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本が好きな友人が消防士になった話

今日、散歩中ランダムで音楽を聴いていると、KANA-BOONのないものねだりが流れてきた。
ふと、高校時代カラオケでKANA-BOONを歌っていた友人のことを思い出したので書いてみる。

私は高校二年生に上がるときクラスを編入した。(元いたクラスには私は賢すぎた)
しかし編入先のクラスは一年から二年に上がる際のクラス替えがなく、既に仲良しグループは固まっていた。
ふんわりとは馴染んだものの休日に遊ぶ友人はいなかった。

そんな中、初めて一緒に「映画に行こう」と誘ってくれたのが彼女だった。
きっかけは読んでいた本だ。私も彼女も伊坂幸太郎が好きだった。丁度伊坂幸太郎原作の映画が上映されていたので、観に行くことになった。
正直内容も覚えていなければ話したことも覚えていない。ただ私は、ほとんど話したこともないようなクラスメイトに、同じ作家が好きだというだけで映画に誘える彼女のことを尊敬していた。彼女にとってはきっとなんてことない出来事だった。

進路選択の際、彼女は北海道大学を志望していた。理由について、「あそこの図書館、めっちゃ広いんよ」と言っていた。学部も場所もこだわりはなかったらしい。大学選びはそんな決め方もあるのか…。ただ惜しくも点数が届かず、現役で地元の私立大学に行くことに決めていた。

大学に行き始めて暫く経ち、小規模な同窓会のような形で彼女に会うことになった。相変わらずに見える彼女に、「最近どう?」と聞くと、「あー、大学辞めたんよね」と言っていた。まじか〜と思った。

まじか〜の中には、特にネガティブな感情があったわけではない。どこまでもあっけらかんとした決断力への敬意と、理由を聞いてもいいものかという戸惑いからだった。

「消防学校に入り直したんよね」

まじか〜!

体力は間に合っとるん?てか、身長足りとん?恐ろしい光景は見た?夜勤とかしんどくないん?女の子って他にもおるん?

もはや戸惑いもなく聞いた。彼女の父親も消防士で突然後を追いかけたくなったのだと話してくれた。


ところで赤ちゃんがよく泣くのは、絶望のハードルがとてつもなく低いかららしい。

スプーン落としちゃった…死のう
ママ抱っこやめちゃった…死のう

不可逆と捉えすぎるあまりの絶望ゆえに、あんなにも泣き叫んでいるらしい。

かくいう私も、高校生くらいまでその節があった。壁にシェルフを飾りたくて穴をあけるも、穴を開けてしまったことに対する「取り返しのつかないことをした…」という思いからひとり号泣したりした。
(大学ではアパートに穴を開けまくるも歯磨き粉を詰めて事なきを得た)

ただ彼女はきっとそんなことはなくて、私にとって「大学をやめること」は「取り返しのつかないこと」のように思ってしまうが、彼女にとってはきっと歯磨き粉でもチューブガムでも詰めておけばいいような出来事のように見えた。

チューブガム

ところでチューブガムの甘ったるさ好きだったな。まだあるのかな

このような決断に対するハードルはどこで形成され変化していくのだろうとたまに考える。壁に穴も開けられなかった私は、3日で夜逃げ引っ越しを決定するくらいには見切り発車型に変わった(このnoteでは壁に穴を開けることを推奨しているわけではありません)

結局彼女とはそれっきり会っていない。彼女はSNSもしていないから(たぶん)何をしているかもわからない。次会うときには南極撮影隊にでもなっているかもしれないので、私も負けじと伝統工芸士にでもなろうかな

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