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組織の終わりの始まり。その3

なかなか本編に入れません。

「先生の事務所で働きたいんです」

チームで仕事をすることの楽しさを知った私は、社員を採用することを考え始めました。でも、採用ってどうやってするの?正社員経験もほとんどない私は、そもそも採用もわからないし、上司と部下とかそういうのもわからない。そもそも給料を支払わなければならないし、当然お金もかかる。

うーん、組織をつくる、ということを思いついたのは良いが、どうしたもんだろう。そんなとき、1通のメールが私のところに届きました。

「先生の事務所で働きたいんです」

確かそんなメールが届いたのが、2005年の秋頃。いや、冬だったかな…まあ、そんな時期。その年はブログ営業術を出版し、取材やセミナー依頼がひっきりなしで、結構忙しくさせてもらってた頃。翌年、新会社法が施行されることもあって、新しい本の話も来てた頃ですね。

ちなみに家族のことで大変なことが時期でもあります。「おかぼく」参照。

メールを送ってくれたのは、当時大学4年生だった女の子。在学中に行政書士試験に合格し、行政書士事務所で働きたい。そういう趣旨のメールでした。渡りに船というかシンクロニシティというか、まあなんとタイミングの良いことで。

ただ、当時はまだ東京都調布市にある木造アパート6畳1間の自宅兼事務所で仕事をしていたわけで、さすがにここじゃ採用なんかできない。だから、確か春先に事務所を借りるから、それまで待ってほしいという趣旨を伝え、待ってもらうことにした記憶がある。ただ、割とグッドなタイミングでコトが起きている反面、これからお金がかかるってことを自分なりに気にしていたような気がします。

6倍のランニングコスト

そういうわけで、2006年。代々木にオフィスを借りることになります。昔語りが多すぎるとこの記事は先に進まないことがわかったので(いま頃かよ)、割愛しながら早く本編に入りたい。

代々木でレンタルオフィスを借り、その女性を採用。アパート時代のランニングコストに比べ、なんと毎月かかる費用は6倍に増加。そこからその女性を採用し、私の組織は始まったのですが、もうなんというか…

謝罪しかない。

とにかく私は経験がないことさることながら、社内でコミュニケーションを取ろうとしないし、教えるってこともあまりしなかった。そもそもどう振る舞って良いのかもわからなかったし、良い職場ではなかったと思う。

そして、いまこうして偉そうに組織論みたいなものを執筆しているけど、数年前まではこんなこと書けるような経営者じゃなかった。きっとこの記事がうちの元社員に読まれることはないだろうけど、その節は本当にごめんなさい。心入れ替えていま頑張ってます。

その女性は半年くらいで確か退職となり、その後もまた採用し、退職を繰り返していく。で、2007年4月から13年も続いた「経営天才塾」が始まるわけなんですが、リリース1ヶ月前に、社員は全員退職となり、またひとりに戻ってしまうことに。このあたりの経緯も「おかぼく」で。

2007年、天才塾スタート時にはなんとか1名の採用が決まり、その後は1名の社員が2名になり、4名になり、なんとなく組織になっていきます。ただ、私がブログ営業術の執筆のときのようなチームプレイができていたかというと、それはまた微妙で、私自身の実力のなさから、ずっと組織では悩んでいくことになります。

パワーコンテンツジャパン株式会社は、2007年-2011年まで代々木にオフィスがあり、4名までは代々木で仕事をしていました。その後、2011年-現在まで四谷にオフィスを構えているのですが、最初は4-5名をいったりきたり。現在は10名ほどになりましたが、現在の組織のかたちが見えたのは、ここ数年になってです。その組織論について、これから執筆していきます。

あー、やっと本編に入れそう。

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