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「自粛・休業要請するなら補償しろ」問題が示すもの

まず、この記事とツイートをご紹介したいです。

この記事を読んでもらえれば、僕の思っていたことは全てわかってもらえるんですが、少し具体例を出して説明したいと思います。

一番のポイントは、この記事を書いた佐々木俊尚さんがTwitterでも引用していますが、

今求められているのは、悪をただ糾弾するだけでなく、構造の改修を考え、全体最適化をつねに念頭に入れたメディアであり、そういう報道を支えていく人たちである。

という部分です。

佐々木さんは見事にこの国のメディアと国民の問題点を言語化したなと思います。全体最適化、ざっくり言えば日本全体を良くすることですが、これを目指すには、ただ悪を糾弾しているだけではだめで、構造そのものを改修しなければならない(そういうことを念頭に入れたメディアや国民が求められている)、ということです。

これは、新型コロナで政府や都道府県から出されている自粛・休業要請と補償の問題に当てはめて考えることができます。

3月下旬、新型インフル等対策特措法に基づく政府・都道府県新型コロナ対策本部が設置される以前から、「お願いベース」と呼ばれる法律に基づかない「自粛要請」が行われていました。特措法に基づく緊急事態宣言が発令された後は、法律に基づく「外出自粛要請」(第45条1項)や「休業要請/指示」(第24条9項、第45条2項/第45条3項)が行われています。

しかしどちらにせよ、自粛や休業をした事業者への直接的な補償はされていません。国民には一律10万円の現金給付が行われますが、事業者への補償については、都道府県が国からの交付金等も活用して「感染拡大防止協力金」などの名目で支給される10万円~100万円にとどまっています。

しかし、これは仕方ないことでもあります。特措法は私権制限に慎重な立て付けになっており、海外のようないわゆる「ロックダウン(都市封鎖)」のようなことはできません。住民や事業者に対してはあくまでも「要請」や「指示」しかできません。罰則規定もありません。

そうなると、国民への強制力がないのに補償はできません。政府が補償をするという法的な枠組みは存在しないのです。

確かに、政府が「補償をする!」といって金をばらまければいいですが、予算も民主主義です。国会での審議を待たないと予算は執行できません。政府の強権発動や国民の私権制限を、戦後一貫して「平和憲法」のもとで避けてきたのが日本です。それを国民も求めてきました。

しかし、「政府ははやく補償をしろ!」という声は絶えません。

この問題でいう「構造」とは、「政府に補償義務を負わせる規定がない特措法」であり、「悪」とは、「補償をしない政府」になります。

全体最適化、つまり「苦しんでいる事業者への補償を速やかに行う」ことを目指すには、「悪=補償をしない政府」をただ糾弾するだけでなく、「構造=補償規定のない特措法」を改正(改修)して補償規定を創設することが求められている、ということになります。

メディアにとっては「悪」を批判する方が目立つ。しかし、本当に全体最適化を目指しているのなら、「構造」の改修をしないともうどうにもならないはずです。それこそが国民の利益になると思います。

メディアや国民、それに「構造」の改修をしなければならない当事者である国会議員までもが「悪」の糾弾に躍起になっているいますが、そろそろそんなことはやめて、有効な解決手段をとってくださいなという話なんです。


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