『表現の不自由展』について

表現の不自由展は、
愛知県で2019年8月1日から開催した
国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の
一企画展として開催された。

その内容が賛否を呼び、SNSを中心に話題となったのは記憶にも新しい。
電話での講義や爆破予告などにより展示は一時中止されたが、再開されてもなお人が押し寄せた。
「僕はこの企画に賛成ではないけど、目にしておく必要があるのではないかと思い来ました」そう語る男性が印象的であった。

私も実際にホームページなどで展示されている作品を目にした。
今はURLが消されているようだが、当時はその作品の写真とその作品の概要や作者の思いの解説を閲覧することができたのだ。
慰安婦の像、昭和天皇のお写真を切り刻んだり燃やしたりしている版画、詩、写真などもあった。

これらの作品は、
美術館へ展示されたが、市民の声や議会の判断、美術館の判断によって非公開になった
という過去を持つ。

さて、高畑勲がいう
「思想」を「思想」として語るのではなく
物語を通して語るのだという理論を適用するならば、
この展示企画は 
「思想」を「思想」のままに表現しているといえるのではないだろうか。

その思想自体を批判したり肯定したりはしないが、
そのあからさまな思想を表現の名の元で行うのはいささか芸術というものに対して失礼なのではないのかなと思う‬。

しかし、芸術性の高さとかその辺は素人の私にはよくわからない。
だから、これは芸術なんですと言われればそれまでだが、素人が思想!思想!思想溢れ出てますやんと
感じるほどに思 想の2文字が芸術の秀逸さを越えるとその思想に対しての賛否が生まれて、芸術どころではない。
もちろん、この企画に展示されてる作品全てが
思想強いなーというものではなかった。その点は断りを入れておく。

ディズニーが作ったプロパガンダのアニメを見たことがあるだろうか、
内容ばかりは褒められたものではないが、
そのコミカルな動きや物語の展開、軽快なミュージックは私に物語性を感じさせた。

しかし「この難しい議題」
思想と芸術、表現と批判、
どこまでの表現が許されるべきか、はたまた議論する余地はないのかを与えたこの企画は一定の社会的意味を持っているのかもしれない。

皆さんは、この企画展示に関して
どのようなことを感じ、どのような意見を持っただろうか。


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