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先に進む為の総括

エレクトロニクス業界に長く身をおいてきたので、他の業界とは当然事情の違う部分も多いとは思うが、このところ日本の産業はどうも元気がない。というより、下降線を辿っていると感じる。これは私だけではないだろう。私が日本の将来に対して何かを出来るなどと大それた事は思っていないが、これから生きて行くに際し私なりの総括をしておきたいと思う。勝手に一国の産業について総括してしまうこと、まあ暇人の戯言とお許し頂きたい。

以前、日本は”経済は一流、政治は三流”と称していた。他の国の方が、こう言っていたか分からないので、敢えて「称していた」と言う。しかし、今強く思うのは、これは間違いで実際は「経済は三流、政治は五流」だったと言うこと。なぜ経済について三流と感じているかと言うことについて述べることとする。

三流の経済、これは良く言われるガラパゴス化と深く関係していると考える。日本は戦後高度成長を遂げた、これにより起こった事は分厚い中産階級の出現である。これにより、これまでは手が届かなかったモノを購入出来るようになった層が現れた。日本は小さな島国では有るが、人口は世界でも10番目だ。これは巨大な市場が出現したことを意味する。そしてこれらの人々は、そこそこの値段でも高品質なモノを追い求めた。小さな島国の巨大な市場に向けて様々な分野で国内メーカーが、リーズナブル且つ高品質な品物を開発し売りまくった。市場規模の大きさ故に、国内市場の中だけでもそこそこの成長を遂げる事が出来たのだ。

その結果として、平成元年(1989年)は時価総額ベースの世界ランキングで日本企業はトップ50社のうち32社を占めた。ところが、平成30年(2018年)には35位のトヨタ自動車一社である。まあ、どうやったらこのような落ち方が出来るのか!というような凋落ぶり。全く驚くばかりである。どどうやったら、こんなに急降下することが出来るのだろう。(ランキングの詳細はDiamond Onlineの記事を参照願う。)

これは、何故か?結論としては、自前の大きい市場を持つことにかまけてマーケティングという事を行わなかったのではないかと私は感じている。当然国内で売れるモノは何かについては相応のリソースを投じたとは思うが「品質の良いモノを作れば世界中で売れる。」という呪いを自分にかけてしまったのではないだろうか。家電製品、自動車、アパレル・・・等も同様だろう。しかしながら実は日本の内と外は、大違いだった。日本で生活していると当たり前の事が、外では全く違う事がまま存在する。例としては、例えばビデオレコーダー。日本ではテレビ放送を録画するのが当然で、複雑なタイマー機能を搭載した高級機種が多く開発されたが、海外で録画機能はあまり使われていない。テレビ番組を録画するという事をあまりしないのだ。北米や中国でも売れていたのは、安価な再生専用機が主流だった。再生するのはレンタルしたコンテンツが主。ハードディスクレコーダーも同様で日本では大抵の家庭で使われていると思われるが、日本以外ではほぼ使われていなかったはずである。

またそれとは別に、この間に世界の流れは大きく変わっていく。「価値」が”モノ”から急速に”サービス”や”情報”に移って言ったのだ。ここで言う「価値」は人が対価を支払うものである。誤解を恐れず極論すれば”モノ”は”サービス”や”情報”を入手する為に仕方なく購入するもので、”モノ”しれ自体には”価値”が無くなってきたのである。

しかし、高品質のモノは売れるという呪縛から逃れられずに、新たな価値を産み出す事が出来なかった日本企業は急速に競争力を失う事となる。一方”モノ”作りを日本に奪われたアメリカでは”モノ”作り以外で価値を産み出す事を考えざるを得なくなりGoogleやAmazon、Appleと言った新しい価値を産み出すプレイヤーが登場することなる。

一方モノ作りに於いて、日本を激しく追い上げ、追い落としたのは、韓国や中国である。中国の場合は日本同様、自国に巨大な新しいマーケットを持ちそこに向けた製品を供給すれば成長は果たせる。しかし韓国の場合はどうだろう。人口は5千万人程と日本の半分以下である。この自国市場だけでは成長を果たす事が出来ないという弱点が、結果として韓国の成長に大きく寄与したのではないか。彼等は、最初から外の世界で戦う事を考えざるを得なかったのだ。その為に、世界中の国々ではどのようなモノが必要とされているのかを徹底的にマーケティングを行い、その土地に適応した製品を投入していった。結果としてスマートフォン、テレビ等デジタル家電や、白物家電においてサムスンやLGが大きなシェアを占める事となった。

”モノ”と”価値”の両方に於いて、外の世界とズレてしまった事。これが日本のガラパゴス化ではないだろうか。

そこで、最初に戻って何故私が日本の経済が三流だとした理由である。先ず「高品質なモノ」に代わる新しい”価値”の創出を事を怠ったこと。結果としてコストを削減することでしか利益を出せなくなってしまい、人をコストとしか考えられず、自分達にとって最大の市場であったはずの中層階級を自ら潰してしまった事。これらの責はそこで働く労働者ではなく企業の経営者に問われて然るべきと私は考える。これが私が日本の経済が三流と断ずる理由である。

「だから駄目なんだ」と、間違いを論うのが私の趣旨ではない。子供や孫の世代に何を残す事が出来るのか?何をすれば良いのか?これがとても大げさではあるが、現在私が日々考えていることである。なかなかの難問である。





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