古の都!奈良藤原京から明日香村ー夜舞散歩ー
前回
こんにちわ、冒険者の夜舞です。
今回は奈良県の藤原京跡から遺産のふるさと明日香村までのんびり散歩してみたのでその様子をお伝えします。
藤原京と明日香村はいつかは行こうとずっと思っていたのですが、気が付いたら日本を出てしまったということで今回念願叶っての訪問となりました。
奈良のあの辺りって微妙に滋賀から遠くてかといって一泊二日のカード切るかとなると微妙な位置…
日本もいろいろ難しいですよね。
と、いうことで今回はJRの畝傍(うねび)駅から歩いて藤原京跡を経由した後、明日香村の石舞台古墳へと進み、近鉄の飛鳥駅まで行ってみました。
よかったらお付き合いください。
藤原京、明日香村とは?
藤原京というのは都が奈良の平城京に移動する前に都があったとされる場所で現在の奈良県橿原市にあります。明日香村はさらにその前の時代の古墳が大量にある事で有名な村で、日夜新しい発見に沸き立つニュースでおなじみの村です。
訪問理由
先にも述べましたが、前から一度は行ってみたいと思っていましたが気が付いたらずるずると訪問する日が来ず、めぐりあわせってあるものだなーと思うばかりです。
奈良より前の時代に関しては文献が怪しいって事で日本の歴史の中でも異国の歴史のように感じてしまいますしね。
当日のルート
今回もお金がないって事で青春18きっぷでJRの畝傍駅まで行って歩いておふさ観音を経由して藤原京跡、そこから香久山に登ったりしつつ、飛鳥寺、石舞台古墳と進んで近鉄飛鳥駅に帰ってきました。
畝傍駅から石舞台古墳まで歩いていくと遠かったなーという感想が一番ですが、天気もよくて暖かったということでいい散歩日和でした。
大体10キロぐらいのコースなので一日歩くにはなかなか悪くないルートであったような気がします。
JR畝傍駅
JR大阪駅から王子まで行ってまほろば線に乗り換えて到着。大阪駅からかなり遠く奈良って大和路線以外のアクセス本当に悪いな…と思います。駅そのものも普通に無人駅でそれなりに人住んでそうなのにこれなんだもんな…
と、いうかこの辺り一帯が近鉄の敷地っぽいからJR側は衰退しているっていうのが正解なのかもしれません。
おふさ観音
畝傍駅から南に少し歩いたところにあったお寺。お寺なのに中が完全にバラ園のそれで不思議なもんだと感じました。ちょうちんが大量に並んでいる姿はなかなか目を楽しませてくれます。
藤原京跡
おふせ観音から東に向かって歩いていくと大きな原っぱの中が。北側は菜の花のシーズンということで一面菜の花畑。なので菜の花のよいにおいがあ辺り一面に漂っていました。
そして藤原京に関しては…
まぁ平城京のあれと一緒であくまでここに都があったということは間違いないのですが、今は別に建物が残っているわけでもなく建物跡に柱が立っているぐらいの平原。
それでもこの位置に藤原京があってこんな大きさだったんだなーと感じることはできるので、知識があるなら行ってみるのも悪くないかも…
藤原京を抜けて南に行こうとすると資料館が無料って事で寄り道してみました。残念ながら改修中って事で一部しか見ることができず残念でしたが、なかなか面白い出土品がおいてあったりするので暇なら行ってみるといいと思います。
香久山
春過ぎて 夏来にけらし 白たへの 衣干すてふ 天の香具山
資料館を後にして南に歩いていると香久山って書いてある場所があったのでせっかくなので登ってみました。結構急で歩きにくい道ではありましたが、山っていうより丘ぐらいの標高しかなかったので比較的簡単に頂上まで到着。
これがあの有名な香久山かー
天のってわざわざつけるぐらいだからてっきり!もっと高い山なのかとばっかり思っていただけにがっかりの方が大きかったりして。
香久山の中にある神社を抜けて、田んぼ道を進んで飛鳥水落遺跡へ。
飛鳥水落遺跡
道の駅と資料館がある場所の近くにあったのがこの水落遺跡。この時代に当然のように水時計があったということで中国から見れば当たり前とは言え、日本も本当にこの時代ぐらいからちゃんと進んだ文明を持っていたんだなーと。
ついでにお昼だったのでここでおにぎりとこんにゃくでお昼ご飯。そして資料館を見学した後、更に南にある飛鳥寺へ。
