勝手にチャレンジ1000 0066 夫、ちょっとだけ芝生を敷く。

ドクダミが咲き続けているからKingdom of DOKUDAMIのことを書いたのは最近だとばかり思ってたら、なんともう3週間もたっていた。書いたのは先月のことだったのね。

この時期、気温は上がり、雨後の晴天、梅雨の晴れ間など、植物の成長は目覚ましい。1日でもずいぶん庭は変化するのに、なんと一月近く書かずにいたとは。
確かに、5月末から6月初め、両親の第一回目のワクチン接種があり、なにかと気忙しくはあったのだけど。

忙しくしていて、ふと、見ると、芝の束が置いてある。夫が買ってきたようだ。芝生を敷くと。

三十年前、この家で暮らし始めたとき、夫は頑張って庭を耕し、均して芝生を敷き、すみっこに火鉢を埋めた小さな水溜まりのような池も作った。
長男が生まれるときに、赤ん坊がおっこちてはいけない、と、火鉢を掘り出してそこをレンガでかこって小さな砂場にした。近所で生まれた子犬をもらいに行って、長男とその犬は芝生の庭で転げ回って育ったし、二年後に生まれた長女はその砂場が好きでなぜかよく裸になって砂遊びをしていた。末っ子も、近所のおともだちもコロコロと転げ回って遊べる平たく安全な庭だった。

それが今やKingdom of DOKUDAMI である。

22年前、夫の実家の取り壊しにともない、素敵な日本庭園も潰さねばならず、そこの池から少しでも生き物を残すためにうちの庭に池を作ったことで少し庭の風景が変わった。しかし、海外転勤の三年間は夫の両親がきれいに管理してくれていたのだ。帰国して、子育てやら、わたしが勤めにでたり、体調不良などで庭も家もなにも手入れができない数年間で一気に今のような雑草が生い茂る空き地的風情に変わっていった。そして、その空き地っぽい感じが意外にも私の気持ちにマッチして、雑草の庭、のようなものに心惹かれていったのが今の庭に続くきっかけとなったように思う。

そして、それをまた、芝生である。

白いドクダミの花が咲き乱れ、その草むらのなかには実に色々な植物も混ざっている。有用なものもある。何でもざっくり根こそぎに引き抜いて、しかもその辺りの草の上に土ごと投げて捨てるので、夫のくさぬきにあまり良い顔をしない私に、夫は、池の周りだけにちょっとだけだよ、そんなに広くはできないよー、といいながら、私が実家の母のワクチン接種のために泊まりがけで出かける間にざっと草を抜き、土を耕し、均し、池の周りに芝を敷いてしまった。

うーん、まあ、確かにちょっとだけではある。草茫々が拓かれて、家からの眺めも少し明るくなったような気もする。まあ、このくらいならいいか、とは思った。
しかしながら、あまり省みなかった庭なのに、久しぶりに関わると、楽しくなったのか、コンポストの移設やら、家の前の側溝にたまった土を取り除いてみたり、なにやらあれこれするようになった。
まあ、彼の庭でもあるし、一般的には放置されてるような感じだからもっと手入れをした方が良いほどではあるけれど、私の心は何となく面白くない。嫌な予感がする。

そして、ある日、ふと見たら、なんと、ハーブコーナーにぽっこり空間ができ、パセリがちょこんと植えたあった。

以前「さて、この中に5本ミントがあります」と、書いたが、まさにそこである。

ここはさわらないでといったじゃないか、と、思わず犬をしつけるみたいに、これを見なさい!と、現場に連れてきて指摘すると、ごめんよー、と、しょぼんとして見せる。
ずるいと思う。

そこらに投げ捨ててあった抜いたドクダミの塊のなかを探したら、ミントが2本見つかった。根から引き抜いてるので立派な根っこがついたままだ。まだ大丈夫かもしれない、と、コップに差して様子を見ることにした。

本当は、私も先日ちょっと手入れ、と思ってミントの周りのドクダミを抜こうとして誤って1本ミントを折ってしまった。
ドクダミに混じってミントの香りごふんわりと漂った瞬間、しまった、と思ったが後の祭りで5本のうちの1本をぷちっと手折ってしまっていた。でも、自分がやったのはいいのだ。
だからコップには今3本のミントがある。

彼の庭でもあるから好きなようにすればいい、とも思う。

今思い出した。
草むらに紫蘇の種をばらまく、まではいい。辺り構わず、朝顔の種をばらまく。
ひまわりの種をばらまく、というのが夫の、よくある庭への関与だったのだ

なんで朝顔ばらまくの、と聞くと、その辺の木に巻き付いて花が咲いたらきれいかな、と思って、と。
木の幹にくるくるとつるが巻き付き花を咲かせている。なんか装飾的ではあるけれど、朝顔は離島に持って入ってはいけない植物ナンバーワン。旺盛に繁って、巻き付いた植物の上に繁茂し、もとあったものを枯らしてしまうからだ。そんな思い描くほどきれいにはならない。
そこらじゅうにモジャモジャに朝顔のつるが巻きつき、イチゴの木などは完全にアフロヘアのウイッグを乗っけたようになったし、あちこちで絡まり、垂れ下がったりしているのはジャングル的で、雑草の庭、というのともちょっと違った。
ひまわりの花が好きなのは知っているが、
そこらじゅうにひまわりが咲いたらいいと思って、って、それは既にファンタジー、子供か?
思うように種蒔きをするばかりで結局私の負担を増やすので嫌な気分だったのだ。

元々出来上がった庭のある家に嫁いできたわけだし、忙しかったりで私が庭のことをあれこれするようになるとは思わなかったが、結局、時間の経過とともにこの家のことも庭のことも、それは子供のことも、というのに繋がるけど、なにもかも私が手を掛けてきたのだ。嫌なときも、悲しいときもここにいたのは私だ。そんなことを思うと、もう、この草1本、葉っぱ1枚もさわらせるもんか!みたいな気持ちになる時がある。いや、あった。だから、時たま気軽にのんきに種をばらまかれたり、勝手に草を抜いて空間を作られたりすると無性にに腹立たしかったのだと思う。

ハーブコーナーは手を入れようと思っていたのだから必要なところのドクダミを抜いて、そこにパセリを植える、ということも悪くはない。でも、なぜ聞いてくれないのだろう?と思う。どこに植えようか、と。ここのドクダミぬいてもいい?と。
聞いてほしかったのかも。
芝生も、買って用意する前に、芝生にしようとおもうけど、と、いってほしかったのだな、と気がついた。
なんか、一人でいるより孤独、とおもっていたこともあったな。

今はそれほどでもない。


では、私のミントやドクダミは
どうなんだろう?ここは抜いちゃだめ、とか、ここは何を植える、とか、夫に言う?

言わないな。
自分のことはいいのだ。

それに言っても夫は覚えてないし、別に言わなくても構わないのだと思うし、邪魔なら、また思うように抜いて、私に怒られててしょぼんとして、でもやりたきゃやっぱりそれを繰り返すのだろう。幸せな人なのだ。

茫々30年、嗚呼夫婦。

#gardenwork1000

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