ピーターラビットと異国語

 小学2年生だった。「きらきら星」に合わせてアルファベットは覚えたけれど、ローマ字の存在は知らなかったあの頃。

 私の地域では夏休みのラジオ体操に皆勤すると、最終日にちょっとしたプレゼントをもらえた。基本はちょっとした文房具の詰め合わせで、可愛いノートや鉛筆になることが多い。

 その年は、珍しく細かい文具の詰め合わせではなくて、がっしりしたスケッチブックが一冊もらえた。真っ白の表紙には、チョッキを着たウサギ。私はそれを知っていた。同じウサギの描かれた、綿ハンカチを持っていたから。

「なんだったっけな、このウサギ。」

 絵をよく見ると、はしっこに「きらきら星のアレ」が印字されている。大きな手がかりだ、読んでみよう。

「”ピー”、”イー”、”ティー”、”アール”……」

 そのときだ。ビビッと、頭に電流が走った。

「”ピーイーーぅ…… 
 ……ピー・ター!」

 そう、きっとそうだ。ウサギの名前はそれだった。その続きは「そうなるであろう読み」に寄せて読んでみる。

「”ぁーェー・ビ・ぁぃ。」

 ちょっと苦しいけど、読めなくはない。

「ルァビット……ラビット!


ピーターラビット = PETER RABBIT

 

 これが結びついた瞬間が、「英語」との初めての出会いだった。アルファベットの羅列が音韻を表し、それが単語として意味を成す。日本語すらマスターしきっていない8歳児の、おぼろげな”言語体系”の感覚が、このとき脳内にたしかに刻み付けられた。

 それ以来、自分のまわりのアルファベット文字列に音がついた。母がときどき連れていってくれる「SUGAKIYA=スガキヤ」のラーメンがある「ALTE=アルテ」。大きな買い物をしに祖父母も連れだって出かける「JASCO=ジャスコ」。(ちなみに「トイザラス」は表記と読みがうまく結びつけられない不可解な店として記憶に残っている。)自然と、アルファベットに分解しなくてもスッと読めるようになっていった。

 小4の国語でローマ字を習い、中学校に入って英語を習うようになったが、それらは「お勉強」として粛々と吸収するだけだった。身の回りの”英語”が身体に飛び込んできた、あの感覚はかけがえのない「体験」だったように思う。

 言語は、世界だ。たしかそんなようなことを、ラカンだったかヴィトゲンシュタインだったか、とにかく誰か偉い人もそう言っている。ビーターラビットを見るたびに、私は自分を取り囲む「世界」の大きな広がりを思い出し、遠い目になるのだった。