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わさびと日本人

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世界文化遺産ともなった和食に欠かせないわさびですが、全国津々浦々で日本人がわさびを食すようになったのは意外と最近のことなのです。身近だけど知らない歴史を楽しみながら紐解いて行きま… もっと読む
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#穂高

一大革命、粉わさびの誕生物語

 前回、大阪への握りずしの定着と、長野や山陰などの地域へのわさび栽培の広がりを見てきた。  しかし、それでもわさびの産地は限定的である。今でこそスーパーの野菜売場にいけば生のわさびが売られていたりするが、当時の輸送体制では、全国津々浦々というわけには行かないだろう。  そこで不可欠なのが、粉わさびの誕生である。 粉わさびがお茶どころ静岡で生まれた必然性 粉わさびの誕生を知るために不可欠な資料が『小長谷才次伝』(1964年)である。静岡県山葵漬工業共同組合及び静岡県山葵粉

握りずしが全国に広まったのはいつか

 かつて神楽坂には「大〆」という蒸し寿司と押し寿司を出す店があった。ステンドクラスの窓のハイカラな雰囲気の伝統的なすしの取り合わせが面白かったが、残念ながら2017年7月に閉店したようである。明治43年(1910年)創業だったとか。茶巾ずしが有名な四ッ谷3丁目の「八竹」は大正13年(1924年)だとか。  一方、関東の握りずしはいつ頃、大阪で広がっていったのだろうか。 大阪に握りずしが定着した契機は関東大震災 東京の名店、「松が鮨」は明治16年(1883年)に大阪の島之内