飛鳥寺
蘇我氏詠歌の時代を今に伝える飛鳥寺。蘇我氏が国の中枢にいた時代に建立されて当時はとんでもないでかさの寺だったという事ですが、今ではこじんまりとした感じのお寺。この辺りの中心って事で何度も戦乱に見舞われたのだとか。
入って大仏を眺めていたらお坊さんが解説を読んでくれていてこの辺りは京都とかと変わらないなーとか思って耳を傾けていました。
目の前にあるでかい大仏の頭部は普通に創建当時からの物らしくて法隆寺もそうですが、よく木造の大仏が今に残っているもんだと感動しかありませんでした。
入場料:350円
石舞台古墳
飛鳥寺を出て南に行くとこの辺りは明日香村の中心地なのか非常に道が整理されたこじゃれた店が並ぶ道になっていて観光客としてやってくるとなかなか面白い道でした。
その道を抜けてしばらく行くと今日の目的地石舞台古墳が見えてきました。
一説には蘇我馬子の墓だという話ですが、どこまで信用していいかは分かりません。
それはそれとして古墳というといつもの宮内庁管轄の丘ってイメージしかありませんが、この古墳は上の土が完全になくなっていて石室が見えているって事で遺跡として非常に分かりやすい。
よくもまぁこんなでかくてまっすぐな石をこんなところに持ってきて積んだものだという感動が非常に強く、日本でもこのクラスの遺跡があるなんてすごいものですよ。
後ろの山の桜も非常にきれいだったので中を見学した後は、展望台から石舞台古墳を眺めていました。
入場料:300円
川原寺
石舞台古墳も見たし、帰るかと飛鳥駅方面に歩いて行ったところにあった寺跡。奥の寺ではなくて目の前の空き地が寺の跡です。中大兄皇子が建立に関わっているとかで当時はかなり有名な寺であったという事ですが、時間の流れは無常なものであると。
向かい側に聖徳太子の生誕地って書いてある石碑があったりしましたが、この辺りの人は聖徳太子が歴史の教科書から消えたことに関してはどう思っているんでしょうね。
橘寺の方はもう疲れたのでパス。
亀石
歩いていたらあった亀石。いきなりおいてあって逆にびっくりするレベルでした。写真で見ると小さく見えますがめちゃくちゃでかい。それでいてちゃんと亀っぽい何かが彫ってあるから人が作ったもんだと分かるって事で日本でこんなでかい巨石文明が存在するってなんだか不思議なものです。
鬼の雪隠
駅の方に歩いて行ったらあったのがこの鬼の雪隠。丘の上にあった石室が転がり落ちてここにあるって書いてあって日本でも遺跡に関する扱いってこんなもんなんだなと。
ずっとここにあったから逆に動かせなくなったと思うと面白いものです。
確かに僕ももっと昔の人間でこれが道端にあったら鬼の持ち物って思うかもしれません。
梅山古墳
飛鳥駅の近くにあるこの辺りでは珍しい前方後円墳。欽明天領陵って事になっていますが果たして?とは思いつつちゃんと周りが水がはってあるので、神聖な感じだけはしました。
猿石
ここに来た目的はこちらの猿石と呼ばれる謎の石像。
丘の上の古墳の中に4体並べられています。昼食べた場所の資料館に写真あったからぜひ見てみたいとやってきましたが、見れば見るほど日本でこんな石像が…って思ってしまいます。
あまりに文化形式が日本から離れていて大陸の文化だとしてもつながりがいまいち見えません。
後世の誰かがここに持ってきたのでは?って思ってしまうぐらい嘘くさいなーと僕なんて思ってしまいます。
近鉄飛鳥駅
無事近鉄飛鳥駅に到着!
道の駅が駅の目の前にあって土曜日って事もあってかなりにぎわっていましたが、駅そのものはかなり小さめ。明日香村の規模が良く分かるというかこの辺りの人みんな車持ってるだろうからな…って遠い目。
橿原神宮前まで行って畝傍駅に戻って帰ってきました。
今回もなかなか良い一日であったと思います。
今回はここまで。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
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冒険者の夜舞でした。
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