どこまでも純度の高い自分を試す
こんにちは、Yoko Hiramatsuです!
いくつか記事を書いてみたけど、今だ書き方を習得しきれず、試行錯誤中です。
noteって、FacebookやInstagramの機能も全部含まれてると聞きますが、それなりのテクが必要かも。
直感的、瞬間的に使えない。
ですが、使いはじめちゃったので、今日も日記のように書き綴ります!
最近、またいろんなものを手放しました。
なぜかというと、次の扉を開きたい自分がはっきり道を指し示しているのに、ちょっとモヤついて足踏みしてるもうひとりの自分がいたからです。
そしたら、また上からインスピレーションが降りてきました。そして同時に内側から湧き起こる声も。
その声は、
どこまでも純度の高い自分であれ、でした。
見える世界が変わるとのこと。
目が覚める、とのこと。
何だ?って思いながら、ああ、そうか、また手放しってこと。
もう何回もいろんなもの手放してきた。
わたし、いつの間にかスーパーミニマリストですよ。
周りの女子から心配されます。
物質だけじゃなく、内面もミニマリスト。
ま、でもこれは究極の素敵な場所に行くため、意図的にやってるので、全く心配ない。
しかし、まあまあ手放しまくって、けっこう純度高くなってきたはずなんですが、また手放すのですか!?です。
最近は1ヶ月スパンくらいの速度で、新しいものが入っては出て、入っては出て、という感じで本当にびっくりします。
特に人。
そう、生きてるといろんな人に出会いますよね。
その中でも影響力あると言われる人。
覚者のような人、メンターみたいな人、大企業のボス、トップ、何だかよくわからないけど大金持ちな人、力ある取引先、先輩、有名人などなど、特に自分より上とみてしまいがちな方々。
実はわたし、今までの人生の中で学びを得たり、影響を受けたり、お世話になったいわゆる目上の方たちに対して、尊敬や感謝はしても、自分より上だって完全に思ったことが一度もないんです。
すいません、カミングアウトします。
見たら涙を流してしまうほどの憧れのスーパースターにさえ、どこかで、同じ人間、人としては対等だって思ってたりします。
やばいですよね。笑
でも逆に、自分より若い世代の方々や子供たちが自分に対してそんな目線で見てても全然OKです。
なんなら赤ちゃんと目が合ったとき、目を逸されたら、自分、まだまだだなって思います。
何でかって、赤ちゃん純度高いから。
ま、それはおいといて、
日本には年功序列とかいうめんどくさい暗黙の了解があるのですが、年齢だけの場合は特に上に見るなんてことはないです。
とはいえ、礼儀はありますよ、普通に。
例えばメンター的な人がいても、ある分野に関してめちゃ学ばせてもらって素直に感謝なんだけど、その分野の視界が開くだけで、すべてではない。
しかも、実際に行動に移して現実を変化させるのは自分なんだから、突き動かしてるのは結局自分自身でしかない。
本当は、めちゃくちゃ自分に対して自信持っていいんですよね。
誰かから影響やインスピレーションを受けても、刺激や衝撃を受けとるだけで、実際に閃いて、決めて、生み出して、歩き出して、現実を変えてゆくのは自分なんだもん。
自分最高!なはずなのに、
俗にいう影響力があるとちまたで言われてる方があまりに近くにいると、逆に自分が見えなくなるんじゃないかって思ったんです。
だからいろいろ、手放したり、距離置いてみました。
そしたら、視界がスッキリしました。
寂しい気もするけど、視界は広がるし、超クリア。
自分という存在をめちゃ感じる。
あくまでわたしの感覚なので、わからない方はわからないかも知れないです。
ほんっとに、心底、依存するのも依存されるのも好きじゃない体質なんですね。
だってそれは、本当の意味での協力や共同創造と違うから。
最近それが顕著で、誰かから影響受けるのは、必要なことを学ぶときだけでいいじゃん、
