マガジンのカバー画像

わさびと日本人

9
世界文化遺産ともなった和食に欠かせないわさびですが、全国津々浦々で日本人がわさびを食すようになったのは意外と最近のことなのです。身近だけど知らない歴史を楽しみながら紐解いて行きま…
運営しているクリエイター

#食文化史

伊豆のわさび田はなぜ石を敷き詰めるのか? 江戸時代はそうではなかったのに。

このシリーズをここまで読み進めてくださっている方は、わさびに関心の深いかたばかりかと思うので今更説明の必要は無いかも知れないが、「わさび栽培法の確立が握りずし誕生を可能にした」の回で記したように、江戸でにぎり寿司が考案されてわさびが庶民の生活に普及する前段階として、わさびの栽培方法が伊豆半島に伝わり江戸へ出荷されたことがあった。  伊豆半島は今でもわさびの一大産地であり、一度は訪ねて見たいと思っていたが、公共交通機関では山間部の交通が不便でなかなか足を伸ばせないでいた。今回、

東京のわさび 2大産地の復活運動は今

三鷹のわさびと、奥多摩のわさび わさびの歴史を資料をもとに辿ってきたが、実際のわさび栽培はどのようの行われているのだろうか。  今回は、東京の2つの生産地を訪ねた体験談を記しておきたい。ひとつは、三鷹市が復活に尽力している大沢わさび。もうひとつは、JR武蔵五日市駅からさらに奥に入った檜原村のわさび田復活プロジェクト。東京のわさびと言いながら、この2つは栽培方法も、わさびの種も全く異なっている。 クローン技術で復活なるか、三鷹の大沢わさび 三鷹市はスポーツと部下部生涯学習課が