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県立高校。男女差を感じていなかったけど…?

こんにちは。わかうら80sです。
1980年生まれ、毎日忙しいワーママです。
大日向雅美先生著「女性の一生」にインスパイアされて、個人の体験を個人にとどめることなく…と思いnoteに綴ります。


大日向先生は著書の中で
「女性を人として尊重する視点の乏しい日本社会」という項目の直後に、
「女性自身の意識にも問題が」と項目立てされています。

レディース デイなどの女性としてのお得感を口にする女性のことを書かれています。

この記述から思い出したことがあります。

男女平等を生きていたはず

私が共学の県立高校に通っていた頃、父が「ヨーコ(=私)は、男と女選べるならどっちに生まれたかった?」と聞いてきました。
私はすぐさま「別にどっちでも変わらない。でも走るのが大嫌いだから、持久走が短くて済む女で良かったと思う」と言いました。

父は「ヨーコにとって男女の違いは走る距離だけか!?もっと世の中をよく見ろ!!」と叱られました。

父はきっと、男女で社会的な扱われ方の差が歴然とあることを感じており、それを踏まえての回答を期待していたのでしょう。
父は会社員で、自分も同僚も妻は専業主婦で転勤とともに日本中動き回りながら、他方で、後輩に意欲的な均等法世代(←詳しくないのにつかってみた)の女性が増えてきたのを、日常的に見ていたのですから。

当時の私はといえば、「ヨーコの世代は女も働くんだ!」という親の強い意識のもと、(当時にしては)男女平等を意識した教育を与えてもらっていました。家にはサッカーボールもラグビーボールも野球の道具もありました。
だからこそ、父が叱る背景もわからず、「だって、男も女もカンケーないでしょ?お父さんの在学中と違って、私の高校のクラスには男女同じ人数いるし。」と不思議でたまりませんでした。

ただ、大人になって、親になって。平等に扱われてきたと思っていた高校生活にも、性差の意識がはびこっていたと感じられます。

軽音部に入りたいけど

一つは、軽音部に入部できる雰囲気でなかったことです。私がそういった雰囲気を感じていたのです。男子の同級生は楽器経験がなくとも「バンドやってみたい」という気持ちで入部し、なんとかドラムを叩いてました。
私はドラムかベースを「やってみたい」と思いながら…できず。
女なのに軽音部に入るということは既に楽器経験がある、または、相当の強い意欲があることが、求められている気がしていました。
これは、女性が傾向として足りないスキルを意識しがち、ということも作用していたと思います。
しかし当時の私が気にしていたのはむしろ、軽音部の先輩たちが受け入れてくれないのでは、という点です。周りの目を気にするお年頃でもあります。

適格か?が厳しく問われがち

実はこれ、ジェンダーバイアスが現れやすい典型的な場面なのだそうです。仕事でいうと、会社内に同じスキルの男女について、管理職昇進を役員会が決めようという場面で、男性よりも女性の方が「本当に管理職相当なのか」と無意識に疑われ、より高いスキルが無いと管理職昇進を認められづらいのだそうです。
↑というのを、この1年で受けたDiversity&Inclusionの社内研修で知りました。
高校1年生の私は、やはり無意識のジェンダーバイアスに影響されて、楽器経験なく軽音部に入部することを躊躇ったのでした。

もう一つ、性差の意識が高校生活に影響していたエピソードがありますが、
それはまた今度にしますね。

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ここまでお読みいただきましてありがとうございました。幸せです。

#大日向雅美 #女性の一生
#性差 #ジェンダーバイアス
#アンコンシャスバイアス
#共学 #男女平等
#軽音部 #県立高校

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