一緒に何かやるときだけでいいじゃん、
下手すりゃ、ネット上でもOKじゃん、
な感じになってきてます。
最も大事なのは、それぞれが、自立して自分の世界をどんどん作りあげていくこと。
補助輪とか、誘導の旗とか、もうあまりいらない時代なんじゃないかなと。
影響力ある人は勝手に影響力放ってればいいし、それを見て盛り上がる人は勝手に盛り上がればいい。
自由に成長していただいて。
そういうエネルギー循環の方が時代に合う気がする。
いいから俺についてこい!的オーラも、私があなたを変えて見せますよ!的オーラも、だんだん違ってきてる。
学んで何かを経験したら、そこから出て、自分にしっかり落とし込んで、自分で決めて、自分で気づいて、自分で成長して、隅々までそれを感じながらオリジナルな自分の今を生きる。
で、誰かと何かを共有したり、一緒に生み出したりするなら、自分と同じ感覚を自分と同じようなエネルギーレベルで、要は完全自家発電してるような人たちと共有したい。
こういうサイクルに入ってきました。
その方が絶対楽しそうだから。
わたしの中で、古い時代のピラミッド社会は完全に崩壊してます。
いや、ほんとは生まれときからそんなものない、が正解。
だから、生意気とか、女のくせにとかよく言われ、叩かれまくってきました。
最近は時代の流れが変わってきたのでなくなりつつあるけど。
そして変な話、究極のことを教えてくれるのは、実は人ではありません。
あ、言っちゃった。
最近それもよく感じます。
また言いますが、あくまでわたしの感覚ですので、インスピレーションといえばわかりやすいかな。
自分で何かにはっ!と気づいて、みるみる見える世界が変わって、エネルギーが湧き上がってきて、どうしようもなく動きだしたくなる、この状態。
まわりに、なんっっっっっにもないときが一番純度高かったりして。
天と地と自分ってくらいに。
その状態での閃きに勝るものはない。
まわりに誰かいるときの閃きは、まあまあエネルギーが絡み合ってるんで、それはそれで爆発的に面白いことも起きやすい。
化学反応というか。
でも、純度という点ではケタ違い。
まさに無から発生する感じ。
え!どっから来たん、それ?な感じ。
ひと昔前までは、曲も共作でいろんな素晴らしいものを生み出せてたから、それはそれで面白かったんですが、最近様子が変わってきました。
よっぽど波長がぴったりじゃないと、相手にひっぱられたり、相手がこちらにひっぱられたりで、お互いの良いところが出しきれない妥協曲、お蔵入り曲もたくさん生まれます。
なので最近は、ひとりの中からどれだけのものが出てくるの?生み出せるの?
その上で共作や共同創造したくない?
それが最強じゃん。
ひとりでもOK、みんなと一緒でもOK。
ひとりでもご機嫌、みんなと一緒でもご機嫌。
そんな感じ。
だからもちろん自分も音楽作るなら、今までのメロディの専門家とか成長しない感じではいられないです。
もうひとつふたつ、もともと好きで専門になりえるものはちゃんとあるので、しっかり開いて使いきってあげます。
純度高い自分、とことん試したいです。
どこにいても私。ひたすら私。
ナルシスでもいいです。
とことん私。
んー、でもこれって、別にナルシスじゃないですね。
人の目を気にして自分をセーブする方が、よっぽどナルシス、自意識過剰かもです。
とにかく、めちゃくちゃ純度高い自分を試しながら、そこから何が生まれて、どんな世界が広がるのか、さらにしっかり体験したいと思います。
自分を信じ切ると、ほんっとに不安ってなくなって行くのかも。
とにかく道に迷わなくなる。
たとえ間違ったとしても、そこから必ずこれでよかったんだ!というところへ行き着く確信が持てる。
これからの時代、とっても必要なことだと思いました。
また何か閃いたらアップします。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
それでははまた〜。