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9週目で流産した話(後編)

2-0.前半のお話

 要するに妊娠したけれど流産が判明しましたよ、という話です。

2-1.入院

 預け金や1泊目用のパジャマ、タオルなど入院準備を整え、いよいよ病院へ向かった。

 案内された病室はよくある6人部屋だった。病棟が「婦人科」だったせいか、相部屋の人に同年代はおらず、みんな50~70代の年配の方々だった。カーテンで仕切られた向こうに気配はあるのに、交流のきざしも見えないひっそりとした雰囲気。私の好きな、カプセルホテルや深夜バスの雰囲気に似ている。

 ベッドに入ってからは待機時間が長かった。ときどき、看護師さんが全体の流れを説明しにきたり、クラークさんがレンタルの手術ガウンの申込書を取りにきたりした。
 回診で主治医の先生も来てくれた。
「当日の診察は、他の人の手術の都合で僕が来られないと”他の先生”になってしまうけど。術前の処置も、”僕じゃない先生”がすることになる。術後の回診は””が来れるので!」 
と、一度診察を受けただけの先生にも関わらず「主治医は僕です!」という気概を感じて、頼もしく思った。

 夕食に病院食を食べたあと、下剤を渡された。なるほど、麻酔の効いた状態で腸の中に便があると、タレ流しに、なってしま、う……の……か……?意識がないとはいえそれは嫌だ……。便意がくるまで気が気でなかった。

 そんなこんなで”子供を亡くした母”の実感はなかった。ただ、こころの薄皮一枚向こうに、深い哀しみの気配があるのは感じていた。私はそこからしっかり目をそらした。「深く考えない」は得意技だ。

2-2.手術

 翌日から朝食ぬきで、「手術前に飲みきってください」というOS1のペットボトルを2本渡された。思ったより飲みやすかったのでちびちび飲んだ。
 ”付添の家族を交えて流れの説明”の時間の前に、実家から母が到着。事前説明にあった内容をあらためて聞いた。

 その後、術前の処置で、子宮にガーゼを入れて(?)穴を大きくする(?)というような処置を受けた。これが痛かった。内側からぐいっと押されるので気持ち悪かったし、血も出た。

 ともあれ、入院時は「激痛と噂の自然流産が始まってしまったらどうしよう!?」というのが目下の心配事だったので、前兆もなく手術までたどり着けたことにはホッとしていた。

 時間が来たら手術室に案内され、念押しで氏名や生年月日を確認、手術の説明を再度受けた。
「流産した胎児を子宮から掻き出す処置を行います。」
身も蓋もない。麻酔を入れるより先に、心が麻痺してくる。

 自分で手術台に寝転んで、脚を固定され、左手甲から麻酔を注入された。初めての静脈麻酔は、血管に氷水を流されているような激痛。ひょっとして麻酔が漏れたりしている?と狼狽し、
「あ、あの、手が、すごく痛いです」
と訴えたところ、
「あ~痛いですか~」
とやんわり流され、そうか異常ではないのか…と思ったのを最後に意識がなくなった。

2-3.術後

 気がついたときは医療ドラマでよく聞くような「ピッ・ピッ・ピッ」と鳴る機械(?)に繋がれて、病室に帰ってきていた。母と夫がいた。

 次に目が覚めたら機械は外されて、鼻の穴に酸素チューブ(?)が突っ込まれていた。
 幸い、麻酔に弱くない体質だったようで、身体のだるさはさほどではなかった。主治医の先生の判断で、本来スケジュールになかった夕食も自分で食べられることになった。平均より回復が早かったのかもしれない。
 じきに酸素チューブも外され、点滴のバーを引いて立ち歩く練習を看護師さんとした。トイレに入ったら巨大なナプキンがついていたが、出血はその時点では少量だった。

 そのあともう一眠りして目覚めたら、生理のときのような不快な出血感があった。起き上がってみたら、ベッドが真っ赤。大量に出血していた。驚いたが、もはや恥ずかしさはなかった。病院にずっといると、身体を対象化する見方につられてきてしまう。事務的にシーツやガウンの替えを頼み、ナプキンを貼り替えた。
 出血量にもかかわらず、当日は腹痛や怠さはなかった。点滴のおかげだと思う。ただ、喉が変にヒリヒリした。これは麻酔の影響らしい。

 昼間にとことん寝たうえ、点滴に慣れていないので、夜は眠れなかった。消灯後は、母からの差し入れの組み紐セットで時間をつぶした。渡されたときは「なぜ組み紐?」と思ったが(普段は手芸のシュの字もない)、暗い中でも無心になって作業でき、音も立たないのでちょうどよかった。たまたまなのか気が利くのかわからないところが母らしい。母と私の不器用な関係についてはまた別の機会に書きたいところ。

2-4.退院後

 退院時には子宮収縮の薬と痛み止めを処方された。睡眠リズムが乱れて身体がだるいのか、手術疲れなのか、子宮収縮させながら血を排出してるからなのか、あるいはそのすべてか。数日はとにかく身体がだるく、お腹の痛みもきつかった。退院後3日間は、夫に買ってきてもらう惣菜とインスタントで済ませ、夜寝る少し前には痛み止めを飲み、身体を丸めて眠った。

 出血も、生理よりも多いくらいの血が、生理とは違って不規則な量で続いた。減ったと思ったら、翌日は血の塊がゴロゴロ出て、また出血量が増える、というような。痛みも不規則なので、少し動いたら「あぁ……来た……」と呻いて女性陣にはおなじみの”祈りを捧げるポーズ”でうずくまって波をやり過ごしていた。
 しかしそれも、朝昼晩の子宮収縮剤を飲みきった後は収まっていった。退院からちょうど1週間後には、「寝て過ごした長期休暇明けの怠さ」くらいで仕事に戻った。

2-5.もとどおりの身体

 退院から2週間後、婦人科での再診に行き、「ちゃんと子宮がきれいになりましたよ」とのお墨付きをもらった。
妊活は、このあと生理が2回来てから再開しましょう」
と指示をうけた。
 ネットで「9週目以降、胎児がある程度成長してからの流産では不育症の可能性もある」なんて文章を見たので、先に検査をしておけるなら、と思い
「”不育症”の可能性って」
と尋ねたところ、
「流産は6回に1回は起こることですからね、そんなに気にしなくても、大丈夫ですよ。」
と、とてもとても優しい目をして言われた。それ以上聞けなかった。「自分の体質のせいと自責する母親」と思われていたような気がする。最後まで、誠実で優しいドクターだった。

 このころには、膨らみかけていたお腹も完全に元のサイズに戻り、ズボンのホックも留められるようになっていた。胸のハリはもうしばらく残り、「なんて不謹慎なバストアップ法だろう…!」と思いかけたが、1ヶ月くらいですっかり元に戻った。妊娠していた形跡は、もうどこにも見られない。

 手術日から数えると47日後、生理がきた。スロースタートで、色が付き始めて5日目くらいに”2日目”くらいの量がくるような、少し変な生理だった。
 その後は、通常通りの間隔で生理が来ている。友人の妊娠・出産報告を聞いてチリリと心が震えることがあるけれども、赤ちゃんは皆かわいい。また恵まれることを願っている。

2-6.後記

 書いてみて思ったけれど、発散よりも蓋をして気持ちの整理をする派なので、今回サラッとエピソードにまとめることで前を向けた感じがする。
 どうにもウェットな心情に直面するのに抵抗があってしっかり触れられなかったので、気持ちを分け合うことを求めて読んでくれた人には申し訳ないです。

 すべての尊いいのちに幸あれ。