人生に無駄は必要だ


無駄にこそ人生の意味がある
僕はそう思っている

今の時代、効率的に生きようと思えばいくらでも生きられる

全ての行動に価値を持たせればいい

トイレでウンコしてる時間も、スマホ持ち込んで情報収集すればいい
立派な時短だ

風呂にのんびり浸かってる時間も無駄だ
シャワーだけ浴びて、他の有意義な行動の時間に回せばいい


・・・でも、そうやって効率的な時間の使い方をしていった先で、
いったい何が手に入るというのだろう

効率的にお金を手に入れても、
そのお金もまた効率的な行動のために使われる

何のために無駄をなくすのだろう


無駄が一切ないというのは、本当に歯車と変わらない

いや、歯車ですら”遊び”という名の無駄を作っている

一見、無駄のないように見える歯車ですら、無駄な隙間があるのだ
だが、そっちの方が歯車は子気味良く回る

無駄のない生活なんてのは、結局のところギチギチに詰めた歯車でしかない

ひとつふたつなら無理にでも回せるが、数が増えてくると必ずどこかで破綻する


僕がなぜこんなことを言い出したのかと言えば、無駄のない生活に憧れる人間が世間に増えてきている印象を持っているからだ

「将来のためにはここで投資された方が無駄にならないと思います」

こんな言葉を吐く営業マンはそこら中にいることだろう

実際、こうやってnoteを書いている僕自身もきっとそうだ

「noteを書くことで何か次に繋がるんじゃないか」

「この行動は無駄にならないだろう」

そういった期待を込めて書いている節がある

この行動が心の底で無駄になることを恐れているのだ


現代日本人は無駄を極端に嫌う


無駄を「失敗」という単語に置き換えてみるといいだろう

完璧主義の日本人と言われても過言ではない

昔勤めていた会社でも、「それやって意味があるの?」と頭が痛くなるほど何度も言われた

意味があるかどうかを確かめる行為すら無駄があるから、意味がある行動をしろと言いたかったのだろう

だが、最初から意味があると分かったうえで行動できることなんて、ままあることではない

だが、最初から意味があると分かったうえで行動できることなんて、ままあることではない最近の結婚観でもそうだ

お互いの理に繋がるからと結婚するパートナーも増えてきている

「お金の無駄だから」と結婚式をしない人も昔より明らかに増えている

別に本人たちの勝手だから挙式するもしないも自由なのだが、
無駄っていったい何なんだ

無駄を失敗を、価値のあるものと思える余裕すらなくしてしまったのか

それを考えることすら、無駄と一蹴されることだろう


だが、無駄を嫌った結果の今はどうだろうか

真面目で勤勉な日本人

聞こえはいいが、海外の人たちはきっとこう思っているはずだ

「日本人って面白くねぇ」

無駄は人生に深みを持たせてくれる


例えば、中途半端に何かに取り組んで、途中で放り投げてしまったとする

男子高校生がバンドに憧れて、ギター買って、結局まともに1曲も弾けないまま終わるアレだ

高校生活という短い時間の中で考えるまでもなく、無駄の極みだろう

家族に頼み込んだのか、自分でバイトして買ったのか、少なくともお金の無駄だ

時間の使い方からしても、ギターやってた時間で勉強した方が将来のためになったろう


でも、人生を振り返った時に、ギターをやっていなかった人生はどうなのだろうか

読んでいるあなたも一度振り返ってみてほしい

「極限まで無駄をなくし、高校生活を全て勉強に充てました」
「おかげで東大に入って、今では超大手企業のエリート街道です!」

こんなことを言ってる人の人生を想像してみてほしい

無駄のない生活を送っていたことは言うまでもなく想像できるだろう

全ての行動に意味を持たせ、てきぱきとした徹底した行動っぷり

彼の人生はそんなとこだろう


だが結局、人生を振り返った時に、彼には何も面白みがない

彼の人生が悪いとは決して言わない、羨ましくさえ感じる人間も少なくないだろう

だが、面白くはないのだ

将来のためにと、今ある時間を全て捧げ、成長を実感した次の瞬間から、
また将来のためにと一切無駄のない行動が始まる

たまの息抜きに見せかけた友人との外出ですら、交友関係を広めるためだったり、知見を広げるためだったり、と意味を持って行動するのだ

まるでロボットではないだろうか

その人本人がそこで生きている必要があるのだろうか

別の効率的に生きられる誰かがそこに取って代わっても、誰も気にしないのではないだろうか

一切無駄がない人というのは、結局、人としての魅力が深みが欠如してしまうように思う

面白みがないなんてのは「人として生きている価値なし」と言われているようなものなのだ


今を生きる人たちへ


このコラム?エッセイ?を書いて、僕が何かを言いたいなんてことはない

「無駄を大事にしろ」とも言わない

「面白みのある人生にしろ」とも言わない

そんなことを言っても人の心は簡単には変わらないし、僕の拙い文章で変わる気持ちなら、明日にでもまた別の方向に向いているだろう


ただ、少し、読んだ人の心に一石投じられたらいい

これが誰にも読まれなくて、無駄になることだってあるだろう

でも、無駄になっていい

無駄になるからと前進を恐れるよりも、よほどいい

無駄だったことに意味を持たせるのも結局は己自身

自分自身が無駄を好ける人生でありたいと、そう思ってくれる人が増えることを願っている

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