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2022.11.29 モットーを考えた日

じつは日記をつけている。PC上で、自分だけが読み返せるように。

しかし、最近の日記は出来事の羅列で読んでいて楽しくない。今の自分が楽しめないのに将来の自分は楽しめるのだろうか。はたして日記をつける意味はあるのだろうか。

読み返して楽しくなる日記でなければいけないのではないか、と思い始めた。ここで思い始めたが百年目である。

これでもエンターテナーの端くれである。「自分すら楽しませられないやつに他人は楽しませられない」が僕のモットーだ。

で、「モットー」って、なんだ? いつもぼんやり使っていた言葉だ。そもそもなんでカタカナなんだろう。手元に新明解国語辞典(赤くてイカした辞書だ)があるので引いてみる。

モットー〔motto〕
日常生活における努力の目標として掲げる言葉。標語。座右の銘。「親切を——としている」

新明解国語辞典第七版より

思ったよりシンプルな解説だ。シンプルゆえの力強さを感じる。イタリア語で「意味」を表す言葉らしい。へー。

用例にあった、「親切をモットーとしている」人物について考えてみる。なんだか、つまらなそうな人生を送ってそうだ。「親切をモットー」として生きているうちは本物の親切ではない気もする。親切とは心の毛穴から滲み出てしまう汗のようなものであり、モットーを意識せずとも親切ができるくらいの聖人に君はなりなさい、と考えてしまう僕は「難癖をモットーとしている」人だった。

親切と難癖。付き合うなら確実に「親切をモットーとしている」人だ。

僕のモットー、惨敗である。

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