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インボイス制度に反対する気持ち悪さと、でも、政治・社会への参加は重要だと思った話

Threadsでの投稿をタイムライン順に残してみます。言葉足らずな部分は後から補足したりしているので、長いですが、全体を見渡していただけると幸いです。


ぼくの考えは下記の引用元ツイートに近いのでシェア。もちろん押し付けはしないけど、できればぼくの周りのクリエイターにもこの考えを持ってもらいたいところ。非課税事業者に消費税分上乗せする事業者の人もいらっしゃいますが、そういう変な「優しさ」を出してしまうと、それなしでは生きられない、事業者としての弱体化に繋がってしまうネガティブな確信があるからです。

まさに、変数と定数の話で、変えられないものを変えようとする努力は正直見ていられなくて、不利益を被る事態に対して肯定はもちろんしないけど、今まで享受していた努力外の利益にしがみつこうとする思考そのものが、既得権益者のそれに近いものを感じるのです。

https://x.com/tanijirimakoto/status/1707402327907610750?s=46&t=TPF3DIWKicq6GD2HUJJrfw

なんかこの引用元のツイートに微妙なリプが大量についていて不憫なのですが、たしかに自然環境の話と政治社会要因の話は切り分けるべき、というのも一応理屈としてはわかります。

ただ、業法やルールが変更になって影響を受けることなんてビジネスにおいては日常茶飯事だし(民泊に対する規制の時とか、GoogleやYahoo!の広告ルール変更の時とか)、

その事業がプラットフォームに属する限り、プラットフォーム側のルール変更には従うべきというか、事業者の声で変更が覆されたりすることが多くはないことは想像できると思うのです。

「日本社会」「資本主義」というある意味で大きなプラットフォームに属しながらビジネスをするのであれば、当然そこのルールを把握して、攻略して、勝ちに行く、という思考になるべきところが、なぜか政治主導になるとここが敏感になってしまうのが、ぼく的には違和感があるのです。

もし政治的な意思決定を変更しようとするなら、意思決定プロセスのルールを同じように把握して攻略すればよくて、これは明治神宮の伐採問題も同じなんですけど、国民が騒ぎ出す頃には全て動き出していて時すでに遅し感がすごいので、なんというか、既得権益者的なギブミー精神をどこかで感じてしまうのです。

たしかに、明治神宮のケースで言うと、意思決定プロセスが一応公開されて正式な手順を踏んでいながらも、ほとんど国民の知らないレベルの情報の出し方で、専門家の意見も通りにくいまま完了してしまった、みたいな話で、たしか今年の頭くらい?から社会派界隈がざわつきはじめた気がしていた気がするのですが、

その半年以上後の今頃になって一般国民がその情報をキャッチして、騒ぎはじめる。みたいなことが起こるわけで、政治云々に意見を言えるような情報感度ではないから相手にされていないのだと、今回のインボイス騒動も同様に冷めた目で見てしまいます。

つまり、環境変化に対して騒ぎ立てるのは勝手ですが、「変化に対応できないと淘汰されていく」という、ビジネス界における自然摂理から目を背けて、この法則から逸脱するための救済措置を期待するその「ギブミー精神」が、世の中に蔓延るゾンビ企業や既得権益者を増やしているのだと思うのです。

雇用されているなら、守られるべきだとぼくは思います。
事業主であるなら、自立するべきだとぼくは思います。
ただそれだけ。

年商が200〜300万円くらいの不遇の時代に同じ境遇になったとしても、たぶんぼくはそう思ってる。(そう思えないと、事業主であると誇りを持って言えない。)

という意見。

ただ、個人の才能が開花してほしいとは人一倍思ってます。

上記の意見に対していただいたリプ

直前になって騒いでも遅いのはわかるけど、国民全体の認知はギリギリにならないとされないのだろうなとと思う。実際まじかよと思っても多くのことは変えられないし、インボイスに関しては私も何か行動に移すような反発心がない。反発心がないから変化する環境を乗りこなせって言えるわけで。

ただ、一般企業が利益を上げるために作ったプラットフォームと、政治家が税金で行う取り組みは同じ「環境」ではないから、たとえ覆らなかったとしても反対意見を持つ人は抗う意味はあると思いますね。その力が集まるのがギリギリになったとしても。

