヒーも美味しくて有意義な時間であったことは間違いありませんでしたが、家に帰ってから〝悪い癖〟がだだ漏れだったことを床を転げ回って反省しました。

 Hさんとの会話を通して、今まで言語化できていなかった自分ルールに気がつきました。ぼくは「意義のある会話をすればするほど友達関係から遠ざかる」みたいなのです。もっと言えば、「意義のある会話から入るとビジネスライクな関係で終わる」というもの。
 過去の事例を掘り起こしてみると、どんなに友達関係を築きたくても、何か目的やゴールを持って話し始めると、正論(暴論)を振りかざして相手を疲れさせてしまったケースが散見されました。もともと弱気で口下手なぼくは、日常会話や〝コミュニケーションのためのコミュニケーション〟が苦手です。3人以上で話しているとなかなか輪に入れず、爪の白いところと睨めっこしています。そのため合法的に話していい場所、すなわち議論の場を与えられると水を得た鰯の群れの如くよく喋ります。
 最近はビジネスライクな付き合いが増えて、気さくで陽気な人柄を演じることに慣れてきましたが、プライベートや疲れている時などはスイッチが入らず、黙るか喋りで殴るかのどちらかに転びます。さらに分析すると、喋りで殴るケースは2ケースあります。

 ひとつは、会話の相手が嫌いな場合。ぼくは自慢しいの伊達男や言葉を選ばない薄っぺらい人間が嫌いです(暴言をお許しください)。最近はだいぶおおらかになりましたが、昔は嫌いな奴はけちょんけちょんに叩きのめしてドヤ顔をするイヤな奴でした。
 十年前、創作料理のお店に行ったときのこと。皿を彩るために緑色のソースがドット状に打たれている料理(メインは忘れました)を「カワイイ!!」とのたまうキャピキャピ女子に向けて、「カエルの卵もカワイイと思うわけ?」と言い放ち地獄の空気にした記憶があります。

 もうひとつは、相手が許してくれる場合。普段はクマムシのごとく静かに耐え忍んでいるぼくだって、一皮剥けば承認欲求の塊です。本当は話を聞いてほしいし、立派な人だと思われたいのです。なので、自分を薄っぺらい伊達男だと思われたくない一心で、〝意義のある会話〟をしようと意気込むあまり、足がもつれて谷底まで転がり落ちてしまうことも。
 Hさんはこれです。Hさんがぼくより年下で、ぼくの冗長な話を飽きずに聞いてくれるような真面目な人に思えたから油断してしまったのです。ごめんなさい。ごめんなさい。太ももをシャープペンで思いきり刺していいので許してください。

 目的やゴールのある会話は友達でなくても遠慮せずに喋っていいぶん、ラフな関係には繋がりにくくなっているのです。仲良くなることより目的達成を優先してしまうからでしょう。それがさらに承認欲求のレールに乗ってしまったら、ぼくの嫌悪する〝説教おじさん〟と同類です。
 唯一の正解は、「友達関係を築いてから意義のある話をする」なのでしょうが、共通の話題を持たない誰かとどうやってナチュラルに仲良くなれるのか謎です。みんなが当たり前に言う「心を開いて」はどの本に解説されているのでしょう。教えてください。その前に「心」の定義を説明してください。「心」はどこにあるのでしょう、頭ですか、胸ですか? てなことをいうと、三割の人から嫌われてしまいます。どうしたらいいですか?

 ほんとうはね、ぼくだってみんなとなかよくなりたいんだよ。ぼくの目をのぞきこんでごらん。ふかぁい闇がみえたら、ぼくらはおともだちだよ⭐︎
 あなたの心のパートナー、蓬生でした。それでは。

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