「裏絵チャ」にまつわるアラサー腐女子の思い出

皆さんは「絵チャ」もとい「お絵描きチャット」を使ったことがあるタイプのオタクだろうか。

00年代に全盛期を迎え、10年代に廃れていったこのサービスを懐かしく恋しく思うオタクは多い。

知らない令和ギャルたちのために簡単に説明すると、「一つのキャンパスにみんながリアルタイムでお絵描きできるチャット」である。

チャットでメッセージを交わしながらお絵描きするスタイルが初期は一般的だったが、スカイプが誕生してからは音声で会話しながらお絵描きすることができるようになったので、なお楽しかったのを覚えている。

中でも個人的に思い出深いのは、「裏絵チャ」でのできごとである。

「裏絵チャ」とはつまり、「表」では描けない絵を描くチャットのことで、つまりなんかこう、そういうことだ。

もちろん、未成年が参加すると主催者や他の参加者に迷惑がかかるため、学生の頃は参加したくてできなくて悔しくて身もだえしたものだった。

ところで私には中学生の頃、大好きだった2つ年上の高校生の神絵師がいた。もちろん未成年だったが、「成人向け」表記をつけなくて済むギリギリを攻めたエッチな絵を描くのが上手で、彼女を慕う思春期のキッズは数知れなかった。

彼女もしばしば絵チャを開催することがあった。気後れしてなかなか参加できなかったが、ある時思い切ってチャットルームへ飛び込んだ。

20人近くの大所帯が参加していたため、絵に自信の無い私はチャットの方で神の発言に合いの手を挟むだけだったが、それでも神の絵が目の前で完成していく時間はこの上なく幸せだった。やがて15人、10人と人数が減ってきたが、夜が深くなってももったいなくてチャットルームを退室できないでいるうちに、参加者はとうとう5人になっていた。

「じゃあこっからは裏絵チャってことで←」

神の一言で、半ばお開きモードでゆったりとしていたチャット欄が嘘みたいにブチ上がる。

裏　絵　チ　ャ　？

それって私たちがやっていいやつ？大丈夫？捕まらない？っていうか今から？目の前で？裏絵チャが？？始まるの？？？？

無言で大混乱しているうちにも、めいめい好きなキャラ、好きなカップリング、好きなシチュエーションなどを出し合い、あみだくじが画面に引かれる（絵チャではそれぞれが描く絵をあみだくじで決めるのがお約束）。全員未成年なのでそこはさすがに完全アウトになるラインを避け、コスプレのちょっとエッチな絵をテーマにするようだ。そんでなぜか、あみだくじの棒は5本用意されていた。

私　も　描　く　の　？

裏絵を？直立不動の人間か左斜めを向いた顔のアップしかろくに描けないのに？っていうかさっきまでほぼロム専だったのに？？絵描けますかとか聞かない感じ？？？

大体の話が片付いてしまってからようやく、神がチャット欄にメッセージを打ち込む。

「嫁島さん、○○ってサイトの管理人さんですよね？Aくんのイラストすごくかわいかったので、描いてほしいですｖ」

気が付いたら私は二つ返事で神の推しの裸エプロン姿を描くことになっていた。神の認知を前に、シケたことを言えるオタクなどいるわけがない。

神はスラスラと手慣れた風に、それぞれが絵を描くスペースをざっくり区切っていく（絵チャは一枚のキャンバスに複数人で描く上、そこそこタイムラグがあるので、それぞれが絵を描いていい範囲を決めないと人様の絵に被ってしまう恐れがあるのだ）。私のスペースはよりによって神の真横。

「せっかくだから合作にしましょ！嫁島さんの描くA君と私の描くB君が隣だから、座って手でハートマーク作ってる構図だと滾る（＾q＾）」

座って？？？？？？？手でハートマーク？？？？？？？？？？こちとら座った人間を描かせれば生えちゃいけない位置から脚が映えるし手は萌え袖か腰の後ろで組んでいることにしてなるべく書かないようにして生きてきたが？？？？？？？？？？？？？

他の精鋭たちは迷いなく推しキャラたちのスケベなコスプレ姿をキャンバスに現していく。私は半ばパニックになりながら別窓を開いてキーボードを打ち鳴らした。

【男性　座る　構図】

ネットの海に助けを求め、見つけた画像の中から一番近いデッサンモデルの画像を速やかに印刷する。モニタの真横に貼り付け、キャンバスと印刷したモデルをあわただしく交互に見ながら必死でアタリを取る。丁寧に。でも速やかに。怪しまれないように。

ほどなく、神と精鋭の絵が完成する。私の絵もどうにかこうにか形にはなった。完成直後の息つく空気と、チャットに興奮のコメントを打つわずかな間。真っ白だったキャンバスを埋め尽くす、華やかなイラスト。

それぞれの推しは線の細い美形キャラばかりだったので、キャンバスの世界はちょっぴりエッチだけどキュートで繊細だ。フェティッシュかつゆめかわいい天才たちの描く推したち。その一角に。

裸エプロンのゴリラが紛れ込んでいた。

参考にしたデッサンモデルの肉体美を忠実に再現した、バツンバツンの胸板。ふわふわのリボンが巻き付く、がっしりした生々しい腰回り。モデルのポーズが違ったため何とか自力で描くしかなかったハートを作る指先は、近代芸術のオブジェみたくバキバキに骨折していた。サンリオの世界に我が子を食らうサトゥルヌスが紛れ込んだのかと思った。

───絵がうまくなりてえ。

あの日より強く、そう願ったことはまだ無い。