見出し画像

エモ文2022夏

コスパ、若い世代は好きなのではないか。雑だが。

悲惨なニュースがあろうと無かろうと情報過多だし、心身のエネルギーを使わなくてよいと感じる時は積極的に「コスパ」重視で省エネモードに入る。
モノを買う時もQoo10やSHEINで「コスパ」の良いものを漁っている。それ以前に、モノを買うプロセスから「コスパ」良くいこうとしている。
YouTubeで化粧品の紹介動画を見て吟味する時はドラッグストアに赴く時間、商品をいくつか購入し自身の手で試す時間、アットコスメでしこしこレビューを比較する時間、これらの時間と手間を「コスパ」良くカットして情報収集していると思っている。それが仮に「企業案件」「PR」だとしても。
そんなの中学時代CROOZブロガーの時代から見ているからどうでもいいし、そんなヤラセは承知の上だ。


きっと、書きたいのはきっとモノの話ではないのだろう。

社会から見た私自身は「コスパ」重視で存在していたくない。
存在を「コスパ」で測って、低「コスト」で回る社会の仕組みを作らないでくれと思っている。
でも結局、「コスパ」が悪いから、男女の格差も障がい者の問題もLGBTQの話も何も進まないのだろう。これらの話を雑に「人権」とかの綺麗なワードで括って、なんか社会問題語った風にもなりたくない。
「コスパ」以前に各々の人間たちは今、生きてるんだわ。

でも正直、「普通」に生きていられるの「コスパ」いいなと思っている。
小学校の時に友達からもらったプロフィール帳に「何歳で結婚したい?」という項目があって、「多分大学卒業した後に…」と思って「23」と答えた。


実際の23歳の私は「高コスト」の人生で、私大の大学院に行っていた。
そもそも、今ほどは「普通」が金銭的にも社会信用的な面でも「コスパ」が良いなんて思っていなかった。
自分の人生が超「コスパ」悪いなんて思ったのは社会人2年目くらいだった。
自分が取り組みたい社会課題のために院卒の新卒カードをぶん投げて非正規雇用で働いて分かった。
新卒カードでなんか受かったどっかの会社に正社員で入って「普通」に働くって理に適っているんだ。だから就活一生懸命している人たちがいたのか。

彼らがそんなことを分かっていたのかは知らないけれど。それでも仕組みはそんな無知な人間すらも囲って回している。
悲しいことに一生職場に這いつくばって、定年までやり過ごした方が金はもらえる社会らしい。循環の成れの果てすら感じさせられる。



少なくとも自分の感覚ではある程度広い家のほうが快適だと思うけど、それも20代後半女には金銭面で難しい部分があることを実感する。だから同居でもしていた方が安いなと思う。
結婚しておくと男性は特に社会的に信用があったりするらしい。異動とかにも影響があるらしい。
別にそういった情報は知りたくない。
私は出会う人間全てに結婚の話をされたくない、一人で一生を終えることの限界を感じるので結婚という契約に乗っても良いのかもしれないとは考える。
それが幸福か、「普通」か「伝統」か。


そもそも「普通」に生きていたら、こんなことと言語化しなくて済んだだろう。
言語化しないで生きられる、それこそが「普通」なのだから。
「普通」に生きている人が多ければ多いほど、社会は効率良く回る。

「普通」が「コスパ」いいと思ったのは役所系の前職だった。
「例外」対応で30分クレームを言われる。部長ですら決定権はない事項についてだ。あまり抽象的な話が分からなさそうな人だった。ずっと同じことを言っていた。要求はそれだけらしい。それができるかどうかすら、この場に誰も決定権が無いことを分かってもらえないようだ。

どっと精神を削られて、倫理的に思ってはいけないのに「例外」はめんどくさいと思ってしまう。

「例外」はめんどくさい。きっとクレームのその人はわからないことで混乱をしたのだろう。それは理解する。心の中でごめんなさいと何度か思っても「例外」のめんどくささの気持ちの方が勝ってしまう。


そう言っている自分も職場から出ると「例外」だったことに気づいてしまった。
自分の人生が「普通」でないが故に「高コスト」で「コスパ」が悪いのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?