税収過去一を記録する今の自民党を選んだ人が、考えを変えるきっかけになったり、選挙に行くきっかけになる可能性もあるし。今後、徴兵とか、とんでもない増税みたいなものが起きたときに、これまで反対する人がいなかったとしたら、多くの人が「この環境に従うしか…」って考えになりそう。

https://www.threads.net/@rina_sekine/post/Cxyfng7ybIB/?igshid=MzRlODBiNWFlZA==

ぼくもこんな書き方をしていますが、彼女の言うことはまさに、と思っていて、ぼくの雑記の前提として「事業主としての経済活動的あり方の話」と「国民としての政治参加・社会参加の重要性」の話を切り分けた発信になっていたのだと気づいたので、後者に関してもちゃんと補足しておきたい&自分の整理のために追記したのが以下。

ここまでの話とは裏腹になるかもしれませんが、国民の政治参加・社会参加に関してはむしろ推進派というか、自分たちの環境は自分たちが変えていくんだ、という気概に共感するタイプです。

例えば、保育園で起きる数々の事故や事件(バス置き去りとか、職員によるいじめとか)による子供たちの被害はほんとに見ていられなくて、ここ数年の間でぼくの中で激しく問題意識を持った出来事のひとつですが、

一見ヒューマンエラーのように見える事故や事件が多かった一方で、その根本の業界の制度的問題が複雑に絡んでいることもよくわかって、制度・政策に対するアドボカシー・政策提言の重要性をひしひしと感じました。

国民の政治参加・社会参加に話を戻しても、国民主導で変えていける部分は大いにあるのだと信じているからこそ、そうしたソーシャルグッドを目指した行動の重要性を感じています。

(ちなみに、ぼくの大学の専攻は「政策科学」で、社会的に起きている問題の提起と解決を行うための政策立案プロセスを専門として学んで、それを実行するためのアプローチ方法としてデザインを採用した、という経緯があります。社会学者を目指した時期もありました。、)

今回はインボイス制度に対してイチ事業主として考える「べき論」を展開しましたが(あまり「べき論」は好きじゃないにも関わらず)、先に書いた通り環境変化に耐えられる手腕や設計が重要だと思うので、覆せないことより次の打ち手を考えろよ、と事業主に対してはついつい思ってしまうのですが、

自分が活動しやすい環境をつくるために行政に訴えかけたり、問題が起きにくく生きやすい生活を目指した社会をつくったりすることはまた重要だと考えているし、明らかに国民が不利益を被る事態(まさに徴兵制とか)が起き得るような政策決定のプロセスを、国民自身が監視できるような情報感度を身につけるトレーニングの場でもあると思っています。

(ぼくが身を置いていたまちづくり業界の現場ではこうした話の縮図が見える気がしているのですが、やはり「自分たちのまちは自分たちでつくる」みたいな欧米諸国の発想ではなく、何事においても政府の言うことに従って作られてきたお上主導のこの文化・習慣が間違いなく根付いている国であり、その危険性を理解しているからこそ、政治・社会参加は重要だと考えています。)

こうした話はなんだかいろいろ線引きが難しいのですが、同じ「社会・政治への働きかけ」だとしても、自分の利益を守ろうとしているか、社会的な利益を守ろうとしているか、このモチベーションの差がぼくにとっては受け取る印象の違いになっているのだろうと、そんな気がしました。

おまけ

政府へのディスクロージャー(情報開示請求)を積極的に行いながら監視している社会派の方々もいらっしゃるけど、内容が難し過ぎてこれは国民みんな気づけないだろうな、と思ってしまう。この問題に対して、いかにそれをわかりやすく伝えるか、というデザイナーならではの視点で情報をまとめて、より早い段階で国民が情報をキャッチ&ジャッジできるようになるための情報メディアをいつかやりたいと思いながらリソースが足りないので、ぼく自身のこういう動きもそろそろ始動させたいところ。デザイン&社会・政治に関心のある学生たちと進めてみたい。

追記

インボイス云々みたいな難しい話より、すべての行政手続きの煩雑さは簡単にデバッグ可能な社会的フェイタルエラーなので、誰かなんとかしてほしい。

多くの人の個性や表現が埋もれてしまわないように、クリエイターとして、価値を掘り出し、届ける活動を行ってまいります。ブランドづくりに軸足を置いていますが、メディアでの発信や書籍展開など、活動の場の創出ができるようにも努めてまいりますので、どうぞご支援のほどよろしくお願いいたします。