波乱人生、生まれ育った実家の悪魔たち、虐待

現在47歳

可愛い3人の子供に恵まれ

シングルマザーではあるけれど

今やっと、しあわせも感じられています


これまでの道を書いていこうと思います

かなり辛い内容の時もありますので

体調がすぐれない方は、読みやめてくださいね。


今回は、生まれ育った実家の人たちについて。


産みの親には、不要だった私は

母親方の実家に引き取られました


そこには6人の大人がいました


祖父、祖母、叔父、叔母が二人、叔母の恋人です

他に、大型犬やアヒル、インコなど動物も多くいました


母親は、長女です



祖父は、物凄い荒くれ者で
飲む・打つ・買うは当たり前

気に入らないと、暴言を吐いて
誰でも殴ります

アル中で、飲むと人格がさらにひどくなり

幻覚を見て、「悪魔がいる!!」とひっくり返ったりしていました


祖父は、かなり金持ちの家に養子にいったらしいのですが
そこで、かなりひどい目にあったと聞いています

チンピラになり、人をさして北海道に逃げたと聞いています


そこで石材業を起こします

真面目に働かず、

金をちょろまかし

飲んで、暴れる毎日でした

現在は、アルツハイマーで施設にいます



祖母は、私が母親だと言われて生きた人です

おばあちゃん、と呼んだり
母さん智呼んでいました

本当に苦労したと思います


勝手に結婚相手を

この悪魔のようなじいさんにされてからは

一人で4人を育て

スナックなどで働き

体が病弱だったにも関わらず

相当な苦労だったと思います


そして、それを引き受けてしまう体質でした


罵倒され、殴られ、誰も助けてはくれない生活

半端ない貧しさに苦しむ日々でした


子供たちには昔ながらの鉄拳制裁で

よくないことに対しては、物や手で

ボコボコに殴って育てたようです


それが正しいとも思われる時代でした


私を引き取り育てることを決意してくれたのは

祖母なので


命の恩人ではありますが

私もかなりの暴言、暴力、コントロールをされていたので

いつも、「要らないならなんで育てたんだ!!

産まれたくなかった!そのまま、殺してくれたらよかったのに!」

そう思い、若い頃は祖母を恨んでいる気持ちも大きかったのです


祖母は、曲がったことを許さず、

いつも人を思いやれ!と言いました


上手く人の気持ちを読めなければ

私は、ボッコボコに殴り、吹っ飛ばされ

「誰が育ててやってると思ってるんだ!」と

暴言が飛んできます


そんなのもは、常識だ!
女なら当たり前だろ!といきなりブチ切れる祖母に

私は、気が強くて食ってかかりました


「常識なんて人によって違うじゃん!!間違ってるよ!」


そんなことを、キレている人に言うので

さらにボッコボコにされて

痛みで気力が奪われていき、反抗しなくなりました


6歳あたりで、ほとんどの発言をやめていたと思います



祖母はとても、スピリチュアルな人でもありました


いつも、見えないものを見ていて

人が今何をしているか、そんなことまで

見えたようです


私が、ちょっと嘘をついて

遠くにカブトムシをやんちゃな子供と取りに行っても

なぜかバレているんです


ちょっとした嘘もつけず、全く逃げ場はありません


私も、ここまでではないものの、

見透かす、よりもう一息強く見える体質ですので

祖母からの遺伝かもしれません


祖母は、これから書く自分の子供ちも

悪さばかりなのですが、

それを最終的に許容して、許してしまうんです

共依存、とも言いますが


優しい人でもあったと思います

私を何よりも可愛いと、それはそれは可愛いしわくちゃの顔で笑うんです


若い時に癌で胃をほとんど失い、

血液の珍しい病気もあり

日々辛そうでしたが

私を育ててくれました

何不自由ないように、必死にものを買い与えてくれていました


それが間違っていたとしても

祖母なりに必死でした


そして、育て終わって私が最初の結婚を決めたタイミングで

末期癌がわかり

すぐに天国に行ってしまいました

まるで役目を全て終えたかのように。


今となっては、感謝しかありませんが

感謝できない長い日々がありました


周りからは、育ててくれたんでしょ?
大学まで出してくれたんだから、感謝しないと!


なんてよく言われますが


もちろん正論ですが


そんなに上手く考えられたら

人生、簡単すぎです


私も多くの苦労をして

発達障害もある子供達を一人で育て

やっと、色々なことがわかって初めて心からの感謝ができるようになりました


今、思い出すのは祖母の可愛い笑顔


試験の日、頑張っていた私の部屋に

大好きなチューリップをたくさん飾って待っていてくれたこと


闘病中も、私が行った時だけにっこりと笑ってくれたこと

私が家出をした時に、「おばあちゃんが悪かったよ、間違っていた。」と

初めて私に謝ってくれたこと、その弱々しい声

結婚して実家を出たけれど、周りの人には

「別れて戻ってくるから、部屋は開けておいてやれ。」と言ってくれていたり。


不器用だったけれど、母さんを心から尊敬します



他の家族については、ちょっと長くなってしまったので、

次へ。

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