瑣末な考え

事実はいつもひとつだけれど、
それに対する解釈は人の数だけあるんですよね。

どんな出来事も、
心を込めた言葉も、
すべての解釈は受け手に委ねられている。

これを前提とすると、
私たちは絶対に分かり合えないのだな、
と思います。

それでも、
言葉にしたい、
伝えたい、
わかり合いたい。
と、思うことが、「愛」なんですかね。

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