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詩人白井明大【子どもに教えたい!日本の風習】今年の願いごとは何にしよう。七夕の楽しみ方

七夕

 たとえば、夜空にまたたく星々の姿は、光の速さ(秒速約30万キロメートル)でも、こと座のベガから約25年、わし座のアルタイルから約17年かけて、ようやく地球に届きます。中には数百光年、あるいはもっと遠い星も⋯⋯。満天の星をながめたとき、一つひとつの星明かりは、はるかな時と距離をこえて届いた光でもあるのですね。

 星に願いごとをする七夕《たなばた》は、年中行事のなかでもとりわけ壮大で、ロマンチックな行事ではないでしょうか。

 おりひめ星と彦星が一年に一度出会えるという伝説にちなんだ、七夕の行事にはどんな楽しみ方があるでしょう。

七夕の由来、星合伝説《ほしあいでんせつ》

 いまからおよそ千五百年前、古代中国に梁《りょう》という国がありました。その梁の国の、殷芸《いんうん》という人が、こんな物語を残しています。

 「一年一會」(一年に一度しか会えない二人) 

 天の川の東に、おりひめという機織りの乙女が住んでいました。おりひめは、天帝の子でした。

 来る年も来る年もせっせと機織りに励み、織りあげるのは、ふんわりと雲のような錦、きらきらと天の輝きのような衣です。おりひめには、自分の容姿を気づかうひまもありません。

 天帝は、そんな一人身の娘を心配して、天の川の西に住む彦星との結婚を許しました。ところが結婚を境に、おりひめは仕事をなまけるようになります。
 
 怒った天帝は、罰としておりひめを東岸に連れ戻すと、おりひめと彦星が一年に一度しか会えないことにしてしまいました。

 おりひめと彦星の星合伝説を描いた殷芸の物語は、のちの明の時代に、年中行事やしきたりに関する『月令広義』という書物に収められました。

七夕は旧暦で楽しむのもおすすめ

 七夕を祝う七月七日は、新暦ではまだ梅雨どきで、あいにく星が雨雲に隠れてしまうこともしばしばです。ただ、昔の七夕は旧暦の七月七日に行なうものでしたから、梅雨明けの晴れた夜空を眺めて楽しめました。

 今年の旧暦七月七日は、新暦でいうと八月十日にあたります。

 もちろん、いまのカレンダーどおり新暦の七月七日に、願いごとを書いた短冊を笹の葉につるしたりして楽しみながら、(もし雨天になってしまっても)天の川を見たくなったら、旧暦の七夕の夜に、もう一度星空を眺めるチャンスが訪れます。

五色の麻苧《ごしきのあさお》

 七夕で何よりも大切なのは、子どもたちが星に思いをはせて願いごとをすることだと思います。七夕のしつらいなども、子どもといっしょに笹に短冊をかけたり、色紙で工作したりして、楽しく飾りつけをするのがいちばんではないでしょうか。

 そのうえでのお話としまして、どうして短冊は五色なんだろう? 五色を「ごしき」と読むことにはどんな意味があるのだろう? といった由来や背景を知っておくと、いちだんと楽しさが深まるかもしれません。

 七夕の日の夕べには、真菰《まこも》で編んだござをしいて、初夏の収穫を供える、というしつらいがあります。真菰というのは水辺に生える、約一、二メートルほどの丈の草で、古くから神事に用いられています。たとえば、出雲大社のしめ縄も真菰です。

 ござを敷いたら、二本の笹竹を立てて、その笹竹と笹竹の間をしめ縄でつなぎます。そのときしめ縄に吊るすのが、麻の繊維からつくられた五色の麻苧です(笹竹にかけることもあります)。緑、赤、黄、白、黒(紫)の五色は、もともと古代中国の五行思想によるもので、この宇宙をかたちづくる五つの要素(木・火・土・金・水)を表わします。昔の人は、この世界がどんなふうに成り立っているのかを考えたとき、この五つの要素で説明しようとしたのですね。

