波乱人生ー小姑からの激しいいじめ


私は、小姑の一見優しいメールに騙され

北海道から、関西へ引っ越した。


いったん別れた夫と再婚し、娘と3人で

また関西の彼の実家のそばで暮らし始めた。


彼の実家は、創価学会で

もちろん、しつこい勧誘があった。

数珠を渡され、一緒に拝まされたが

猛烈な吐き気で中断した。


入信は、やんわりずらしていた。


彼の母親は一番熱心で

宗教以外には、全くの無関心。

他に、義父や、夫の3人の兄弟、

そして、その嫁がそばにいて

その嫁が何よりの曲者だった。



最初は、とても優しく

一緒に出かけたり、奢ってくれたりしていた。


小姑は、親が早くに死んで、遺産を手にし

株などをしていたので、

実家の経済を握っていた。



こうも言う。

自分が、男に腹を刺された。そして

パニック障害にもなったし、今も腹の中が出血していて

ひどい痛みで動けないことがある。と言うのだ。



治療はしているの?と聞くと、ごまかす。


今、思うに

かわいそうに!!!と心配して欲しかったんだと思う。


人付き合いが下手な私は、

かわいそうに!とも言えなかったし


作ってくれたご飯などを

大袈裟に褒めたりも出来ない人間だった。

多分、相当、相性が悪かったのかもしれない。



私は、相変わらず、精神の薬を飲んでいた。


動けない日も多くあった。


関西で病院を変えると

私が辛いと言うと、どんどん薬を追加する病院になり、

一回に、10錠近く、朝昼夕と夜に飲んでいて

意識はあまりなかったし、

楽しいも、悲しいも感情がなかった。


ある日、小姑に、「娘がいるのにお昼寝をしちゃって。」

そんな話をした記憶はある。


その後から、小姑は豹変した。



ものすごい長文がメールで送られてきた。


“子供がいるときに昼寝をするなんて、母親失格だ。
実家のみんながそう言っている。

あんたは精神病院に入院して、子供を施設に入れろ。“



という内容で、それが関西弁で来た。


ものすごい驚いた。



鳩が豆鉄砲状態で

何が起きたのか、分からなかった。


それでも、「病気のことは理解しているから、みんな助けるって言ってたと思うけど。」と送り返したが

そんなことは全くのスルーで、

ひたすら責めてくる。


時には、電話で。

声が高いその小姑の金切声をひたすら聞かされる。


時には、家にまできて、怒って怒鳴って行くこともあった。



一度、彼の母に電話した。

「みんな母親失格だって、毎日怒られるんですがそうなんですか?」と。

義母は、

「そんなん知らんわ!!!勝手にしいや!!」と激しく怒鳴って電話を切った。



一番驚くのは、夫で、

私が家で愚痴ると、それを実家でばら撒いてきていた。


卑劣で、嘘つきなのは

もう知っていたけど、やはりショックだった。




そんなことが、半年続き

私の薬を大量に摂取することは、多くなっていて

怒鳴られるたびに、たいがい飲んで


保育園の迎えが違くなると、焦って水を大量に飲んで流していた。

段々と、意識も薄れにくくなった。



小姑は、役所や弁護士のところにも行って

私と娘を引き離そうとしていたらしいが


私が、昼寝をしたことがる、精神病がある、だけでは

引き離すことができなかったようだ。



私は、毎日小姑を呪った。

死んで欲しいと思ったし、

殺す方法までよく考えていた。

殺すなら、できるだけ苦しませたいと思った。




それでも、最終的には、

そんなことをしたら娘が一生、殺人鬼の娘になってしまうと

せずに済んだ。


殺せないのなら、自分が死のうと思っても

娘は、施設にやられるか

この悪魔たちの手に渡ってしまう。

それも避けなければ、と死ぬことは躊躇っていた。





なんとか、逃げれたらと思っても、

私には変える場所がない。

お金も、夫は一銭もくれない。


生活保護課に行っても、同居してるんだら無理!と

顔すら見てもらえなかった。

DVセンターに電話しても モラハラなどはあっても

