nekonote なかつかようこ

お仕事に関することや、趣味で通ってる文章教室で提出したエッセイを載せています。

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個人事業主に安心を提供する存在でありたい|経理サポーターの想いに迫る

税理士事務所の勤務から、個人事業主専門の経理サポーターとして独立された中塚 陽子さん。会社員から個人事業主として独立した背景には、人との出会いが大きく関わっているのだそうです。中塚さんが独立した経緯や仕事に対する想いを伺いました。 人との出会いがきっかけで税理士事務所勤務から個人事業主へーー中塚さんは、今どのようなお仕事をされているのでしょうか? 私は今、個人事業主として活動し始めたところで、主に個人事業主の方やフリーランスの方の記帳代行、経理関係の相談を受けています。「

    • 悪口の効能

      悪口おばさんもプライドがあってね。 私は悪口の語彙が多いように思う。体感ではあるが。 そして私の周りは善良な人が多い。何故善良と言えるのか。それは「悪い言葉を知らないし言わない」から。 時折私のディスリスペクトが止まらないときに、彼らは目を丸くして私を見ている。 私はそのとき、エ○ネム(某世界的有名ラッパー)の魂をインストールしたかのような勢いで、正直気持ちがいいとしか思っていない。 おそらく顔はめちゃくちゃ悪い顔をしていると思う。まあ、醜い顔でも構わない。またスッキリし

      • 寂しがり屋の哲学

        今更なのだが、私は変わっていると言われたいわけではないし、むしろ人と違う、というのはすごく苦手な方だ。 正直、どうしていいかわからない。話していたら、相手が戸惑うというのは、私にとっては地獄に近い。 取り急ぎふざけて緩和してみるものの、心が軋む音がする。 哲学を連呼し、尖ったナイフどころか巨大な斧を振り回して人と対話してしまっている自覚はある。相手の顔はだいたい、唖然としていることの方が多い。毎度、申し訳ないとは思っているのだが。 そもそも私がこんなにも哲学に熱中したのは

        • ファンキー、とんちき、17歳

          私のとんちきさってここから始まったんじゃないかな、と思うのは17歳のエピソードで、なかなか濃い経験をしてしまっている。 高校3年生である。同級生は18歳を迎えていく中、早生まれの私はだいたい、なんのエピソードでも17歳になりがちの頃。 ※とんちきとは、まぬけという意味。なんとなく、そういう意味合いを込めたくなったので使っています。人間社会じゃ、わりと間抜けですからね、私。 倫理の先生との出会い 実は、17歳の夏頃に、受験や他のストレスで盲腸が炎症を起こしている。あれよあれ

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          nekonote なかつかようこです。

          はじめまして。なかつかようこと申します。 nekonoteとしていろいろなお手伝いをしています。 経理サポーターとしてはこちらの記事を参考に。 また、鹿児島カフェ会☕さんの運営サポーターとしても活動しています。 代理主催カフェラーとして紹介していただいております。 紹介ページはこちら。 まだまだ発展途上ですので、まずはお気軽にお声かけくださいませ。

          nekonote なかつかようこです。

          家族というもの

          ある日、いつものように母と買い物に出かけた。必要な食材をカゴに放り込み、レジを通って会計をする。買った物をエコバッグにぎゅうぎゅうに詰め込んで、入りきらなかった物は予備のエコバッグへ。二つのエコバッグをカートに乗せ、出口へと向かう。カートを元の置き場に戻すときに、ぎゅうぎゅうに物が詰まった、重たい方のエコバッグを取ろうと、手を伸ばした。 咄嗟に母が言う。「それは重たいよ。こっちを持ちなさい。」言い終わらないうちに、母は重たい方のエコバッグを持って、さっさと出口へ向かっていっ

          彼女と歌

           「この気もちはなんだろう」から始まる歌がある。私が中学生の頃、友人に誘われて入った合唱部で歌った歌だ。その歌と、誘ってくれた友人のことを、今でも鮮明に思い出す。 その友人は、引っ込み思案で人付き合いが苦手だった私に、いつも親しげに話しかけてくれた。明るくて愛嬌のある人だった。 私と彼女は、楽しく会話もしたけれど、同じ合唱部ということもあってか、二人でそっと歌うことも多かった。 私がアルトパート、彼女はソプラノパートと別れていたので、歌うたびに綺麗なハーモニーが奏でられた。