波乱人生ー1回目の結婚、末期癌

23歳、家から出たく

結婚願望も強く

なんとか自分の子供が欲しかったので

すぐに結婚した。


相手は公務員で、34歳。

見た目は、家族も笑うほど面白い感じだった。

前の話で書いたが、自分の客だった。


相手は、私に惚れ込んでいたからか

すぐに結婚したかったのかわからないが

出会って程なくして、入籍をした。

すぐに二人で、1DKの部屋で暮らし始めた。


その1週間後ほどで、電話があった。

私の育った家からだった。

「かぁさんが、末期癌らしいんだ。」と。


私を育てくれた祖母。


末期?


相当な衝撃だった。



その時、結婚式の話が少し進んでいて

身内だけですること、ホテルなども決まっていた。


夫に、「育ててくれたおばあちゃんに、花嫁姿を見せたいから

日にちを変えられないかな。。。。」と相談した。



「一度決めたことを変えられるか!!それ、するんだったら離婚だ!!」

と、今まで聞いたことのない声で怒鳴ってきた。


それもとても、驚いた。


そんな風に怒鳴ったのは初めてだったが、

この頃から、たまに怒鳴ることがあった。



私は、心の中で「祖母に心配をかけるわけにはいかない。亡くなったら離婚しよう。
それまでは耐えよう。」と決心した。


結婚式は、相手の親族だけで行った。

悔しいので、私はお色直しを4回した。



夫の妹は、難病で

夫は、シスコン。

この妹は、結婚式で

翼になりたいなど、熱唱し、

なんて可哀想なの大会になっていて

可哀想な私と、可哀想な妹で

意味のわからない結婚式だった。


その後

叔母たちと祖母の状態について説明を受けた。


末期の子宮頸がんで

もって一年、一年半というところで

手術しても、多分効果はないなど説明を受けた。


私は、家族に

そのまま、苦しまないようにしたほうがいいと言ったが

長男の一存で、

手術はすることになった。

病気も隠し、抗がん剤もした。


数ヶ月後に、夫の転勤で

実家から1時間半くらいの田舎に行ったが

夫は、見舞いに行くな、と言った。

多分、私を信用していなかったので

浮気などをされたくなかったのだと思う。


夫はというと、風俗が好きで、

出張の後に、たまにいい匂いがして、さっぱりして帰ってきていたし

風俗誌をごっそり隠し持っていたりした。

やはり、浮気をする人は

相手も疑うのかもしれない。


私は、夫の怒りを完全に無視し

見舞いに行った。

半年くらいは、夫の元に帰らずに

看病した。

この判断をして、本当に良かったと思う。




祖母は、末期癌を

わかっていただろうと思うが、私たちに聞くことはなかった。



歩けなくなり、白血球がなくなってくるので

家に帰れなくなった。

痛み止めが増えて

幻覚を見始めたが


私が見舞いに行ったときだけ、

ニコッと笑ってくれた。


帰りたい、帰りたい、とそればかり言っていた。



1年半ほどで、亡くなった。


葬儀など、色々な手続きを

周りでしっかりできなかったので

私がした。


葬儀でも、本当に残念な人しかおらず

線香はあげずに、

お通夜も、みんな帰ってしまった。


夫はちょっと顔を出し

すぐに帰った。

後から聞いたが、

帰り、車の中で急に

線香の匂いが立ち込めたらしい。

窓も閉め切っていたので

夫は、怖くなったらしい。


おばぁちゃんの仕返しかなと、私は

ちょっと嬉しい気持ちになった。



なくなった後、

毎日泣き暮らした。


しばらくして、夫との離婚を企てた。


男の人とメールし、その履歴をわざと残した。


夫は、すぐに盗み見て

離婚だ!!!とお得意のセリフで怒鳴ってきた。


離婚しようというと、

「わかった。」と返してきた。

やっぱりなぁ、こういうと思った、そういう感想。



全く味方にもならず、離婚だ!と気に食わないと叫ぶ男の末路。


すぐに実家に帰った。


叔母は、こう言った。


「かぁさんが、お前の部屋を残しとけって言ったたんだ。別れて帰ってくるって。」



かぁさん、ありがとう。



離婚届は、クリスマスイブで、

ムードある中、離婚届を出しに行った。

ものすごく切なさが増した。


私は、この日からまた

テレクラ生活に戻ってしまった。


よし、死のう。そんな気持ちだった。


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