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業火 一

悪い事をすると地獄に落ちるという。
地獄では、業火といって火あぶりの刑に処されて苦しめられる。

悪い事とは、盗みや詐欺、いじめとか殺人とかあからさまなものに限らない。
物や人、権力への執着も悪事に含まれる。

一見いい事をしている様でも、自然の目からみれば悪事という事もある。

頑張る事、集中する事、仕事に夢中になる事。
正義、孝行、などなど。

頑張りすぎると後で疲れる。疲れが極まれば、病にかかる。病になれば、自分が苦しみ、周りに迷惑をかける。

これも業火の一種である。死んだ後に天国・地獄があるわけでは無い。現世にも地獄はあり、悪い行いをすれば業火に遭う訳だ。

自分が正義と思っている事と、社会、引いては自然が正義と思う事は別だ。誤った正義を行えば、いずれ報いが訪れる。

例えば、ある言説・思想を信じていたとする。その思想に反するものを見聞きして、怒り、悲しみ、嘲り等の感情を抱けば、既に業火にさいなまれている。

全ては我に囚われた結果だ。
我のエネルギーは凄まじい。
体を消耗させてでも、我を燃やし続ける。

我に囚われている状態、それが三界の火宅だ。
我々は業火に包まれた家に暮らしている様なものである。

周りが我という火で囲まれているから、外の様子が見えない。
周りも助けてくれない。

結局のところ、自分で少しずつ消して行くしか無いのである。

消しに行くには、火に近寄らなければならない。それは苦しい。
皆自分の我欲には目を背けたいものである。
しかし我から逃げても、火がさらに燃え上がり、益々手を付けられなくなるのである。

故に火を見つけたら、直ぐに消す様心がけなくてはならない。
また、我の少ない人を見ては、見習う様にしなくてはならない。

タイトルの写真は、浦上榮、昔の旧道範士なり。
その立ち居からは我を感じぬが如何。

古池や蛙飛び込む水の音 の情趣である。

益荒男ぶりの情趣である。

大和乙女の情趣あり。