 星に願いごとをしながら吊るすことから、五色の麻苧は、願の糸《ねがいのいと》とも呼ばれます。

 ちなみに、願いごとの短冊を笹に吊るしたりして七夕を楽しむようになったのは、江戸時代からだとか。

歌や字の上達を願った慣習

 昔むかしの中国では、機織りの上手なおりひめにあやかって、七月七日に七つの穴のあいた針に、色とりどりのきれいな糸を通して裁縫の上達を願う、乞巧奠《きこうでん》という行事をしていました。

 また、七夕の朝、里芋の葉っぱにおりた露で墨をすり、七枚の梶の葉に、その墨で歌をしたためて、歌や字が上手になるように願う慣習がありました。

 梶の葉には産毛がはえているので、墨がはじかれることなく筆で文字を書くことができます。紙が貴重だった時代の知恵ともいえそうです。

 みごとに歌を詠むことや、きれいな文字を書けること、針仕事が上手なことなどは、もちろんそれ自体素晴らしいことですが、それだけでなく、自分の魅力をアピールする方法でもありました。奈良や平安の宮中では、恋のはじまりは、歌のやりとりだったそう。

季節の楽しみ

 いまではほとんど知られていないのでは、と思うのですが、七夕の古いしつらいに、七箇の池《ななこのいけ》というものがあります。

 七夕の夕べに、水を張った七つのたらいをならべておいて、水面に映る星を愛でるという、かなりマニアックな慣習です。

 ただ見上げさえすれば、夜空の星々を眺められるのに、どうしてわざわざ七つもたらいを用意して、星を映したのでしょう? きっといろいろな理由があるのでしょうが、庭のたらいに星を浮かべることには、自分のそばに星を招きよせる意味合いもあるのでは、と解釈してみるとどうでしょう。
 いまなら、スマートフォンのカメラなどで、暗い夜空の星を手軽にきれいに写すこともできます。七夕の夜のベガやアルタイル、天の川などを、自分の手元に残せるのです。

 まだ写真のなかった昔はどうだったのでしょう。「きれいだな」と感じたものを、ただ遠く眺めるだけでなく、自分だけの特別な光景として手元によせる=たらいの水面に星を映す、というふうに捉えなおすと、手間をかけて七箇の池を楽しんだ昔の人の気持ちがわかるような気がします。

 盃に花びらを浮かべるように、あるいは酒盃に月を映し込むように、手元の水面を間にはさんで婉曲的に愛でる美的な感覚があったのかもしれません。

 そばに招きよせること、あるいは婉曲的に愛でること。

 七箇の池という、ともすると忘れられかけた七夕の風流な遊びのことを覚えておいていただけたら幸いです。
   
参考文献:白井明大『日本の七十二候を楽しむ ─旧暦のある暮らし─ 増補新装版』(絵・有賀一広、KADOKAWA)、同『暮らしのならわし十二か月』(絵・有賀一広、飛鳥新社)


白井明大
詩人。1970年生まれ。詩集に『心を縫う』(詩学社)、『生きようと生きるほうへ』(思潮社、第25回丸山豊記念現代詩賞)など。『日本の七十二侯を楽しむ』(増補新装版、絵・有賀一広、KADOKAWA)が静かな旧暦ブームを呼んでベストセラーに。季節のうたを綴った絵本『えほん七十二候はるなつあきふゆめぐるぐる』(絵・くぼあやこ、講談社)や、春夏秋冬の童謡をたどる『歌声は贈りもの』(絵・辻恵子、歌・村松稔之、福音館書店)、詩画集『いまきみがきみであることを』(画・カシワイ、書肆侃々房)、など著書多数。近著に、憲法の前文などを詩訳した『日本の憲法 最初の話』(KADOKAWA)、絵本『わたしは きめた 日本の憲法 最初の話』(絵・阿部海太、ほるぷ出版)

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