見出し画像

女子大生社長、南條亜依が綴るsasatta.llc設立までのストーリー #1

sasatta.llcは2019年6月に現役女子大生社長、南條亜依のもと設立されたまちづくり会社で、岩手県の盛岡と花巻の中間に位置する小さな町、紫波町を拠点に活動しています。

目下私たちが取り組んでいるのは、紫波町にある空き家をリノベーションし、カフェ兼コワーキングスペースを創るプロジェクト、名付けてYOKOSAWA CAMPUS PROJECT
このNOTEでは2020年1月13日より挑戦するクラウドファンディング、そしてその後のsasatta.llcの活動を発信してまいります。

これまで当社代表の南條亜依の想いに想いにかられ集まったメンバーをご紹介してきました。
本投稿からは連載第一弾の締めくくりとして南條のご紹介とともに、連載第二弾として6月に設立したsasatta.llcそしてYOKOSAWA CAMPUS PROJECTの詳細、そして年明け2020年1月13日より挑戦予定のクラウドファンディングについて綴ってまいります。


福島の田舎っぺと紫波を繋いだきっかけは最愛のばあちゃんだった
画像1

ー自己紹介をお願いします!
神田外語大学国際コミュニケーション学科4年の南條亜依と申します!
至って普通の女子大生をやっていましたがなんと今年の6月に起業しsasatta.llcを設立してしました!


ーどんな学生時代を過ごしてきたのでしょうか?

1996年4月19日に福島県石川町で兼業農家の長女として産声をあげました。

石川町は電車が2時間に一本しか通らないようなド田舎で、近所には山と畑と田んぼしかありませんでした。本当になーんにもないところだったので、近所のじじばばとお茶を飲んだり漬物ばっかし食べてました。

「君の名は」レベルの田舎だったので、ずっと都会に憧れがあって。
姉妹でvi vi とかセブンティーンとか「東京の女子」な雑誌をよく読んでたんですけど、雑誌に載ってる商品売ってないし、キラキラした東京に行くことしか頭になくて、関東の大学しか受けませんでした。でも本当に行きたかった東京の大学には落ちてしまって、結局千葉の大学に行くことになりました。

外語大を受けたのは単純に英語の成績がよかったのと、ちょうどテレビで「Youは何しに日本へ」とか「世界の日本人妻」とかを見て「私も世界に羽ばたきたい〜〜」と思ったからです。超単細胞だと思います。

加えて、高校時代に2週間アメリカに研修で行ったときに「アメリカはでっがくですげえな〜」「おらもいつか留学するだ〜」と信じてたのもあります。

ーどのような大学生活を過ごしてきましたか?

夢の東京(千葉)での大学生活は、本当に毎日遊んでて、なぜか新宿でよく遊んでいました。タピオカ飲んだり服買ったり美容院行ったり、普通の女子大生な生活をしていました。笑

留学に行くためにバイト漬けの生活をしていたのですが、ろくに貯金もしてなくて気づいたらもう3年生になっていて。ヤバいヤバい、来年就活じゃん!と急に焦ってきて。

「ちょっと時を止めて留学して自分の人生考えたいな〜」と思って親に打診したら大反対されまして、結局休学届けに判子押してくれなかったので普通に3年生になりました。


そして、その直後。だいすきだったばあちゃんが死んじゃって。


私が上京した後に癌になって闘病生活をしていたのは知っていたんですけど、そんな姿見たくないからあんまり帰省してなくて。
それでばあちゃん死んでから1週間くらいしてばあちゃんの部屋の片付けしてたら日記出てきたんです。それでパラパラめくって私が上京した日の日記を見たんです。そこには「あいが行ってしまった。寂しくなるな〜。おこわ持たせてやった。」って書いてあって。涙が止まりませんでした。上京した日、ばあちゃんからおこわを担がされて東京に行ったんですけど。上京して5年経った今でも、ばあちゃんが握ったおこわのおにぎり食べれなくて冷凍庫に入れてます。

iOS の画像 (12)

小さい頃からばあちゃんのことがとにかく大好きで。いつも後ろをくっついてました。
ばあちゃんの運転する軽トラの助手席に乗ってスーパー、床屋、田んぼ、墓掃除、農協、ばあちゃんの実家、ばあちゃんの友達の家、どこにでもくっつていました。

根拠はないんですけど、ばあちゃんって死なないと本気で思ってたんですけど、死んじゃって。そこで、東京での生活を言い訳にしてもっと大切なものから目をそらしていたことに気づいたんです。

それまでは周りの大人から見て「良い子だね」と言われるような振る舞いをしていました。
大好きなばあちゃんに家建てたい!という思いから大学行って、丸の内OLになって、お金を稼ごうとしていたのですが、それは結局私の夢ではなく大人の夢だったんだなって思ったんです。そのために家族のために家族の時間を犠牲にするのがバカらしくなっちゃって。ばあちゃんや周りの大人の評価を守る以外に自分がやりたい!と思う理由が見出せなくなったんです。

「あ〜ちゃんと自分の人生見つめ直そう」と思って強行突破で休学しました。

昔からの思いのまま大学受験をして、休学して留学しよう!って決めて生きてきたけど、初めて一度立ち止まって考えたら私の中にはもう「留学したい!」っていう思いはなかったんです。それで私が「いま」したいことは何かを考えた時に、「地方」があって。やっぱり私の思い出の中には小さいときに近所のじじばばと過ごした記憶とか、ばあちゃんと遊んだ記憶とかがすごくすごく色濃くて、豊かな時間だったなぁと思ったんです。

いろんなことを学べたし、すごく楽しくて、でもきっとこういう風景とか私が受け継がれて欲しいと思う空気感はこれからますます薄くなっちゃうんだろうな〜と思ったら凄く寂しくなっちゃって・・・そこで留学に行くことをやめてインターンを探したところで見つけたのが紫波町でした。


次回、南條亜依覚醒

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?