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連載「33歳男、育休を取る」 第3回:妻、出産する。

第一子誕生に際して、育児休業給付金の申請を行った33歳男です。同月、自宅にある深さ15メートルの井戸に転落。現在も病院で療養中です。

男性の育児休業給付金の取得割合は5.14パーセント(H29年度、厚生労働省による)。まだ少数派の男の育休。33歳男の育休取得の一例としてご覧いただけたらと思います。

娘は、今年の春に予定日よりも一日遅れで生まれました。私は入院から出産まで立ち会ったのですが、その時の思い出を書こうと思います。

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入院から出産までのお話。

予定日の朝、妻が陣痛で起きて、気がついたら少し破水をしていました。「これはもしかして」と病院に電話をかけたところ、「入院する準備をして来院してください」と言われ、検査を受けて、そのまま入院しました。

昨日までは不規則だったのに、妻の陣痛も規則的に訪れるようになりました。ただ、まだ痛みも弱く、間隔も長かったので、日中は出産準備室でゆっくり過ごしていました。本を読んだり、ネットを見たり、沐浴の動画を復習したり……。生まれる子供を待ち望みながら、病室で穏やかに過ごしていました。

お昼過ぎ、私は入院に必要なものの追加の買い出しに行きました。事前に準備はしていたものの、病院に入ってやっぱりこういうものがあった方が良いね、と妻と話し合って物品の整理をしました。

夜ご飯は、病室で二人で一緒に食べました。妻の分は病院ででますが、私は近くのコンビニでお弁当を買って、それを食べました。この時はまだ、穏やかに過ごしていました。この後の長い闘いなんて、想像もしていませんでした。

22時、妻の陣痛が激しくなってきました。「この痛み、いつまで続くの。もう耐えられない」と、かなり苦しそうな様子。陣痛が始まる度に、「深呼吸して」と声をかけ、背中をさすっていました。

25時頃、陣痛の感覚が5分置きになりました。子宮口はまだ開いておらず、痛み止めを使うこともできません。妻の様子の変わりようを見て、「もうすぐ生まれるんだ」と勝手に思っていました。

しかし、陣痛が強くなってもすぐに生まれてくるわけではありません。助産師さんが見に来てくれる回数も増えてきます。「まだ生まれないのか」「いつまでこの痛みは続くのか」と、5分起きに来る陣痛に、妻は耐えていました。深夜3時、子宮口も広がってきて、ついに分娩室へ移動。

一緒に分娩室に移動し、「いよいよ生まれるか」と見守るも、なかなか生まれず。陣痛の間隔も3分起きになりました。

陣痛が強くなってから、早5時間。私たちの間には、自然分娩では生まれないのではないか? という不安が湧き上がってきました。このままだと、子宮口が開ききらず、緊急帝王切開になるのでは、と。医師は「子宮口は開いている。でも、頭が降りてきていない。」

妻は分娩台から降りて、ゆりかごのような椅子に座り、赤ちゃんを下げる動作を始めます。3分起きに訪れる陣痛に耐えながら「赤ちゃん、降りてきてね」とお腹に声をかける妻。私は、陣痛が来る度に妻の背中を押して、陣痛が収まると眠気に勝てず、横になっていました。こうなると、赤ちゃんを待つより他ないのです。ただただ二人で、お腹の中の赤ちゃんに声をかけていました。

今思うと、このどうなるかわからない状況の中で、ひたすら待つ時間が、一番精神的に辛かったです。夜中の3時からのこの時間。自然分娩で産めるか、帝王切開になるか……。まさに今、ここでこれまでの妊娠生活が問われているような気がしてなりませんでした。私たちは、適切に妊娠期間を送れていたのだろうか、と。無事に赤ちゃんさえ産めれば良いという気持ちと、でもやっぱり妻の負担をなるべく少ない形での出産を迎えたい、ましてや妻の命に関わるような事態になったらどうしよう、とハラハラしていました。

(この「現場感」を味わうことができない、出産に立ち会えない男性は、少しでも想像してもらえたらと思います。これは、出産のまさに「現場」であり、自分にできることがない無力感を覚えます。医師を信頼し、妻を勇気付け、赤ちゃんに祈りを込める、その経験は出産に立ち会わなければできないことでした。)

朝8時、緊張する時間が続くこと5時間。このまま永遠に陣痛だけが続いて、赤ちゃんは生まれないんじゃないか、とすら思えてきました。朝8時になって、赤ちゃんの頭が降りてきました。助産師が医師を呼び、医師が子宮の様子を見ます。

安堵もつかの間、「赤ちゃんが苦しそうですね。お父さん、あとでお話があります」と言って、妻は手術室に運び込まれていきました。徐に助産師さんが5人、6人と分娩室にやってきて、慌ただしく移動していきます。

数分後、「お父さん、お話があります」と、医師に声をかけられ、「お腹の赤ちゃんの頭が、子宮から出てこれずに、苦しそうにしています。お腹を切ります」と説明。手術室に迎えられると、酸素マスクをして、お腹よりも下に青いテントを張られた妻の姿。もう切開は始まっており、お腹を血がしたたるのが見えました。

あまりに一瞬のことだったので、妻も私も何が起きているのか分からず、ただ泣いていました。とにかく、生きていてほしい、赤ちゃんも、妻も。「頑張って、頑張って」と声をかけ続けます。妻は「息が苦しい」と、とても苦しそうにしています。

時間にしたら3分ほどでしょうか。妻の手を握って、頑張れと励ましていると、「取り出しますよ」と医師の掛け声。赤子がお腹から出てきました。「はい、お父さん、生まれましたよ。」喉にチューブを入れて、すぐに抜くと、「あぎゃー、あぎゃー」と泣き声がしました。

「ああ、生まれた!」その時は、掛け値なしに安堵しました。妻も生きている、子供も息をしている。私は、赤ちゃんとともに部屋を移動し、妻はそのまま縫合手術を続けました。

「とにかく良かった」

妻の命も、赤ちゃんの命も、両方とも無事だった。自然分娩を望んでいた私たちですが、緊急帝王切開になり、これが果たして正しいことなのか、命に危険はないのかと、怒涛の展開に気持ちなんてついていけず、ただただ目の前にある生命に「とにかく良かった」と思いました。

赤子の体が洗われて、洋服を着せられて「抱いてみますか」と言われて、抱いてみると、ズッシリと重たく、そしてほのかに温かい。抱いた瞬間に、また涙が出てきました。「生きてる」と思いました。まだ生まれてから30分も経っていないのに、心臓を動かして、息をして、四肢を動かしている。子宮の外で生きようとしているのが伝わって、「そうか、外に出てきたんだね」と思いました。


子供がお腹の中にいる生活から、子供がお腹の外にいる生活に変わります。つまり、男も赤ちゃんに触れたり、赤ちゃんのために栄養を供給したり、おむつを変えたり、げっぷをさせたりすることができる生活に変わります。

「そうか、生まれてきたのか」と声をかけました。「これから一緒に暮らしていこう」と、半ば自分自身に語りかけるように、私は娘に言いました。

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次回は、「出産準備」について書こうと思います。週に一本のペースで書いていこうと思います。 是非マガジンのご登録いただけますと幸いです。