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顔と向き合う

思い出したようにインターンの話をまたしてしまう。
大学4年だったか、院1年だったかはもう忘れた。


インターン先のアートプロジェクトの話はこの記事も是非。

私は、地域でのアートプロジェクトを行うNPO法人でなんだかんだ4年くらいインターンをしていた。
そのうちの一つに高学年の児童を対象としたプロジェクトがあった。
だいたい小学校6年生、たまに5年生を対象とする内容だ。

ある年は小6の子を対象に、「自分の顔を描く」という内容で行った。
A3程度の大きめの紙に、自分をじっくりと観察しながら、自分の顔を描く。
それこそ「美術の授業」的なテーマに見えるだろう。
こんなことを言いながらも、私は最後の発表の日の手伝いにしか行っていない。
つまり、描いたプロセスを全く知らずに描いた自画像をその時初めて見た。

自分を観察し、自分自身で描いた顔を、自分の気に入ったところに展示するのがその日の「発表」だったのだ。


正直、プロジェクトの内容や目的を把握せずに(久しぶりに外に出ないとなあ…)くらいの気持ちで行ったので、何がなんだか分からない状態で子どもたちの自画像を見ていた。


その中でも強烈な黄緑色の背景に、強烈なビビッドさで自分を描く男の子が目に留まった。
彼はいわゆる「絵の上手い」子ではないのだろうな、と感じた。
悲しいかな自分も昔は「絵の上手い」子だったので、「絵の上手い」子の描くポイントがなんとなく分かってしまうのだ。


彼の絵は自分の顔と向き合った絵だというのがよく伝わってくる。
自分の表情や、心情を観察して、苦戦しながら描いたことが感じられる絵だった。

「いい絵だね」と本人に伝えた。
褒められて驚いた様子だったが、自信を持って頷く顔が印象的だった。


小6は心が揺れる、不安定な学年だと思う。
自分がそうだった。
中学受験をする子としない子の軋轢や、誰に恋人ができたとか、携帯をみんなが持ち始めたのもこの頃だったか。
身体の成長も男女共に顕著になってくる。
恋愛や性描写のある漫画を喜んで読む女子が理解できないと思っていた。

全て嫌で仕方なかった。
全てが嫌で友達とのトラブルが多かった。


大学生になってアートプロジェクトで関わった小6の子も中学受験が、勉強が、親が嫌で、作品の発表会の日に逃げ出してしまった子がいた。

そんな小6の時期に自分の顔を描く。
あのいい絵を描いた少年は、描くことを通して自分と向き合っていた。
自分の顔や、内面に向き合うことがしんどくなる年頃だろうに。

大人になって、どれだけ自分に向き合ってこなかったか、考える。
自分の外見もバカにされてばっかだったし、そんなんだから内面もろくなもんじゃないと思う。
そんなぐずぐずで崩れそうなものに向き合いたくないから自分は他に肯定感を求めるところがある、気がする。

自分の顔。私を私たりえるもの。
顔を描くということは顔を描くことそのものではなく、その私たりえるものに触れるための入り口の動作なのだ。


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