「殴られてないんでしょ?」と終わられられてしまった。


逃げ場はなかった。



なんとか、逃してくれる男はいないかと

サイトを漁ってみてもそんな人などいない。


サイトを使って、会ったのがバレて

旦那が実家で浮気を暴露して歩いたらしい。


この時に、義父だけ

「そんなことはやめろ。」と言ってくれたらしい。

義父は、少し、私を可愛がってくれた。

自分も病気になったことがあるからか

よく気にかけてくれた。




ある日、罵倒メールがまたきて、

私は、初めて手首を切ってみた。

少しだけだったが、とても不思議な感覚。


熱くて、ジリジリして

「楽しい!何これ??」と思ったのだ。



全く死ねそうにないし、楽しいって

私のしたいことと、違うと思って、それ以来はしていない。

どっちかというと、“生きてる“自分の確認のように思った。



手首を切ってしまったと夫にメールすると

少しして

ピンポーンとなった。

また小姑で

家に入ってきて

金切声で怒鳴り続ける。


私が異常な頭がおかしい人間だと怒鳴り続ける。

子供を施設に入れろ!とまた怒鳴って、やめようとしない。


ーーーーうるさいーーーーーー

ーーーーどうやったら出て行くかなーーーーーー


私はとっさに、キッチンの包丁を握って

「出てけ。」と言った。


ものすごい叫び声をあげて、

なぜか出て行かずに、リビングのテーブルに潜った。


私は、殺意はなかったので

包丁はおいたが


すぐにテーブルごと小姑を蹴って

何度も「出てけ!」と叫び


小姑は走りでた。


そばに小姑の夫もいたのに

何一つ助けなかった。



すぐに警察がきたが

その間に、大きな袋の薬のほとんど飲んだ。


警察に泣きながら、今までのことを話した。


警察は、暗い顔で聞いていた。



そして、刃物で攻撃した傷がないかを確かめて帰っていった。



そのあと、警察に連れて行かれることはなかった。


蹴ったので、暴行はしているんだけれど。




その後、小姑は

嘘をばら撒いたのか、本当に思ったのかは分からないが


私が、自転車の空気を抜いたり、

ポストに砂を入れたり、嫌がらせをしたと言う。


そして、今度は、

金を出すから、遠くに行ってくれ、と言ったらしい。



その時、夫は、

別れるか、どうするかで迷ったが

私と娘と家を一緒に出ることにした。


私は、ものをうまく考えられないほど弱っていたと思う。


ここで、「私と娘だけで北海道に変える。」と言えば

もう少し、楽だったかもしれない。



この時、娘は4〜5歳。

私は、31〜2歳だったと思う。



今も、思う。


小姑も、きっと相当に歪んでいたんだろうと思う。

きっと、この人は本気で、私を悪だと認識したんだと思う。

子供と話すことが、正しいんだと。

だから、怒鳴り、責め立てることが正義だと感じたんだと思う。


その後、霊視してもらったことがある。


その人は、奥底で、自分を閉じ込めて小さくなって震えている。なんて言っていた。


私も、そう感じる。




私は、この時のことを思い出すと

娘に感謝する。


この子の存在だけで、生きて

人を殺さずに済んだから。



時折起きる殺人を見るたびにも思う。


この人は、助けを求める人がいなかったか、
その手を無碍(むげ)に振り払われたんではないか。


大切な守りたいものが、なかったんじゃないだろうか。

殺意を抱いた人に、相当なことをされたんだろうか、

色々、思う。


もちろん、どうであれ殺したりしては絶対にいけない。

そして、人を追い詰めてもいけない。


ほんの少しの差で、起きる何かがある。




これから、まだ人生を綴っていくが、

私はこの時に死ななくてよかったと本当に思う。

殺さなくてよかったと本当に思う。


幸せってことや、生きるってことを

自分の中で見つけ出しているから。



そして私は、伊丹に移り住む。



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