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自分なんてないみえなくていい 2023/08/18

最近気がついたいくつかのこと

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あだ名で呼ばれることが自分にとっての客観視の方法

私は人生で出会った75%くらいの人たちにあだ名で呼ばれてきた。先生上司先輩後輩問わずだ。
正社員になってからの違和感はまさにそこだった。
名字で呼ばれることがほとんどになった半年ほどの間「なんか調子狂うわ〜」という状態。当たり前なんだけどね
この2ヶ月くらいであだ名が少しずつ浸透してきたのか、あだ名寄りの呼ばれ方になってきて「コレコレ〜!」という気持ち。

で、なぜ「あだ名で呼ばれることが自分にとっての客観視の方法」というサブタイにつながるか。ですよね。

どうも呼ばれる名前で人格が違うっぽいのである。

あだ名が感情表現豊かな人格。ネガティブなこともポップに表現して場の雰囲気は明るくできる。推しの人格だけど疲れはする。
名字がなんにもしたくないかちょっと皮肉屋めいた人格。名字人格は楽しくできないのであんまり好きじゃない。表に出したくない。
ついでに言うと、しゃほの人格は現実的かも。こんなこと書いてるくらいだしな。でも誰よりも一番赤裸々だと思う。

今の職場であだ名が浸透するきっかけになっているのが、私が私に言う「(あだ名)はなにをしようとしたんだっけ〜?」という言動である。
あだ名がちゃん付けのものなので、正直なところ31歳が言うのはキツイものがあるけれど…
しかし、これがぶりっこでないと伝わったからあだ名が浸透しているような気がする。

ぶりっこでなければなんなのか?仕事中に外向けポップなあだ名人格を呼び戻す儀式である。
そして割と冷静に仕事に戻ることができる。すごいな
これに気がついた最近は、少しずつあだ名人格を取り戻してきているのて、調子がいいぞ!アドレナリンキてる〜って感じです。
しかしながら、今後生きていく上で名字の人格でもきちんと仕事ができるようにならねばならない。さて…

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眼鏡はいらない

両目の視力が0.4になった。コンタクトは-1.50。
正社員になってから眼鏡をしながら働いていた。コンタクトはかピカピになってしまうので諦めた。
今日はカバンに眼鏡を忘れてしまったので仕方なく眼鏡なしで働いてみたが、これがまあ調子がいいこと!
正社員になる前は眼鏡なしで働いていたので、その頃の感覚に近いのだろう。

シンプルに眼精疲労があまりないからかもしれないし、頭ぶんぶん振り回しても眼鏡が飛んでいかない安心感もある。
ポジションによっては眼鏡が必要なところもあるが、もうしばらく眼鏡なし勤務を試してみることにする。

よくある「眼鏡が本体」でいうと、眼鏡が名字人格なのかもしれない。あだ名人格だと眼鏡をふっとばしてしまう。

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